シンメトリーについて

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シンメトリーについて

合気練功塾にはいわゆる「型」はないのだが、練習するときは、上、下、横と方向を決めて基本五系でそれぞれの方向の感覚をつかんでいく。このとき両手の時と片手の時がある。さらに相手が諸手(両手でつかむ)というのもある。私としては両手で行う方が、カラダがつながりやすくて上手くできる。
片手では基本二系(下方向)が力みやすく苦手である。片腕で何とかしなければと無意識に思うから(矛盾した表現だ…)だろうか、上腕三頭筋から肩甲下筋にかけて力んでいる部分が出現してしまう。普段の雑な動きで、肩帯まではつながるのだがそこから下がつながっていない。従って相手の力をもらって全身が上にあがってくことができない(上がっている時は、自分でつま先立ちになっているだけの、トホホ(;´д`)な状態である)。

自分自身や誰かが練習しているところを分析してみた。片手で上手くいかない時は、
・つかまれている手だけに意識がいっている。反対側の腕がダランとしてつながっていないことが多い。→ 術者のカラダの問題
・相手の足への圧よりも腕や重心移動の引きの要素が多すぎる。膝が曲がる方向にベクトルを作り出せていない。→ 足裏感覚がない。推進力の方向が間違っている。
・相手が動き出したとたんに、カラダを預けることが腕の力の抑えに代わっている。
→ 相手の変化に対する同調ができていない。

やはり両腕が身体とつながった合気のカラダであれば「一部だけ力む」状況は生じにくいように思う。逆の発想で力んでいるところと同圧で全身をつなげるという方法もあるかもしれない。力がぶつかっても先ずは体をつなげて相手に委ね、足裏の重心を感じることに専念である。

NTT基礎研究所の五味氏によると、スポーツ選手のしなやかな運動は脳が逐一筋肉に指令を出すことで可能になるのだという。合気練功は不随意筋を意念で動かす特殊な訓練を要するものである。運動前野から骨格筋に指令が出るときには、左右両方に逐一指令が出ているのであろう。それをどちらか一方の動きのみで表現するのは非効率な事かもしれないと思った。

さて、相手が諸手のとき私は最もつながりやすい。両方の手でガッチリつかまれる訳なので普通は片手では不利と思うが、ここも転換で「両手で力強く」とは相手の体がつながっている状態でわざわざ相手の身体をつなげていく手間が省けているのである。重心操作が多少雑でも、自分のカラダのつながりが切れないことに注力すればOKということだ。

追記:上記の五味氏の研究グループは振動を与えて、引っ張られた(牽引された)感覚を錯覚させる装置を開発しているそうだ。何もないのにゴムの感覚が生じる現象に関連しそうだ。
11262017

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