神谷の呟き

とある塾生の雑記 その2 「ゴム感覚(一元のカラダ)」

「ゴム感覚(一元のカラダ)」 

「合気練功のための修練体系」「合気のカラダ」の中に「身体内外のゴム感覚」というものがあります。一元のカラダ(1本のゴム感覚)の練功方法は非常にシンプルなもので、両手を胸前において両手の間隔を左右に広げる・縮める動き(開と合)だけです。しかしこの動きに合わせて、心を鎮め身体の力みをとり内部感覚のセンサー感度を徐々に高めていくととても不思議な感覚が出現してきます。

今回は、合気練功塾の重要なキーワードである「ゴム感覚(一元のカラダ)」について、この感覚を習得するまでの私自身のイメージの変遷(感覚の深化)を交えてお伝えします。

開:「磁石」⇨「納豆」⇨「餅」
私自身、一番最初に出現したものが、前回コラムでも書いたように磁石の斥力のような反発する力でした。両手掌を合わせて主連棒のようにゆっくりと回転させながら、両手間隔を少しずつ広げていくと手掌全体に納豆が糸を引くような粘り気をわずかに感じるようになりました。距離にして数センチほどでしたが、その感覚を頼りに練功を続けていくと、両手間の距離を伸ばしてもこの感覚が途切れなくなりました。さらに数ヶ月位繰り返し練功していると、納豆のようなネバネバとした感覚がだんだんと餅のような強い粘りに変化し、手掌だけでなく体全体にも広がっていきました。粘性が強くなってくると体を大きく動かさなくても気感も一緒に出せるようになり、内部感覚をより強く感じるようになりました。さらに体のセンサーの感度がより高まった影響なのか、今まで感じたり意識したりしたことがないような体の中に柱のような筒のような軸みたいなものを漠然と感じ取ることができるようになりました。

合:「ゴム風船」⇨「ゴムボール」⇨「螺旋丸」
反対に、両手間隔を縮める場合は最初からうまく感覚が出なかったため、まず脳内でゴム風船を圧縮するイメージで練功を続けていくとゴム風船の弾力が徐々に強くなりゴムボールのような感覚に変わってきました。さらに半年ほど経過すると気感が丁度良い具合に出てきたのと相まって、ゴムボールというよりまるで少年漫画の「ナルト」に出てくる螺旋丸のような空気を圧縮した塊に変化しました。
一元のゴム感覚については、入塾してまだ間がない頃、塾長より「壁からのゴムを引っ張ってくる」「空間を引っ張ってくる」ということを教えてもらいましたが、最近になってその感覚が物凄くよくわかるようになりました。

一年間の練功で、わらしべ長者ではないけれども、内部感覚が随分コロコロと変わってきたのだなと、改めて感慨深く思うのと同時にこれからこの感覚がまたどのように変化するのか、自分でも非常に楽しみです。個々人の内部感覚は千差万別であり絶対的なものではありませんが、言葉の持つイメージ力には物凄いパワーがあり、まさにこのイメージこそが要訣なのではないかという気がしますので、練功の際の一つの参考にしてみて下さい。

合気練功 転換.について

7月7日は被害が出るほどの記録的な大雨で残念ながら天の川は拝めなかった。科学が発展しても自然の力を凌駕することは無いだろう。昔は地球が真ん中のプトレマイオス天動説が一般的な捉え方だった時代がある。たびたび目にする絶対的な大地を中心と思ったかどうはわからないが、今はコペルニクスが提唱した地動説で地球が太陽の周りを周回していることは常識のこととなっている。これにならって、物事の捉え方が180度変わってしまう事を「コペルニクス的転換」と表現している。

合気練功にはいくつものコペルニクス的転換が存在している。
相手の重心を捉えるためには、半分相手に委ねた不安定さを内包するカラダで2人の均衡を持つ。不安定が肝心とはコペ.転換ではないだろうか。太極拳も「捨己従人」という、相手と流れに沿う要訣があるようだが、重心操作についても内包している表現なのだろうか?

武道では居着かないようにしなさいと言われる。蹴りを放とうものならば蹌踉めくことすら無いようにと、不動の足腰が大事と信じて鍛えて安定感を増してきた。武道経験者(でなくとも大人)はまず間違いなく不安定を作ることを無意識に避ける。しかし、合気練功ではこの不安定がないと繋がれない。相手の力を使うどころか導き出すこともできない。

原理2の推進力を生み出すときは、「押しているのだけれども押されている感覚」もしくは「引いているけど引っ張られている感覚」と感覚を転換する。物理の作用反作用の法則では当然なのだが、日常生活では受容できていないことがほとんどだ。

基本5系を練習すると、つい相手を「上げる」、「下げる」、「回す」と相手を何とかしようと接触点を意識してしまう。合気練功の技術は基本的に相手の出した力で相手の本体が動く現象が生じるものであるので、接触しているところを意識せず接触点から離れた体幹部を作用点とする。もちろんきちんと繋がった上で相手の足を捉えてからの事であるが、作用点を転換させた操作感覚を練功する。

いちいちコペルニクス的なのだからその捉え方が馴染むまでには時間とエネルギーがいる。個人レッスンに通っていたときに一度に頂いた情報量が多すぎて目眩がしたことがある。でも、そのあたりから何か新しい視点が開けたように思えている.

Tスタイル ~合気練功の日々〜  「上がらない合気上げ」

今週は合気練功研究会と気匠庵での個人レッスンで練功を積んでいらっしゃる研究生の T さんの文章をお送りします。

 

Tスタイル 〜合気練功の日々〜
「上がらない合気上げ」

はじめまして。50代半ばから武術を始め、合気練功塾にたどり着いたTAKAです。練功歴1年にも満たない私ですが、思いついたことを、自分なりのスタイルでブログにしてみたいと思います。よろしくお願いします。

合気上げ。武術に関心のある方であれば、誰しもできるようになりたいと思うでしょう。かくいう私も、合気練功塾に入ったのは、それが大きな目的の一つでした。
ところが、松原塾長は「合気上げは上がらなくても良い。」と言われます。つまり、つかまれている自分の腕を上げることにこだわりると、無駄な力が入り、せっかくできた相手とのつながりが切れてしまうからです。相手が「上がりたい」という状況を作ることが重要なのです。そこから、腕が上がるという現象が起きるのは、次の段階です。
合気練功は、内部感覚の訓練なので、目で見ることができる現象よりも、こうした身体の中を捉えることが重要なのです。
「上がらない合気上げ。」皆さんも発想を変えて、チャレンジしてみて下さいね。

先日の研究会で、松原塾長が、身体の膨張感を出す為の意識の仕方を「海が呼吸するように。」と言われました。(えっ!どういうこと?ところでその海はどこの海?伊勢志摩?沖縄?もしかしてハワイ?それはいつ?早朝?昼過ぎ?それとも夜?)余計なことばかり考えてしまう私でした。反省・・・。

TAKA

合気練功の功夫(工夫)について

日曜日に行われる練功塾は、最初の一時間は院生が輪番制で前に立ち塾生の練功のリードを行っている。そこで院生のそれぞれの工夫を「奥義伝授」などと笑って指導しているのだが、それぞれの感じ方や工夫がいろいろとあって参考になる。

ある院生さんの案内に、自分の足裏感覚を留意するために500円玉を足の母指球で踏んでいる感じで意識すると良いとあった。「なるほど!いい工夫だ。」他の院生さんは「じゃあ、俺は100円玉。」、「じゃあ10円玉」と金額ではなくサイズを小さく競っていき、でも最終的に一万円札を挟んで破らないけど逃さないに落ち着いた。確かに昔の剣豪の逸話に濡れた半紙を踏んで破らないというものがあったなと思った次第。

「合気は脳をハッキングすることで行う関節技である」という理解の仕方。
ある院生の案内で、ゴム感覚は関節が伸びることで、伸長する関節の弾力性として解釈するとどうだろうかというものがあった。従って人差し指を握られたときは中手骨、手根骨、肘、肩と多数の関節の弾力性を利用できるが、手首を握られたときは肘と肩関節のみの弾力性で制御を行うことになり、より繊細さが要求されるという説明であった。
塾長の説明では「関節が伸長した結果、それ以上伸長させまいと筋肉を収縮させる無意識の反応(つまり反射)は脳をハッキングすることの一つの要素でもある」であったので、ほぼ同意を得ているのかなと感じた。
確かに手首を掴まれると相手の力を感じてしまい、こちらも力みが出てしまう。練功塾では力をぶつけないは当然の条件であるので、これはクリアしているとして、手首を掴まれたときの合気のカラダ(弾力性)として感じとると確かに少し物足りない。指を握られて相手を操作するのは力の世界ではありえないが、合気練功ではむしろこの方が分かりやすい。自分と相手の関節を巧みに操作する事が合気練功の技の一部であるということで「関節技」でもある。関節が増えることで動きを生み出す要素が増えるので無意識的に繋がりつくられるが、関節数が減ると大きな筋肉の動きで参入しやすく、精緻に操作しないと力がぶつかるということであろう。
通常の生活では何かしてやろうと思うから力むのだが、これを合気練功では「我が出た」とか「色気が出た」と表現していた。合気の繋がりは互いに動きが生じている状況だと私は感じているので、力がぶつかって弾力性がない状態では、相手の力で動いてもらえる状況は消失する。塾長はこの動きの事を「流れ」と表現して、ぶつかっている状況を流れがないと言っているのだと思う。

合気練功を技と思えば、何かしようと意識が出るし、一度の経験でテクニックとして盗むこととも可能であろう。しかし練功は感覚のトレーニングで、だんだんと感覚が鋭くなっていく(積みあがる)と解釈すれば功夫であり、継続することで意味が生じてくるのであると私は思う。

とある塾生の雑記 その1 「内部感覚」

今週は前回、ご案内させていただいたように、塾生さんのアウトプットを紹介させていただきます。
いろいろな表現や考察が、皆さまの練功にプラスになる事と信じております。

「内部感覚」

皆さん、初めまして。合気練功塾に入塾して丸一年になる大屋と申します。
合気練功塾の動画で配信されていない、というか配信されても何をしているか今一つよく理解できないであろう「内部感覚」について、私自身の体験を通して言語化することにより、私自身の合気に対する整理だけでなく、皆さんの合気に対する理解への一助になればと思い、このコラムを書くことになりました。

まず「内部感覚」には自他両方の内部感覚があります。私自身も最近ようやく他人の内部感覚が少しずつ分かり始めてきましたが、自身の内部感覚がよく理解できていないと他人の内部感覚も理解できないため、日々の錬功に取り入れている準備運動的な内部感覚の養成法について列記します。

① 両手掌を合わせて擦り合わせる(30秒)
② 両手指をつけたまま、手掌を離し、指尖部(十宣穴というツボ)同士で拍手するように軽く叩く(30秒)
③ 両手をヘソの前まで下げて数cm離し、両手に意識を集中する

すると、両手や指先が、熱いお風呂に入った時に感じるようなジンジンとした感覚に包まれます。あまり難しいことは考えずに、この感覚が「気感」なんだと脳にインプットし、じっくりと味わいます。( Don’t think, feel. )

④ 蒸気機関車の主連棒のように両腕を交互にゆっくりと動かす

すると、両手が磁石の斥力のようにお互いに反発し合う感覚が出てきます。その状態で両手の間隔を少しずつ離し、この感覚が途切れないように繰り返し練功します。ある院生に教えていただいた③の状態から片方の手で反対の手掌に向かって指差し円を描くと、手掌にもその感覚が伝わるという意識のトレーニング方法も面白いので、是非試してみてください。

内部感覚について、私自身の勝手な解釈では体のセンサーの感度を最大限に高めて非常に繊細な感覚になると色々なことを感じやすくなる、またそのために如何に力まずにできるのかがポイントになると考えています。まだ、この感覚がハッキリとわからない方はまずはあまり力まずに①から④を繰り返し、この不思議な感覚を堪能してみてください。