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Tスタイル ~合気練功の日々~ 「丹田」

 度重なる緊急事態宣言の発出と延長の繰り返しで、やり切れない思いでお過ごしの方も多いと思います。しかし、いわゆる「おうち時間」が増えることは、個人練功の時間が増えることにつながります。この機会を生かしてじっくりと練功に取り組みましょう!

 

 今回は「丹田」について考えていきたいと思います。もちろん、独断と偏見のTスタイル流で!

 丹田と言っても、(三丹田説に基づくと)上丹田・中丹田・下丹田に分かれますが、今回はへそ下三寸の下丹田を取り上げます。

 

Q(クエスチョン)1 そもそも丹田は本当にあるの?

 医学的・解剖学的に言えば、丹田はありません。しかし、多くの武術家は丹田の存在を認めています。しかし、武術書をよく読んでみると、「丹田がある」のではなく、「丹田を意識している」のです。丹田は存在しているものではなく、意識もしくは認識するものではないでしょうか。

Q(クエスチョン)2 では、ズバリ、丹田とは何?

 ある武術家の著書には、「丹田は身体の物理的なバランスの中心である」と書かれています。つまり、武術的な鍛錬を重ねていくと、自分の身体のバランスを下腹部の一点で取ることができるようになるのです。いわゆるハラ(腹、肚)ができる状態です。これが丹田の正体なのではないでしょうか。

Q(クエスチョン)3 丹田はどう鍛えるの?

 丹田は意識するものであり、身体のバランスの中心であるとすれば、常に身体のバランスの中心を意識しながら練功することが重要です。もちろん、実際に身体を動かしながら練功することも大切ですが、最終的には、身体を動かさず、意識(意念)だけで身体の内部を動かしながら行うことが求められます。なぜなら、丹田は意識の産物だからです。そうです!「抱木站椿(ほうぼくたんとう)」、言い換えれば「立禅(りつぜん)」です。(もちろん、これが全てではありませんが・・・。)

 ということで、最近「立禅」に興味を持ち、いろいろな書物を読んだり、YouTubeの動画を見たりしながら、自己流で毎日少しづつ取り組んでいます。しかし、これが結構辛い!数分間が限界!しかし松原塾長は合気を習得する修行の一環として、何と30分間も立禅を続けていたとのこと。さすが、塾長!人知れず努力を重ねてみえるんですね・・・。

 

今日の一句

梅雨入りで 天候(てんこう)気にせず 練功(れんこう)す

勇気出し 妻に一系 お願いし

つかまれた 腕を上げると にらまれる

ごめんなさい やっぱり一人で 練功し

反省の 気持ちを込めて 立禅す

 

事実ではありません。空想です・・・。ハイ。

                      TAKA

 

 

虹をつかんだ男のココだけの話「結果として」

合気上げが成功すれば、相手は上がる。それは、とても見映えが良く、その不可思議さは、人に興味を抱かせる。だから、合気上げに魅了された人は、他人を上げたいと強く願う。

しかし、これは、何も知らない人が必ずハマる罠で、知っている人が回避させてあげる必要がある。当然だが、合気練功塾生で、深みにハマってケガをする人はいない。

「人が上がる」という結果を「人を上げる」に目的化した人の末路は、その夢を叶える事が出来ずに挫折するか、妙なテクニックや小細工を駆使した〝クセがスゴい合気上げ〟を身につけて悦に入る事になるだけなので悲惨である。

「人が上がる」は、結果であって、目的ではない。「人を上げる」を目的にすれば、その意図が相手に伝わるから妨害されるのである。

では、何を目的にすれば良いのか?

前回書いたように「弓矢」を作る事である。それも、弦を目一杯引いた弓である。引いた弦は絶対に戻る。「引く」事は目的を伴ったアクション(行動)であるが、「戻る」事はリアクション(反動)であるので、引く事によって必ず起こる。そこに意図が存在する必要性が無い

だから、何度も言うように、「人を上げる」意図を持つのではなく、「人が上がる」仕組みを作る意図を持つ事が必要なのだ。

実際、上手な人に合気上げを掛けて貰うと分かるのだが、最初は両足で踏ん張って腕を押さえ込んでいても、重心が足から手の方に上げられるにつれて、バランスをとるために手を使う事を余儀なくさせられる。

 

足より手の方に多めに重心が移ると、最終的には相手の手にしがみつくしかなくなる。はじめは押していたはずが、知らず知らずのうちに、自分の重心が上げられるにつれて、「倒れたら危ない!」という危機回避の本能が優先し、頼れそうなものにしがみつこうとするのだ。

 

側から見ていると体勢は変わっていない様に見えるのだが、掛けられている人間の状況は激変しているのだ。そして、まさにこの状態が2人で弓矢を作って引いている状態で、あとは軽い刺激が入ればで自分は上がる事になる。

つまり、出来る人は、「上げよう」と思っているのではなく、段取りを終えて「上がるに決まっている」としか思っていないのだ。

そして、もちろん、これは合気上げだけでなく、他の現象化にも当てはまる。

早く仙人になりた~い!「自作テンセグリティの経年劣化」

テンセグリティを自作して思ったこと。

テンセグリティはYouTubeを観て自作する事ができます。

ストローと輪ゴムで作ることができます。

輪ゴムは劣化します。

半年前に作ったテンセグリティを部屋の片隅に放置状態。

ふと気づくと輪ゴムの張りがなく、形が崩れている。

輪ゴムが劣化して、ゴムの役目をはたしてません。

ストローは劣化してません。

ストローを「骨」ゴムを「筋肉やスジ」と考えます。

ゴムがなければ、ストローを支えられないって事?(理科室の骨格教材)

でも、「ストロー」がなければ「ゴム」の役割は意味がない。

ストローあっての「ゴム」、ゴムあっての「ストロー」…?

建物に強度を増すため、筋交や鉄筋を入れたりしますよね。

前回の「鉄棒」の話と繋がってると感じました。

話は変わります。

先日、塾長が座取りから、合気上げをされた時に、相手を上げるだけでなく、自身もシュと立ちました。

YouTubeでよくみる座取りだと、チョイ上げしてから、横崩しが多いと感じます。(違ってたらスミマセン)

「一瞬、重心をずらす」と「ずっと重心を支配する」の違いだと思います。

身体の使い方を知るには、個人レッスンで塾長の手を取るか、練功塾に来て皆んなと楽しく練功してみてはいかがでしょう。

ウサン臭いと思えば、オンライン会員からはじめても良いと思います。

「足裏」からの跳ね返りは、天才なら14歳で解るそうです。

私は未だ「解る」ではなく、やっと「判る」レベルです。

使わないゴムは、劣化したり切れたりするので身体も一緒と考えたら、以前書かせて頂いた「ギックリ腰」のレポートにもつながるのかも?

いつになるかわかりませんが「放置状態のテンセグリティ」と「毎日少しだけ、引っ張るテンセグリティ」の比較をしたレポートを書いてみます。

日々是合気「カラダのしなやかさを考えてみて」

仕事で、金属材料を扱う。

丸い棒状のものや、平たく棒の様に長いもの。大体5メートル位のものを必要に応じて、切断するのだ。

 

この時、不思議におもうことがある。長い状態のときは、太さにもよるが、結構撓る。こんな硬い金属がバネ感があるというか、柔らかさがある。

 

短く切ったものは、全く撓らない。柔らかさは感じられない。

 

ふと、考えたのはカラダも一緒かなと。カラダを手から足まで、ひとつに繋いで長いものとして使えば、弾力があり、前腕のみで短く使えば硬くて弾力はでない。

 

以前は、体をひとつにして使えという言葉を、固めて使うことと捉えていたが、それだけではなく、カラダをしなやかに使うコツを伝えていたのかもと感じた。

 

合気を武術に使うには、強靱なカラダがいるのだろう。(強靱とはつよくしなやかということ。)

 

               byたけぞう

 

虹をつかんだ男のココだけの話「弓矢」

筋肉の収縮には、求心性収縮と遠心性収縮がある。

求心性収縮は、筋繊維を縮めながら力を出す。それに対して、遠心性収縮は、筋繊維を伸ばしながら力を出す。以前に説明したように、コップの水を飲もうとして口に近づけて来る行動が求心性収縮で、飲んだコップをテーブルに置く時の行動が遠心性収縮である。この時、「飲みかけの水がこぼれない様に」とか、「勢いでコップが割れない様に」などと筋肉を伸ばして力加減を調節している。

そして、このどちらが、合気で使用できるのかと問われれば、もちろん「遠心性収縮」なのだが、それだけでは、不十分なのである。なぜか?

伸びた筋肉が戻って来なければ何も起こらないからである。初めの頃は、せっかく遠心性で伸ばした筋肉を、禁断の求心性収縮を使い戻そうとして、次の瞬間、自分が浮かされてしまい、絶望を覚えるという経験をする事になる。では、どうすべきか?

相手に引っ張られて筋肉が伸びた時、戻そうと思っては駄目なのである。いつ引っ張られても、きっかけ一つで戻れる様な仕組みを作るのである。

「思う」とか「意識する」以前に、戻ってしまうよう「システム化」するのだ。そのために、ゴム感覚が必要なのである。

ただ単純に腕を伸ばしても、何も起こらなくて2人の間に気まずい空気が流れるか、相手に引っ張られて終わりなのだが、自分の身体にゴム感覚が内包されていれば、相手がどれだけ強い力で自分を引こうが、その力は自分を引っ張る力として使う事はできなくなるのだ。

理屈としては、何度か書いていると思うのだが、引いた時点で相手の重心が腕に移動するので、足は浮いている状態で自分を引き込む事が出来ない。また、2人の身体は、ゴムを通して足裏から足裏まで繋がっているので、相手が自分に影響を及ぼそうと力をだしても、直接自分には伝わらず、ゴムの張りを強化することに使われる。

繋がって一本のゴムのようになった2人の身体は、1人が自分勝手に相手を引っ張ろうとしても、2人ともに同じテンションが掛かり伸びるのだけなのだ。そして、一杯に張られた状態のゴムの端である相手の足裏を剥がせば、ゴムの戻りで相手が前に出て来ることになる。

「2人で作った弓で、相手が勝手に矢となって飛んで来る」、こんな仕掛けを作るのだ。