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Tスタイル  ~合気練功の日々~ 「えびそば一幻!」

 7月17日に北海道で行われた「第2回合気練功集中セミナー」に参加をさせていただきました。

 

 前日の夕方にLCCで中部空港を発つはずが、何と遅延!予定よりも大幅に遅れ、結局宿舎についたのは22時近く・・・。うーん、疲れた・・・。コンビニで買った弁当を食べて就寝。

 翌日、朝9時少し前に会場に到着。松原塾長をサポートするスタッフは、東京の松原塾のメンバーのYさん(世界で活躍する合気道の達人!私はひそかに「ターミネーター」と呼んでおります。)、そして合気練功研究会のメンバーのNさん(研究会で群を抜く実力者。見た目も迫力十分!人呼んで「合気練功塾の用心棒」)今回の参加者6名のうち、前回に続いて参加された方は3名。新規で参加された方が3名。

 定刻通り始まったのですが、数回の休憩と数十分の昼食休憩をはさみ6時間!みっちり合気習得の為の練功が行われました。松原塾長は、座学では理路整然と「合気練功塾の合気の原理」を説き、実技指導では全員に腕を取らせて(手をつかませて)技をかけていきました。(前回と同様に)参加者のお一人は思わず「すげー!マジか!」とつぶやいていました。そうそう、この言葉が聞きたかったんですよ!直接、松原塾長の腕を取らなければ分からないんですよね。

 

 北海道や大阪のセミナーに参加させていただいて感じるのは、参加される方々の熱量のすごさです!なかなか松原塾長に直接指導を受けることができない方々にとっては、超貴重な時間なのです。一字一句聞き逃さないぞという姿勢や態度。ホワイトボードに書かれた練功塾の合気の原理を、休憩時間にスマホのカメラで撮る姿はもはや恒例行事。普段から松原塾長にご指導いただいている私達がなんと恵まれた環境にいることか!うかうかしてると抜かされまっせ。(なぜか関西弁!)

 

 塾長、ターミネーター、用心棒の皆さん(失礼!)は当日の夜のフライトで帰られたのですが、私は所用もあり、札幌市内のホテルに宿泊。

 後日、帰りのフライトの前に新千歳空港にあるエビみそラーメンの店「えびそば一幻」(以前から目をつけていた店)でラーメンを食べようとしたのですが・・・。時間が微妙。人気のある名店なので並ぶこと必至。10時開店なので、開店前に並んで食べて、間に合うかどうか。実は、松原塾長が新千歳空港の同じ店でラーメンを食べていて、危うく飛行機に乗り損ねるところだったというラインが入っており、迷いに迷って・・・。結局、別の店でホタテ・イクラ丼をいただくことに。これはこれでおいしかったのですが、当初の予定は達成できず残念!エビみそラーメンはまた次回にとっておくことにします。(;´д`)トホホ・・・。

 

 

今日の一句(北海道バージョン)

 

今回も やっぱり聞けた マジ、スゲー!

今回の セミナースタッフ 最強(凶?)です

ラーメンを 食べると保安(検査)場 入れない?

エビそばや ああエビそばや  エビそばや(どれだけ食べたいねん!)   TAKA

 

 

 

 

早く仙人に!「テンセグリティを自身の身体に置き換えると」

今回はテンセグリティを自身の身体に置き換えてみます。

 

テンセグリティは、ゴムで棒を引っ張り合って成り立ってます。

 

身体に置き換えてみます。

塾長は準備運動の時「この感覚を忘れないで下さい」もしくは「維持して下さい」とも言います。

(ご興味がある方は見学もしくは、体験をお勧めします)

 

身体でテンセグリティの状態を作ってるんだと思います。

 

テンセグリティのゴムは引っ張り合って形成されてます。

 

でも、テンセグリティを固定して、上から軽く押すと、ゴムが伸びます。

 

ゴムは引っ張ってるのに、押されるとゴムが伸ばされます。

 

コレが遠心性収縮だと思います。

 

松原合気は遠心性収縮を使って、「伸びたものは縮む」と言っております。

 

今迄、筋肉だと思ってましたが、実は違うのです。

 

この身体の使い方が難しく、理解してる人と練功しなければ、答え合わせは出来ません。

 

宣伝にはなりますが、オンライン会員の動画では、この順序を分かりやすく説明しております。

 

松原合気が眉唾だと思う方は、オンライン会員から始めてみてはいかがでしょう?

 

〈ポイント〉

・テンセグリティは身体に例えると=全身が繋がっている。

 

・テンセグリティを固定=足裏。

 

・筋肉はあまり使ってない。

 

・相手と繋がる時は、繋がる順番が必要。

 

因みに塾長は、繋がる順番はあまり関係ないみたいです。

 

日々是合気「合気練功の道筋」

最近すこし合気がわかりかけてきた。合気が出来るわけではなく、合気にいたる練功の仕方がわかってきたというのが正しいかな。

 

まだ先は長い、簡単にはつかめない。とんでもないことに首を突っ込んでしまったというのが正直な感想。

 

言い換えれば、死ぬまでずっと愉しめる道楽にはまったということでもある。

 

たまに、知り合いに合気を掛けてほしいと言われるが

できるだけ丁寧にお断りしている。

 

まだまだ、そんなことは滅相もないことである。

 

        byたけぞう

Tスタイル ~合気練功の日々~ 「丹田」

 度重なる緊急事態宣言の発出と延長の繰り返しで、やり切れない思いでお過ごしの方も多いと思います。しかし、いわゆる「おうち時間」が増えることは、個人練功の時間が増えることにつながります。この機会を生かしてじっくりと練功に取り組みましょう!

 

 今回は「丹田」について考えていきたいと思います。もちろん、独断と偏見のTスタイル流で!

 丹田と言っても、(三丹田説に基づくと)上丹田・中丹田・下丹田に分かれますが、今回はへそ下三寸の下丹田を取り上げます。

 

Q(クエスチョン)1 そもそも丹田は本当にあるの?

 医学的・解剖学的に言えば、丹田はありません。しかし、多くの武術家は丹田の存在を認めています。しかし、武術書をよく読んでみると、「丹田がある」のではなく、「丹田を意識している」のです。丹田は存在しているものではなく、意識もしくは認識するものではないでしょうか。

Q(クエスチョン)2 では、ズバリ、丹田とは何?

 ある武術家の著書には、「丹田は身体の物理的なバランスの中心である」と書かれています。つまり、武術的な鍛錬を重ねていくと、自分の身体のバランスを下腹部の一点で取ることができるようになるのです。いわゆるハラ(腹、肚)ができる状態です。これが丹田の正体なのではないでしょうか。

Q(クエスチョン)3 丹田はどう鍛えるの?

 丹田は意識するものであり、身体のバランスの中心であるとすれば、常に身体のバランスの中心を意識しながら練功することが重要です。もちろん、実際に身体を動かしながら練功することも大切ですが、最終的には、身体を動かさず、意識(意念)だけで身体の内部を動かしながら行うことが求められます。なぜなら、丹田は意識の産物だからです。そうです!「抱木站椿(ほうぼくたんとう)」、言い換えれば「立禅(りつぜん)」です。(もちろん、これが全てではありませんが・・・。)

 ということで、最近「立禅」に興味を持ち、いろいろな書物を読んだり、YouTubeの動画を見たりしながら、自己流で毎日少しづつ取り組んでいます。しかし、これが結構辛い!数分間が限界!しかし松原塾長は合気を習得する修行の一環として、何と30分間も立禅を続けていたとのこと。さすが、塾長!人知れず努力を重ねてみえるんですね・・・。

 

今日の一句

梅雨入りで 天候(てんこう)気にせず 練功(れんこう)す

勇気出し 妻に一系 お願いし

つかまれた 腕を上げると にらまれる

ごめんなさい やっぱり一人で 練功し

反省の 気持ちを込めて 立禅す

 

事実ではありません。空想です・・・。ハイ。

                      TAKA

 

 

虹をつかんだ男のココだけの話「結果として」

合気上げが成功すれば、相手は上がる。それは、とても見映えが良く、その不可思議さは、人に興味を抱かせる。だから、合気上げに魅了された人は、他人を上げたいと強く願う。

しかし、これは、何も知らない人が必ずハマる罠で、知っている人が回避させてあげる必要がある。当然だが、合気練功塾生で、深みにハマってケガをする人はいない。

「人が上がる」という結果を「人を上げる」に目的化した人の末路は、その夢を叶える事が出来ずに挫折するか、妙なテクニックや小細工を駆使した〝クセがスゴい合気上げ〟を身につけて悦に入る事になるだけなので悲惨である。

「人が上がる」は、結果であって、目的ではない。「人を上げる」を目的にすれば、その意図が相手に伝わるから妨害されるのである。

では、何を目的にすれば良いのか?

前回書いたように「弓矢」を作る事である。それも、弦を目一杯引いた弓である。引いた弦は絶対に戻る。「引く」事は目的を伴ったアクション(行動)であるが、「戻る」事はリアクション(反動)であるので、引く事によって必ず起こる。そこに意図が存在する必要性が無い

だから、何度も言うように、「人を上げる」意図を持つのではなく、「人が上がる」仕組みを作る意図を持つ事が必要なのだ。

実際、上手な人に合気上げを掛けて貰うと分かるのだが、最初は両足で踏ん張って腕を押さえ込んでいても、重心が足から手の方に上げられるにつれて、バランスをとるために手を使う事を余儀なくさせられる。

 

足より手の方に多めに重心が移ると、最終的には相手の手にしがみつくしかなくなる。はじめは押していたはずが、知らず知らずのうちに、自分の重心が上げられるにつれて、「倒れたら危ない!」という危機回避の本能が優先し、頼れそうなものにしがみつこうとするのだ。

 

側から見ていると体勢は変わっていない様に見えるのだが、掛けられている人間の状況は激変しているのだ。そして、まさにこの状態が2人で弓矢を作って引いている状態で、あとは軽い刺激が入ればで自分は上がる事になる。

つまり、出来る人は、「上げよう」と思っているのではなく、段取りを終えて「上がるに決まっている」としか思っていないのだ。

そして、もちろん、これは合気上げだけでなく、他の現象化にも当てはまる。