虹をつかんだ男のココだけの話

虹をつかんだ男のココだけの話「インスピレーション」

前回、記述したとおり、私が練功塾に通い始めて、6年になった。最近では、新しく入って来た人からも、アドバイスを求められる事も増えてきた。そして、それは私に限った事ではなく、休憩時間にも、あちらこちらで、苦手克服のために誰かが誰かに習っているという風景が普通にある。というより一人で困っているような人を見かければ、誰かが気づき相談に乗るという流れがシステム化されている。
そして、思い返せば、私が入った頃には、すでにこの風景があったなのだ。もちろん、その時は、私が教えてもらうばかりだったのだが、聞く人、聞く人、皆さんが、感覚を取れるように『今起こっている現象から、それが起こる理屈』までを丁寧に教えてくれる。そんな至れり尽くせり環境に接した時は、今までとの違いにとても驚いたものだ。

そして、これが出来るという事は、ここには合気への感覚をもつ人がたくさんいるという事の証明に他ならないのだ。(前回も書いたのだが、そんな人は、組織に一人いればいい方で、ほとんどのところは、先輩と後輩の実力に差がないのだ。というより、誰も0から上がれない。だから、何を聞いたところで、臨場感のある、確信的な答えなど返ってくるはずもなく、小耳に挟んだ噂話や、ファンタジー的な伝聞でお茶を濁される。)
そして、一生懸命教えてくれるその人達が合気感覚を掴んだのが、皆、ここ合気練功塾だという話であると。
これを聞いた時、何も出来ないズブの素人だった私ではあるが、近い将来、合気を手に入れている自分の姿をハッキリと思い描く事が出来た。
そして、数年が過ぎた現在の心境としては、その時の直感はやはり正しかった。それ以前には、全く意味不明で、取り付く島もなかった合気が再現性を持って扱える様になったのだから。

虹をつかんだ男のココだけの話「実際の話」

合気練功塾は、『「合気を極める」を理念に全国の仲間と共に生涯進化し続ける楽しい達人集団!を目指す』を謳っている。実際にここで、塾長合気に触れると、全員が全員、瞬く間に上達していく。塾長の作るプログラムに従い練功を積むだけで、面白いように合気の感覚を掴む事が出来るのだ。初心者が合気を掴むためにはもってこいの環境である。
嘘の様な話であるが、本当にホントなのである。福井から6年通う私が言うのだから間違いない。

何故これが可能になるのか?を私なりに考えてみたのだが、合気の感覚を取れる人が異常に多いという事が言える。(他の組織の様子を見てみると、1人いればまだましな方で、誰が教えているのか?すら、判別し難いところも少なくない。)
では、何故このように人材が豊富なのか?という事になるのだが、まずは合気の楽しさを伝えたいと思っている塾長の情熱の高さにある。塾長が他の合気系団体のトップと違うのは、誰でも合気が掛けられるようになるプロセスを本気で教えようとしている点である。我が塾長は、体作りや合気メカニズムの説明から、自身の合気感覚のトレースまで、我々が理解出来るように全てを曝け出してくれている。
ふと思い返せば、ここをはじめて訪れた時から、合気感覚のある人が普通に存在していて、他との違いに驚愕したものだが、塾長や先輩方の指導やアドバイスのおかげで、ど素人だった私も確実に進歩をしてきたし、最近では周りの人から意見を求められる事も増えてきて、とても充実している。

そして、進歩、成長しているのは、何も私だけではない。もちろん同じ頃に入った人は、私と同じか、私以上に伸びているし、さらに言えば、合気感覚のある人間が増えたことにより、最近入ってくる初心者の上達速度が半端ないのだ。私が数年かかって会得した事を、一年足らずでものにする人もざらである。

実際の話、「全員達人」も、もはや夢ではない。

虹をつかんだ男のココだけの話「気持ち」

6月3日、4日に豊橋に於いて、第2回全国指導者講習会が行われた。今回の合宿は、前日の大雨の影響で、当日の午前中までダイヤが乱れていたので、当初予定していた計画通りに現地に到着出来た人がいなかったのではないかと思う。私も御多分に洩れず、電車の行き先が短縮されたり、突如、臨時列車が運行しだしたりして、JRだけでなく、私鉄も活用しながら、最終的には、すし詰めの電車で揉みくちゃにされながらの現地入りと翻弄された。しかし、こんな私の状況はまだ良い方で、車で渋滞に巻き込まれた方や、朝一から午後の運転再開まで新幹線を待ち、超満員での立ち移動や、それにも乗れずに後発の新幹線まで待たされた者など続出で、遅刻を余儀なくされた方が多数いた。しかし、キャンセル者は誰一人出ず、全員が参加する為に奮闘した今回の合宿は、思い出深いものになったと思う。

そして、内容の方であるが、今回のテーマは、『「学び方」と「伝え方」を鍛える!』で筆記試験に、実技試験、そして、班別討議など、有意義なものであった。
指導者を目指す者として、伝える側に回れるように、技術はもちろんであるが、姿勢や態度についても、考える良い機会になったと思う。

『「合気を極める」を理念に全国の仲間と共に生涯進化し続ける』を実現するためには、『「伝え方」だけでなく「学び方」を知る必要がある。』のである。しかし、それ以前に、「一緒に上手くなりたい。」という思いが何よりも大事で、それが有れば放っておいても、姿勢や態度に現れる。という誰もが頷ける意見を聞き、思いやりの大切さを今更ながら再確認した。上辺だけでなく、本心から思える人間になり、より良い雰囲気作りに貢献したい。

虹をつかんだ男のココだけの話「日進月歩」

合気を使えるようになるには、地道な練功を積んで、合気のカラダを作るより他に方法はない。一朝一夕に達人になる事はないので、ただ単純に出来る事を少しずつ増やして、合気を扱えるカラダを作るのみである。
これは、誰にでも必要な過程であり、これ無しで、合気を獲得出来る人はいない。
なぜなら、それは、「元々持っている体の構造や動き」ではないし、「少々のアレンジや半端なマイナーチェンジ」で手に入れる事が出来る程安くもないからである。

普通の人の、普通の発想をベースにした、普通の人が可能な動きは、相手も普通の人である以上は、無意識のうちに、視覚や触覚で情報を処理されて、意図がたやすく読まれてしまう。
しかし、合気が出来る人の意図が読めないのは、体の構造の進化により、相手が視覚や触覚で処理出来ないように、情報操作を内部で行っているからである。もっと言えば、その人は、相手が触れた瞬間に合気が発動するようなプログラムを内蔵した体で、普通の人のように“擬態”しているのだ。それにより、情報が外部には出てこないので、それを見た普通の人は、自分と同じ“普通の人”と誤認してしまうのである。そして、そのまま、今まで自分が行なってきた普通の人に行う対処をするので、普通の人にとって想定外の事が起こり混乱するのである。

だからこそ、過去にも述べたように、触れた後の「結果」をいくら研究したところで何の意味もなく、触れる前に作られる「原因」の究明が必須なのだ。
その「原因」とは、当然、“擬態”した人が行なっている内部感覚の操作である。
しかし、前述したように、自力で掴めるものではない。だから、それを知っている人に教わるのだ。

かくいう私も、「原因」を教わり、たくさんの仲間と共に合気のカラダ作りに勤しんでいる。そして、塾生の全員が全員、確実に上達しているし、その上達スピードも以前より格段に上がっているという事実がここにある。

 

虹をつかんだ男のココだけの話「無駄」

前回は、合気の「基礎」の無い人間が、動画を見たところで何も得るものは無いという話をさせてもらったのだが、今回は、私がそう思う理由について述べたいと思う。

合気の現象化を見た時に、「不思議だ」と感じるのは、自分が今現在持っている頭脳や能力では解明出来ない事に驚くからである。しかし、この事実に直面しても尚、自分の経験と知識やそのアレンジで対処出来るはずと思ってしまう“挑戦者”が、かなりの数で存在する。なぜ、そのような勘違いが起こるのか?といえば、掛けている人が、自分でもマネ出来る動きしかしていないからではないだろうか?

現象自体はとても不思議なのだが、掛けている人の動き自体は、取り立てて難しい様には見えないのだと思う。だから、自分が見える範囲の光景を手がかりに、見よう見まねで試行錯誤を重ねる事になるのだが、残念ながら、寸分違わず動きを完コピしたとしても、合気が発生する事はあり得ない。

なぜなら、映像に出ている現象や人の動きは全て“結果”だからである。その“結果”だけを真似しようとしているので、自分1人の動きだけでは、当然無理がある。その無理を通そうとすれば、相手の協力や同意の下で自作自演に付き合ってもらうか、タイミングやテクニックなど、姑息な手段でお茶を濁すしかない。どちらも本物ではないという事はわかるだろう。

そして、これらが全て“結果”であると理解したなら、その“原因”を見つければ良いのだが、これもまた、絶対に無理なのである。なぜなら、その“原因”は自分が生きてきた中で経験した事がないものだからである。存在自体を知らないから思い浮かばないのである。

人間が導き出せる答えは、自分の知識と経験に基づいているので、目の前で起こった事象を、自分が知っている常識の範疇に落とし込んで考える。だから、動画を見た時に、体の動かし方や動かす角度やタイミングなど、“普通”の発想しか浮かばない人は、その時点で、動画で合気を習得しようとするには経験値が足りないのだ。

合気の現象が起こる“原因”として“意念”や“内部感覚操作”といったものが使用されているのだが、普通の人生を送ってきただけでは、体験することも出来なければ、知る機会さえもない。だから、知らないのは当然で、見えなくてもしょうがないのだが、誰かのお金と時間の無駄になるといけないので、この機会にお話しておこうと思う。