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日々是合気「全国強化合宿に参加して②」

去年と比べて
大きく変わったと感じたこと。

相手を崩した瞬間に
繋がりを切ってしまうという方がほとんど居られませんでした。

つまり、常に3点バランス状態を保っているということです。
『合気のカラダ』が標準装備となってきている。

全国の皆さんの上達を
肌で感じることが出来た合宿でした。

わたし自身も、常にそう有りたいとテレビを観ながら、駅で電車を待ちながらまた、電車に揺られながらetc.

常に『心地良さ』を味わうようになってきました。

以前は『感覚』を求めるあまりに却って身体の何処かにコワバリが出来てしまい『背骨ゆらし』『カラダ作り』が辛く感じたこともありました。

今はとても心地よいので、苦痛どころか常に味わっていたいと思います。

この日々の練功の答え合わせとしての、対人練功が出来る日曜日、金山での合気練功塾が楽しみでたまりません。

ともに達人を目指し
ともに練功を楽しみましょう。

byたけぞう

Tスタイル ~合気練功の日々~「大切」

 皆さん、あけましておめでとうございます。
 今年も生涯進化する達人(別名=変なおじさん?)目指してがんばっていきましょう‼

 最近、私が大切にしている言葉が「大切」です。
 合気練功塾の日々の練功は、とても「大切」です。
 一元では、両手の間にある(はずの)細いゴムを切らないように「大切」に伸ばします。
 相手とつながる時は、自分の足裏から相手の足裏に向けて、カテーテルを体内に入れるように「大切」につなげていきます。
 そして、相手と自分の身体の中を「大切」に探っていきます。
 相手を崩す時は、相手とのつながりを切らないように「大切」に動きます。
 
 ペイン松原ニャンコ大魔王(失礼!)に指導していただいた際、一言「雑!」と優しく(⁈)指摘されることが何度もありました。これは「大切」に練功していないという指摘です。例えば、一元の際、ゆでたそうめんを切らないように伸ばしていくような繊細な感覚が必要なのです。

 合気練功塾には、(どちらかと言えば)相手を倒す、制圧する、相手に勝つことを目的とした武術を修練してきた方が多くいます。
「大切」に練功し、(合気練功塾の)の合気を習得するためには、今まで身に付けてきた思考や術理を捨てなければならないと私は考えています。(あくまでも私見ですが・・・)

執着心を捨て、(変な)プライドを捨て、高慢な態度や心を捨て、相手を敬い、いつも謙虚で、家族を大切にし、困った人を見れば声をかける、そんな人に私はなりたい。←どこかで聞いたフレーズ⁉

ここで皆さんに重大発表です‼
このブログの筆者名、TAKA改めKENTAとさせていただきます。
(最近、練功塾のメンバーで名前にTAKAがつく方が多いので・・・)
「フライドチキンかいっ!」という大阪塾のメンバーのツッコミの声が聞こえてきそうですが・・・

 

新年の川柳です

 大切に 思う心が 花開く
 バッサリと 余計なものを 断捨離す
 改名(かいめい)し 合気の仕組みを 解明(かいめい)す 

 おあとがよろしいようで・・・ 
                 KENTA

虹をつかんだ男のココだけの話「マインド」

11/5、6の第2回合気練功塾全国強化合宿においては、技術指導の他にも、合気上達のための心持ちについても大切なことを学んだので、今回はその事に触れておこうと思う。

それは、「掛ける人」と「掛けられる人」という安易な役割分担の撤廃である。
しかし、実際問題として、2人でやっているので、「掛ける人」と「掛けられる人」の役割分担しかない。
だから厳密に言えば、役割分担を変えるのではなく、役割を担う人の心持ちを変えるという事になる。

どういう事かと言えば、何も考えずにやれば、「掛ける人」は「ただ闇雲に掛ける人」になり、「掛けられる人」は「掛けられるのを只々待つ人」になってしまう。
この人達の共通点は“自分勝手”であるという事なのだが、それも無自覚な“自分勝手”なので、自分のおかしさに気付けない。
だから、相手が動きたくなるような努力もせずに無理矢理動かそうとしたり、技を掛けようとして頑張っている人を前に、ぼーっとして物思いに耽ったり、自分の番ではないと休憩したりするなど非協力的な振る舞いを当たり前にする。
当然、この2人で練功を積んだとしても合気が上達する事などあり得ない。
これは、別にここに限った事ではなく、どこの組織もそうである。
合気を習ってきた人と合気を使える人の比率を見れば一目瞭然であろう。
歴史が証明しているのだ。
上手な人と組んでやれる場合、上手くいかなければ、その人がお手本示してくれ、手取り足取り教えてくれるだろう。
それが上達にとって理想なのは間違いないが、この現実においては妄想に近い。

だから、私のような、センスの無い人間も上手になるためには、今までとは違ったマインドが必要なのである。
それは相手を思う気持ち、“配慮”である。

合気は、そもそも順番とか役割などが存在しているわけではなく、2人共が同時に掛かっている状態である。
だから、相手と繋がっている事が大切で、繋がっていなければ動いてもらえないし、繋がりたいならば、ぼーっとしている暇など無いのだ。
「掛ける人」は、合気の原理を理解し、それに沿って丁寧に掛けなければならないし、「掛けられる人」は、掛けられている時の感覚を覚え、たとえ「掛ける人」のお膳立てが少々粗くても、そこを自分で補って、自発的に「掛かれる人」になる必要がある。
「お互いがお互いの立場を知り、考え、行動する。」というわけである。
その積み重ねを経て2人共に上達する。

このように2人が相互に相手のことを思い、相手の上達を自分の事のように喜ぶ。
これが「楽しい達人集団」になる土壌となる。
私も乗り遅れないようにしたい。

はやく仙人になりた~い!「テンセグリティで自主練習」

塾長の言葉で「テンセグリティ」と言う言葉を聞きます。

合気道の動画を見ているとバスケットボールやバレーボールを持ったり、挟んだり、掴んだり、廻したりしています。

しかし、空気がパンパンに入っていると、力で押してしまう?力で挟む?力で廻す?ため、「結局、よく分からない!」が自身の答えでした。

練功塾で何度も話に出てくる、テンセグリティを優しく触って、持ったり、挟んだり、廻したり、引っ張ったりした方が、感覚が出やすいと感じました。(柔らかいゴム風船でも良いかも?)

もしかしたら、この感覚が合気感覚なのかもしれません。(塾長に聞いて無いので分かりません…。)

「自身の練習方法」
テンセグリティか、柔らかいゴム風船で自身の繋がり感覚を養う。

テンセグリティを両手で持ち、挟んだり、捻ったり、上下左右にゴムを引っ張ったりして、骨にぶつからないように自由に動かしてみて下さい。

身体が足裏まで繋ながると、全身が微妙に動き出します。(連動してくる)

坐禅をして、テンセグリティを持って?挟んで?グルグル回転したり?すると、足の指先まで自然と動いてきます。(一瞬では無く、この感覚をずっと続ける事が大切だと思います。)

私はこの感覚を続ける事が出来ず、どこかの関節で切れてしまいます。

座っても立っても同じ感覚にならないと身体は繋がっていません。

柔らかいゴム風船を使って一元→五元迄、練習しても面白いかもしれません。

この感覚を教えてくれるのは「練功塾」だけです。

まずは「オンライン講座」から始めてみてはいかがでしょう。

https://aikirenko.com/members/

今年、最後のレポートとなります。

来年もよろしくお願い致します。

 

 

日々是合気「全国強化合宿に参加して」

11/5(土)・6(日)の二日間、豊橋のロワジールホテルにて、第2回合気練功塾全国強化合宿が行われました。

北は北海道、南は九州より合氣を求める同好の士が集いました。
それぞれがなにがしかの武道を極め指導される方、あるいは施術でゴッドハンドと呼ばれる方々。

そんなつわものたちが【あいき】をワードに和気あいあい練功を楽しみ、共に高め合う素晴らしい二日間でした。

今回は『受け手のレベルアップ』『心地良さの追求』の2つが練功のテーマでした。

受け手の重要性は古武道をされている方は良くわかると思いますが、練功塾においては本当に肝になるところです。

練功はともに成長するための稽古であって、勝負ではないので相手を潰すことがあってはならないのです。

心地良さも、受け手の練度によるところが大きいです。

今回、塾長、院生の方々の熱意あふれ、丁寧なご指導により、とても大きく前進したように思います。
参加者全員が成長した素晴らしい二日間。まさしく心地良さを味わうことが出来ました。

合氣は単なるテクニックではなく『在り方』『有り様』なのだと強く感じました。

合気練功は己の『在り方』を探求する【禅】の修行
二人組んでの練功は【動功】であり【組禅】

一人での【立禅】は、名称は違っても各武道にあります

組んでの【動功】で受け手に対する要求が、とても繊細で高度なことは練功塾の最も特徴的なことであり、かつ秘伝でもあります。

まだ、練功塾を体験されていない方へ、塾長はじめ練功塾ではその秘伝を惜しみなくお伝えします。

心地良さと繋がる不思議さを
是非、味わいに来てみて下さい。

by たけぞう