神谷の呟き

合気練功 他武道(柔系)に応用する 0115

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神谷の呟き064  合気の原理は慣性の法則にあり?!

塾長の説明でよく出るフレーズ
「相手が力を入れて頑張っていても関係なく、相手に反応が出る程度の接触で十分。」
この反応とは何かを考えてみる。

我々の姿勢保持は無意識で自律的である。誰かに押される、ぶつかられるといったことがあっても大人は倒れない。ましてや格闘技をしようなどと思う人は特にバランスが良い。バランスをとる機能が成長しきってない子供、足腰の機能に瑕疵がある、衰えてきているなどは別とする。ヒトの構造は重たい頭部が高いところにあるため、とにかく倒れないようにする仕組みがしっかりしている。それ故、ちょっとやそっとの外圧に対していちいち感じていないのが普通である。
山手線の混雑で確認してみる。よほどゆったりと立っている人でも、ジわっとある程度まで追い込むと、倒れないように何処かの筋肉に力が入る。これが足まで繋がったということかと思う。特段意識されている感はないから、接触点から力の入った場所まで「裏の力」が及んだという表現でいいのだろうか。自分の感覚でも確認してみる。カバン越しでも圧を足に受けることができるため、物を通じて繋がることは可能ということだ。

新幹線こだま号の発車、停止の回数は「のぞみ号」より多い。後ろの方に「ちょっとシートを倒していいですか?」と断って、シートにゆったりと座る。名古屋から3つめの停車ぐらいの時に気付いた。ゆったりと座っていても発車時の動きにカラダが反応している。止まり続けようとする慣性に対して、車両について行こうとする動きだ。意識をしなければ気付くはずもない自分のカラダの動き。この程度が十分な反応なのだろう。

停車時、発車時の反応は確認ができた。次はのぞみ号の加速と減速を受容して、感覚を磨いてみようと思う。

神谷の呟き 小脳にまかせよう。。。

ヒトの中枢神経は脳と脊髄である。別パーツにイメージされるが一続きになっている。特に脳は膨大になって特徴的なため、そこだけが取り出せそうなイメージを抱かせる。
脳の中でも随意運動を司るのは大脳である。感覚や記憶も大脳の機能である。
そして運動を習熟させるのは小脳である。

合気練功を修練するとき技術の学びであるので脳がフル回転である。操作感覚を感じる、手順を理解する、要求通りにカラダを動かす。大脳領域のはたらきである。
しかしながら考えながら行っている段階では相手に忖度していただかないと合気の繋がりは上手くいかないことの方が多い。多分、考えていることが相手に伝わってしまうためだろう。

スポーツの初心者を考える。野球でも空手でもビリヤードでも、最初の頃の動きは何かぎこちない。慣れてくると余分な力が抜けて動きが滑らかになる。これは大脳で考えながら動きを作っていたものが小脳に操作の分担が移行して、動きが習熟したためである。新しい動きや技術を習得するときは大脳での理解と小脳への移行が連動していかないと習熟できない。考えてやっているうちはまだまだなのである。
中部大学の平田教授のところで運動の修正能力を計測する実験に参加させていただいたことがある。考えながら運動の調整を行っているうちは精度にばらつきが多いことが分かった。また、サンプルになっている人によっても、感覚的に調整を行う人と理論的に考えて調整を試みる人など、対応に癖のようなものがある事にも気がついた。

幼少の頃、自転車の補助輪が外れるとき、色々とペダルの踏むタイミングやハンドルの位置に意識がいったことを思い出す。よく転んだがそのうち無意識にバランスが取れていちいち考えることなく乗れるようになった。尻が覚えたような感じがあったように思う。今では手放し運転はもちろん(公道ではやってダメですな)、MTBでオフロードの走行も楽しめる。いちいち考えなくとも小脳が自動的にバランスを取ってくれているのだろうと大脳で考える。

最近の私の合気練功は「なるべく考えないようにしたい」という方向である。必要な条件が不足したとき大失敗となるが、考えている内は相手を探ってしまう。
これが停滞となるか、上達となるかはおおいに不安だが、塾長の集中講座でも「上げてやろう!とか考えるとだめ。」と説明される。
もはや感じるだけでも大脳のはたらきをキャッチされるかもしれないので、なるべく小脳に頑張ってもらい操作を達成したい。

神谷の呟き 新幹線の車中での発見と反省

新年度になり、転勤を機に泣く泣く合気練功塾から離れられた方も出てきた。逆に新しい生活をスタートされた研究生もいる。かくいう私も新しい職場になり、まだペースが掴めず時間の配分がうまくいっていない。アップが遅延しており反省している。

合気のカラダ作りでは全身を繋げて弾力感を持って動けるカラダを目指す。
僅かな力でも動くことができると相手の関節に負荷を加えずに合気を通すことができる。通常のカラダの使いでは腕が働いて自分が足まで繋がっていない状態に陥りやすい。塾長に「固い」と評される。日頃から触れるものを利用して足まで、座っているときはお尻までつなげる練功を心掛ける。

新幹線では背もたれ部分にテーブルがついている。テーブルの一番下部を相手の足として自分のカラダを繋げてみる。このテーブルには可動部分があるので誠にちょうど良い。テーブルに掌を置いての2系の練習でもよいが、下から1系の方が難度が高い。過度に力を加えるとテーブルが動いてしまうため、ゆるく入る練功に適しているのだ。
このことは「Tスタイル」で文章を書いておられる研究生の方も実施されているそうで、道中、テーブルと繋がっているそうだ。皆様、お試しあれ。

先日、いつものチケットをネットで手配するのだが、年度初めの忙しい時期であったのでこだま号のグリーン車しか取れなかった。さていつものようにと、テーブルを出して繋がってみる。テーブルの感触を上方向の圧と感じてお尻にその重みを受ける。自分のカラダに座面に沈んでいく流れを感じる。セルフチェックでOKである。肩甲骨を皮膚操作で引き、前方に出られる感覚を臀部に摩擦として咬む。エマージェンシー!!
こだま号(グリーン車の?)のテーブルは手前に引き出す事ができるとは知らなかった。皮膚操作のとたんにテーブルはずるりと前に動き、結構な音で響いた。

合気練功では内部感覚で流れを作る。外見から見えるところに動きが生じていると、内部感覚で作りだしたせっかくの流れが動きとして減じていくと感じる。引くという操作はよほど気を付けていないと接触面を引っ張ってしまう。意念の操作を心掛けていても自分のカラダがいかに不随意であるか、反省する出来事であった。

神谷の呟き 二次元情報

ある講話で「若者に不足しているのは感動の機会である」と。
講師曰く、ゆとり教育は家庭での時間を増やす事で感性への刺激を期待したが、核家族化の影響で何を施したらよいかわからず、結果、「ゆるみ(ン!?)」になってしまったと。

ネットの発達と普及でとても社会は進歩したと思う。でも、記憶を外部に依存する傾向から明らかに何か失っているものを感じる。
我が家の子供達を観る。1日のかなりの割合をネットに費やしている。動画やオンラインゲームに興じて時間を失っている。画素は細かく、色彩もビビットに、動きもより滑らかになっている。さらに視点が複数であったり、普通では見えない角度やスピードであったりと肉眼に比較して情報は増えている。芋蔓式に次の動画が紹介される。
…。ネットへの接続で情報を得ることは容易になったのは間違いないが所詮は平面の視覚情報。その他の刺激の種類はない。果たして本当の感動はあるのだろうか?

合気練功プロジェクトではオンライン講座を配信している。一般動画では公開していない「合気のカラダ」の作り方や、基本5系の技の紹介など丸特情報満載である。見取り稽古になるように塾長も外見上の変化を大きめに表してくれているし、私も頑張って編集しているが、伝わる情報量はいかばかりだろうか。
申し訳ないが、定点。音量・音声も不明瞭なこともある。編集ソフトの能力も編集者の能力も…。

武術の技術を求めて方々へ出かけていた頃を思えばネットの普及はありがたい。スタートを探すに、選択肢を増やすことができる。でも実際の所、合気は触覚と内部感覚の世界。理屈を捏ねてみても触れて合気を感じてもらうことが本当のスタートだと思う。