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日々是合気「合気のカラダ」

合気練功塾にご縁をいただいて早4年。

学び始めの頃は、明解でシンプル、そして合理的な合気の仕組みに感動し、己の実力を顧みず、半年から1年も学べば合気を習得し、合気を使いこなせるような夢を抱いた。

しかし、現実はキビシイ!

自分が思っているより、自分の身体を操るのは難しいものだった。

確かに塾長が説かれる合気の原理はシンプルでわかり易いのだが、如何せん身体がうまく使えない。頭ではわかったつもりでも、カラダは納得していないのだ。

合気の原理プラス合気のカラダが必要なのだが、原理を理解できたとしても、そもそも自分の身体が合気のカラダになっていなければ合気は発現できない。

己の身体を合気のカラダにしていくには、たゆまぬ練習、合気練功が必要なのだ。

カラダを練っていくには時間がかかる。合気の完成はいったいいつなのか、焦りと半ばあきらめも混じる中、コロナの影響で4月頃より合気練功塾に参加できなくなった。

数か月振りに練功に参加して、塾生達の手を取った時、各々のカラダの内部が出来ている。成長してきている事を強く感じた。確かに合気のカラダがあるのだ。

練功を続けている時は、自分も仲間も共に成長しているので気付かなかったが、しばらく離れて久しぶりに手を合わせると、その成長ぶりが正に手に取るように感じられ、とても感動した。

合気のカラダは練れば練るほど高まっていく。松原塾長の手を取ればわかる。

塾長の合気は4年前もスゴイと思ったが、今は4年前とは比べものにならない程に進化している。

合気練功塾の合気は常に進化成長し続けている。

松原塾長の進化に引っ張られ、それを追いかけ塾生も進化し続ける。

今、自分も遅れを取り戻すべく練功に励むのみ。

楽しきかな合気練功!

 

by タケゾウ

虹をつかんだ男のココだけの話「ゴム感覚」

合気習得の上でまず取り組むべき課題がゴム感覚である。

この感覚が無いと何も始まらない。しかし、普通の人は、その感覚を持っていないので、作り出す必要がある。その人にとっては、元々無い物なので、「有る」と思い込むことから始まる。

まずは、両手を合わせ、指と指の間で作り出すのだが、元々無い物なので、指をくっ付けたり、離したりしても全くなにも感じられないと思う。そして、時々、その行動を客観的に見ている別の自分が現れて、「こいつ大丈夫か?」と思うこともあるだろう。

しかし、その思いを振り切ってこそ道が開ける。「有る」と信じてやっていると脳が変性意識に入り、この感覚が現れ出す。薄い感覚を感じたら、自分の経験を総動員して、濃厚な感覚に作り変える。嘘から始まり、嘘を膨らませ、嘘を信じ込めば嘘が本物になる。

自分で自分をだませれば、指や手の平にゴム感覚を作る事は、そんなに難しい事ではない。それを他の場所でも感じられるようにする。

この感覚が大事なのは、合気で相手を動かす力になるから。

人は、押したり、引いたりする筋力に対しては、数多ある経験から、その行為に対して、自分なりの対処法を持っている。自分より力が弱い者には上回る力で対処したり、力が強い者には、張り合わずに回避したりとパターン化した対応をする。だから、筋力を源泉とする行動は相手に読まれていて使えない。

そこで、源泉として、使えるのは、ゴム感覚である、弾力。

自分の足から相手の足までゴムを張り、そのゴムを引いて戻る弾力を使い、各々の足にある重心を2人で一つの重心へと作り変える。次にその重心にもゴムを付け、それを引っ張ることで弾力が発生する様にする。その弾力の効いたゴムを自分の足裏を剥がす事に使えば、自分が動かされることになるし、相手の足裏を剥がすことに使えれば、相手を動かすことが出来る。

体の内部を通し重心が弾力で引き寄せられるため、相手は根こそぎ持って行かれ、抗うことが出来ない。そして、重心を取られた状態で、その場で踏ん張ろうと握っている手に頼れば、それが推進力として働き、自分に頼りきった状態でくっ付いてくる事になる。

ところで、とても不思議なのだが、イメージ上のゴムも引っ張れば、必ず勝手に戻る。現実世界のゴムと同様に扱う事が出来る。自分のイメージも現実に介入出来るのだ。

まずは、ゴム感覚の標準装備を目指したい!

Tスタイル ~合気練功の日々~ 「増幅装置」

 ようやく秋らしくなってきた今日この頃、私の合気習得の修行は間もなく3年。当初は、「3年くらい続けていれば何とかなるだろう。ここで身に付けたものを合気道に生かしていければ・・・。」などとタカをくくっていましたが・・・。まあー、なんということでしょう!(どこかで聞いたセリフ⁈)とても3年では、何ともならないことがよく分かりました。しかし、合気習得への道筋ははっきりとしてきました。この道筋を指し示してくれるのが合気練功塾です。後は、練功あるのみ!皆さん、がんばりましょう!

 

 最近、松原塾長が「増幅装置」という言葉をよく使われます。1系(合気上げ)の場合、相手と足裏でつながってから、重心を僅かに動かし、身体のゴム感覚を生かして相手を操作します。この時、相手に自分の身体を引っ張らせた際、増幅装置を使ってその力を2倍にも3倍にして相手に返していくのです。0→10にするのは不可能に近いのですが、1→2、1→3にしていくのは十分可能です。この増幅装置が内部感覚であり、意念と言われるものなのかもしれません。「うわー、すごく(手を)押さえられている!」「うわー、すごく引っ張られている!」と思うことから、増幅装置が起動するのではないでしょうか。皆さん、練功を通して自分の身体の中に増幅装置を育てていきましょう!

 

 日曜日の練功塾で、松原塾長が「練功塾には段も級もありません。合気があるかないかです。」ときっぱりと言われました。合気の前ではみな平等なのですね。(うーん、深い!)

 そして、合気があるかないかを厳しく判定するのが、塾長と院生です。塾生同士で対人練功をして、「今日は調子いいじゃん。」などと自信をもって進んでいくと、目前に仁王門が建っています。そして、その門を通過しようとすると、その両側に金剛力士像が2人立ちふさがっています。左側には副長のIさん(人呼んで「練功塾の必殺仕事人」)、右側には院生のNさん(人呼んで「練功塾最強の用心棒」)。ここを通過するのは、至難の業ですが、運よく通過できたとしても、その向こう側には、ラスボスの松原大王が立ちふさがっています。ここで、タラッタララララー・・・。あえなくゲームオーバーです。

 うーん、先は長い・・・。

 10年は頑張らなければ・・・。                   TAKA

 

 

Tスタイル ~合気練功の日々~ 「やる気のない手」

 新型コロナウイルスの第2波も徐々に収まってきたようですが、まだまだ油断はできませんね。実は私も先月末に県外に出かけなければならない事情があったため、外出を控えている状況です。そんな中で、すごいニュースが飛び込んできました!なんと、名古屋と東京をリモートでつないで、リアルタイムで合同練功会を行うとのこと!いよいよ練功もリモートの時代になっていくのでしょうか。更に将来は、3Dゴーグルをつけ、バーチャルの松原塾長と練功する時代が来るのでしょうか?楽しみですね。

 ところで、先日の個人レッスンで、松原塾長が「やる気のない手」ということを言われました。1系(合気上げ)を行う際、最も重要なのは、相手につかまれている手首を動かさないことです。(ここからはご自分の手首をもう片方の手でつかんで読んででみてください。)ところが、手を開いただけで、相手は筋肉の動きを感じてしまいます。更に言えば、親指を少し動かすだけで、相手は筋肉の動きを感じてしまいます。よく、つかまれている腕を動かさないよう言われますが、腕は勿論のこと、指先さえも動かしてはいけないのです。人間の手のセンサーは、些細な動きも関知してしまうのです。これは厄介ですね。よく合気上げの極意は「朝顔の手」と言われますが、指を1ミリ動かしただけで、相手は反応してしまいます。

 しかし、手の形は変えずに、つかまれている手首の部分をほんの少しだけゆっくりと、相手の手のひらに押し付けてみてください。意外とそれを感知するのは難しいのではないでしょうか?(ここがミソ⁈)

 つまり、つかまれた手を何とかしようと思っただけで筋肉が動き、感知されてしまうのだとしたら、何とかしようと思わなければいいのです。松原塾長がよく言われる「相手が勝手に上がりたくなる」状況をつくり上げることができればOKなのです。相手の足裏と自分の足裏をつなげ、身体のゴム感覚(ここがミソ!日々の練功によってこういう感覚を培っておく!)を使って相手の重心を巧妙に操作できれば、合気練功塾の合気上げは、ほぼ完了です。

 

 みなさん、「やる気のない手」を意識して、練功に励んでくださいね。ちなみに、私は身体全体でやる気のなさを表現して練功する時があります。当然、顔の表情も「やる気のなさ」を前面に出して・・・。とろんとした目をして、口も少し開いて、鼻もよだれもたらして・・・・・。これはやりすぎですね。何事も程々がよろしいようで。

ここで一句

つかまれた 手首じゃないよ そこは足裏

さらに 

やる気なし 思わせ実は 足ぱんぱん                  

最後に

バーチャルも   松原塾長 無双です          

                                         TAKA                                                                            

 

 

空をつかむ「必要な力」

ここ何回かのブログでも書いているが、相変わらず「筋力」の沼にはまっている。自分では腕を上げているだけで力を入れないようにしていても、上腕二頭筋が盛り上がる。

「弾力をもってからだの中のゴムを引く」ということに腕をつかってしまう典型だと思う。相手の力を感じた際に、すぐに対応できる部位で対処することが、からだにしみついてしまっているのかもしれない。

もっと言うと相手が出してきた力に自分が同調させられてしまい、同じように力を入れてしまっている。こうなると合気どころの騒ぎではなく迷走する…

ただ最近思うのは、とにかく力を入れてはいけないというわけではなく「無駄な力」は入れない、ということなのかなということ。一元、二元、三元…を行う際、見た目はその場でほとんど動かないが、からだの中にゴム感覚をもって自分で広げる力を自分で戻す、とか後ろに行く力を前に戻す、とか。

その際、からだの中では自分自身で結構な力が生み出されているのを感じている。たとえば後ろに行く5の力を0に戻すのではなく、5の力分前に行く力で戻しバランスをとる。結果10の力が生まれている。これをからだ全体で行うことで、かなりの力というかエネルギーが発生し全体が張ったようになる。

これで相手と遊びがない状態で接触すると同調し、相手の体に作用するのではないかと。(ただし作用させるには相手とからだをつなげることは大前提)なので、力は入れないわけでもないしまたどこかの部分だけを極端に入れるのでもいけないのかと。

と簡単に語っているが、このからだを作るのは本当に難しい。何をするにもずっとこのからだでいられれば良いのだろうが簡単にはいかない。背骨揺らしや一元、二元などで合気感覚を生み出すからだ作りをしっかり行わなければ難しいだろう。