神谷の呟き

合気の原理 自動運転技術について

自動車の世界では自動運転技術の開発が急ピッチで進められており、米フォードは2021年までに完全無人の自動運転を量産体制にすると宣言しているし(産経新聞0817)、日本のメーカーも2020年には高速道路での車線変更をふくむすべての運転操作を自動にすることを掲げている(官民ITS構想ロードマップ2016)。運転をする楽しみが味わえないなどの意見もあるようだが、運転に使う神経がフリーになった分で別の何かができれば、それはそれでレベルアップになるのだろう。

合気練功ではカラダ作りが一元(直線)から二元(複線)、三元(曲線 or 三次元)~。原理が「足裏感覚」からスタートして「推進力」「同調」~と示されている。合気の原理を武道・武術的に使おうと試みるときポイントは「〇〇しながら〇〇する」である。例えば、「足裏を感じながら重心移動させる」などである。足裏感覚を持つだけでも最低二元の感覚が必要で、最初からスパッと素早くできないわけである。練功の時間と質が積み重なるとゴムの感覚は当たり前となって、相手の重心が前足底なのか土踏まずなのかを感じられるようになる。その辺が自動運転になっているからカラダをつなげたまま重心を動かすこともできる。

合気練功の原理はわずか5つしかないが、初学は一つずつ確認し、2週目のヒトはそれらを連動させて、3週目は生の力が入らないように強く使って…の様に、カラダ作りと原理を二重螺旋のように周回するイメージで積み重ねていく。この時、徐々に自動運転の部分が増えていくのである。
さて松原先生が何周目かは存じ上げないが、先日の研究会で「相手の手に自分の重心を乗せる」、「ヒョイっと乗せるんですよ。ケンダマのように。注1」なんて説明があった。練功塾にもとうとう来ました、擬態語で表現する達人の世界。言うのは簡単で理解が難解な世界。でもわかってしまうとその表現しかない世界。

現場で理解ができなかったので、後日質問したところ「いろいろなものが自動運転になっているからそう感じることができた」のだそうだ。自動運転の境地にたどり着くしかないわけだが、自分の自動運転ときたら自動的に上腕に力が入り、不安定を嫌って自立に戻る。車の流れ(気の流れ)にうまく車線変更して同調していくならばよいのだが、挙句の果てには生の力で車(相手)にぶつかっていく困った自動運転が出る。
自動車の自動運転も余人には理解できないブラックボックスが行うのであろう。自分のカラダのブラックボックスを解析して調整していくことをボチボチやっていこうと思う。見えないものを観て(感じて)、普通では出会えない身体メソッドを体現することを楽しみとしているのだから。

注1:後日の説明で、先生の感覚は「正しくは、重心はボロンと出る」に進化した。

12042017

シンメトリーについて

シンメトリーについて

合気練功塾にはいわゆる「型」はないのだが、練習するときは、上、下、横と方向を決めて基本五系でそれぞれの方向の感覚をつかんでいく。このとき両手の時と片手の時がある。さらに相手が諸手(両手でつかむ)というのもある。私としては両手で行う方が、カラダがつながりやすくて上手くできる。
片手では基本二系(下方向)が力みやすく苦手である。片腕で何とかしなければと無意識に思うから(矛盾した表現だ…)だろうか、上腕三頭筋から肩甲下筋にかけて力んでいる部分が出現してしまう。普段の雑な動きで、肩帯まではつながるのだがそこから下がつながっていない。従って相手の力をもらって全身が上にあがってくことができない(上がっている時は、自分でつま先立ちになっているだけの、トホホ(;´д`)な状態である)。

自分自身や誰かが練習しているところを分析してみた。片手で上手くいかない時は、
・つかまれている手だけに意識がいっている。反対側の腕がダランとしてつながっていないことが多い。→ 術者のカラダの問題
・相手の足への圧よりも腕や重心移動の引きの要素が多すぎる。膝が曲がる方向にベクトルを作り出せていない。→ 足裏感覚がない。推進力の方向が間違っている。
・相手が動き出したとたんに、カラダを預けることが腕の力の抑えに代わっている。
→ 相手の変化に対する同調ができていない。

やはり両腕が身体とつながった合気のカラダであれば「一部だけ力む」状況は生じにくいように思う。逆の発想で力んでいるところと同圧で全身をつなげるという方法もあるかもしれない。力がぶつかっても先ずは体をつなげて相手に委ね、足裏の重心を感じることに専念である。

NTT基礎研究所の五味氏によると、スポーツ選手のしなやかな運動は脳が逐一筋肉に指令を出すことで可能になるのだという。合気練功は不随意筋を意念で動かす特殊な訓練を要するものである。運動前野から骨格筋に指令が出るときには、左右両方に逐一指令が出ているのであろう。それをどちらか一方の動きのみで表現するのは非効率な事かもしれないと思った。

さて、相手が諸手のとき私は最もつながりやすい。両方の手でガッチリつかまれる訳なので普通は片手では不利と思うが、ここも転換で「両手で力強く」とは相手の体がつながっている状態でわざわざ相手の身体をつなげていく手間が省けているのである。重心操作が多少雑でも、自分のカラダのつながりが切れないことに注力すればOKということだ。

追記:上記の五味氏の研究グループは振動を与えて、引っ張られた(牽引された)感覚を錯覚させる装置を開発しているそうだ。何もないのにゴムの感覚が生じる現象に関連しそうだ。
11262017

足圧と脳波のこと

足圧と脳波のこと
松原先生から合気練功とともに足圧法と操体法も教えていただいている事は前に書いた。

今回は足圧法。日本足圧協会のHPによると「古くはインドや中国の僧侶が修行の一環としてお互いの足を踏み合ったと言われる修行法が起源と言われ、リラクゼーション効果を高め現代社会のニーズに応えるべく確立された刺激療法」とのこと。
足を使ってリズム感よく筋肉を踏みほぐしていくが、このリズムがリラクゼーション効果を増幅させるそうだ。部位によって足を繊細に色々な動かし方をする。踏むといっても体重をかけて良いわけではないので基本的にずっと片足立ちの状態である。最初は腓腹筋、ひらめ筋はもちろん四頭筋や中殿筋がつりそうになる位の辛さであったが、徐々に鍛えられ自分の重心操作が良くなってきた(と思う)。踏んでいるうちに相手の筋肉の硬結も捉えられるくらい足裏感覚も鍛えられた。

踏み方のかたちがようやく覚えられたころ、大腿部の内側:内転筋を踏む際に松原先生にこういわれた。「足で踏んで皮膚を持ち下げ、筋にグッと圧を加えてから皮膚の弾性に任せて戻す。そのとき凝っているところがあったら筋の張りをジワ~っと伸ばす。」
‥‥足裏感覚と皮膚操作、皮膚の弾性力を感じるは推進力か? 圧をグッと加えて相手の反応を引き出してから…  ウ~ン、これはまさしく「合気の原理」!!

合気の技でも足圧でもそうだが、動きに慣れないうちはぎごちない。あれこれ考えるその気配は伝わって技術とはならない。松原先生によると治療の場面は患者さんよりも落ち着いた脳波で施術する必要があるとのこと。日常生活で緊張したりすると出るのがβ(ベータ)波で、筋肉系を活発に動かすホルモンが出ているときにもβ波となる。ご存じのようにリラックス状態で発生するのがα(アルファ)波で、ともなって分泌されるのはエンドルフィンである。さらに深い瞑想状態でθ(シータ)波もある。
古来の達人たちが無念無想の境地とはα波以下の世界。多幸感を与えるエンドルフィンが合気(愛気)とつながる事もあり得る。アウターの筋肉がガツガツ動いているようではβ波である。患者さんを思いやるように丁寧に合気の技を施して、はじめて力強い相手を無力化できるのだろう。立禅でも気功でも鎮魂行でも、自分の脳波を自分でチューニングできるならば、取り組む価値は大いにある。

追記:足圧は合気練功プロジェクト事務局の甲斐田先生が絶妙に上手とのこと。私もいちど踏んで頂かなくては。興味のある方は甲斐田操手院へどうぞ。
11192017

操体法と座取りのこと

操体法と座取りのこと
松原先生から足圧法と操体法も教えていただいている。両法とも細かいコツや理論があり、たいへん難しい。合気の練功とともにこれら3つの技術の同時習得はなかなかチャレンジングな試みに思われるが、登山道が違うだけで登っている山は同じであることがジワリと分かってきた。

操体法は健側の筋を使わせて体のバランスをとる技術で、練功塾でも練習の終わりに行っている。ヒトは生活の癖や利き腕などが原因で一部の筋が硬結して、痛みが生じたり姿勢が歪んだりする。最初私は「一部の筋に力みがあったり偏っていたりでは合気の技にも影響があるだろうし、施術してもらうことでチームビルディングにもなるから良いことだ。」程度に思っていた。ところが操法を行う時にゴムの感覚(インナーマッスル)を意識して行うと、合気の原理で操作するときと同じ反応がある。深層筋をつなげてアウターまで働かすのは「原理Ⅳ・裏の力」である。これを行えば松原先生のいう連動操体法となる。

さて座取りである。立って行う時と感覚が異なりとても難度が高い。座ると受けも取りも重心が動きにくいし、足裏感覚は脛の感覚となる。合気の原理は自分自身がきちんとつながった「合気のカラダ」でなくては現象が出てこない。座った状態で全身のゴムの感覚を維持して相手に重心を預けることができるか。(集中講座を受けた方々、高いハードルと思いませんか。)そこで私は操体法が良い練習となっている。施術は基本的に座った状態で操作するので連動操体法を意識することで座取りの練習となる。さらに施術を受けている方は基本的に力で抗うという反応は出にくいため、力んで上手くいかなかったときのストレスも互いに少ない。

松原先生の合気の技術は日々進化して、最近はますます薄味になってきている。その切掛けを伺ったことがある。施術に来られた膝の悪いご婦人が立ち上がられる際、「先生、ちょっと肩を貸してくれる?」と言われ、肩に手を置かれた。先生はきっと体重が乗るだろうと構えたが、ただ触れただけの圧力でご婦人は立ち上がられたという。ほんのわずかな事で重心移動が楽になるならば、わずかな刺激で重心操作は可能なはず。そんな施術の一場面から薄味の合気はスタートしたと聞いた。

11112017

さらに深層筋のこと

さらに深層筋のこと
練功時の動画編集を行っているとき家人にボソリといわれた「オジサンが2人向き合って髪ゴムを真剣に引き合う図って、シュール…。」客観的に見ればそうだよなと思った。しかしながら私にとって髪ゴムを引く練習は非常に重要なものである。相手のインナーマッスルを起動させる微弱な力加減、自分のカラダのつながりを感じる感覚の練習、引き合った互いの重心の位置を調整する練習。どれも合気の原理を発現させるに必要なものである。

前回の稿でインナーマッスル(深層筋)について記したが、近年スポーツでも整体でも注目されている存在である。大腰筋は達人の筋肉なんて表現も目にする。1日の練功を終えて帰ってくるととても眠たくなる。普段は不随意の部位を操作するため脳が活発に活動したことがあるだろう。インナーマッスルを使ったことで水泳をした後のような心地よい全身の疲労感もある。このままいけばBruce Leeのような均整な筋質とバネのような動きになれるのかも(期待?)。ゴムを引くことから始まって、自分自身の変化が楽しい日々である。

シュールとはシュールレアリズム「表現や発想が非日常的、超現実的であるさま」が語源である。松原先生の気付きと合気練功プロジェクトでやっていることの内容から鑑みるととても適切な表現である。

11042017