日々是合気

日々是合気「もしもピアノが弾けたなら~西田某じゃないけれど~」

常々、松原塾長より「力は不要です。力では無い合気の世界に入って下さい」と言うことを教示されてはいるのだが、未だ力の領域をウロウロと彷徨っている。

 

リキミを取り脱力状態で、意念を動かしているつもりでも実際は腕が動き、肩が動いている。

止まっていたとしても、それは固まっていてゴムのしなやかさは無い。自分が上手く出来たつもりでも微かな動きがある。

 

本来は、純粋に合気のカラダでもって相手と合気の状態、気のハーモニーを奏でなければ。

ただただ内部感覚でのシンクロ、あたかも透き通った透明な楽曲を奏でるべきところに雑音が入り台無しにしてしまっている。

 

もはや、皮膚の操作すらノイズなのだ。まして力むなどピアノを習ったこともないものが鍵盤を叩きつけているようなものだ。

 

ふと、もしもピアノが弾けたなら、合気のコツも早く掴めたのかな?などと妄想しながら合気のカラダを練る自分である。

 

        by タケゾウ

日々是合気「合気のカラダ」

合気練功塾にご縁をいただいて早4年。

学び始めの頃は、明解でシンプル、そして合理的な合気の仕組みに感動し、己の実力を顧みず、半年から1年も学べば合気を習得し、合気を使いこなせるような夢を抱いた。

しかし、現実はキビシイ!

自分が思っているより、自分の身体を操るのは難しいものだった。

確かに塾長が説かれる合気の原理はシンプルでわかり易いのだが、如何せん身体がうまく使えない。頭ではわかったつもりでも、カラダは納得していないのだ。

合気の原理プラス合気のカラダが必要なのだが、原理を理解できたとしても、そもそも自分の身体が合気のカラダになっていなければ合気は発現できない。

己の身体を合気のカラダにしていくには、たゆまぬ練習、合気練功が必要なのだ。

カラダを練っていくには時間がかかる。合気の完成はいったいいつなのか、焦りと半ばあきらめも混じる中、コロナの影響で4月頃より合気練功塾に参加できなくなった。

数か月振りに練功に参加して、塾生達の手を取った時、各々のカラダの内部が出来ている。成長してきている事を強く感じた。確かに合気のカラダがあるのだ。

練功を続けている時は、自分も仲間も共に成長しているので気付かなかったが、しばらく離れて久しぶりに手を合わせると、その成長ぶりが正に手に取るように感じられ、とても感動した。

合気のカラダは練れば練るほど高まっていく。松原塾長の手を取ればわかる。

塾長の合気は4年前もスゴイと思ったが、今は4年前とは比べものにならない程に進化している。

合気練功塾の合気は常に進化成長し続けている。

松原塾長の進化に引っ張られ、それを追いかけ塾生も進化し続ける。

今、自分も遅れを取り戻すべく練功に励むのみ。

楽しきかな合気練功!

 

by タケゾウ