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虹をつかんだ男のココだけの話「共鳴」

たった今、第一回指導者講習会が終わった。今月の締め切りに追われた私は、帰りの電車に乗りながら本文作成中である。

30人の志熱い者達が集まり、一泊二日で行われたわけだが、「楽しい達人」集団を目指す、合気練功塾ならではの実りある合宿であったと思う。実技指導はもちろんのこと、筆記試験に、夜は班別討議と盛り沢山で、厳しくも楽しい内容であった。

講習会のテーマは「共鳴する心と技」。独りよがりでは、合気の技はかからない。それはなにも技だけに限った話ではない。技を掛ける時に、自分の都合だけで、相手の事を考えずに力任せに動いても、その力は相手の力とぶつかってしまう。その事は、皆さんも経験上よくご存知だと思う。でも、本当は、それ以前の問題なのだ。
相手に触れる前の対峙した時点で意識がぶつかっているのだ。“やる気”が漏れ出た時点で相手に警戒されてしまう。だから、その時点で失敗が決定してしまう。考えてみれば当然の事だが、合気が成立するのは、相手の邪魔をせず、相手のやりたいようにさせてあげるしか正解はないのだ。「相手に技を掛けてもらう」という様なマインドを持っていないと、どこかの段階で相手と“ぶつかる”事は避けられない。

しかし、もう一段階深く考えてみると、これらの事は、合気修得の本質にまでは達していない事が分かる。
つまり、今回のテーマが提起しているのは、日常から「ぶつからない」という事なのだ。合気の練功をしている時だけ気をつけるのでは足りない。そもそも、普段、生活をしている時に、相手に敬意を払えない者が、技を掛ける時だけ相手に敬意を表する事など出来るはずが無いのだ。
だから、常日頃から人と接する時に、その人が心地よくいられる様な態度で接する必要があるのだ。

そのために一番良い方法は、自分が機嫌良くいるという事である。機嫌の良い人に対して、マイナスの要素を抱く人はいない。もしいるとすれば、その人は元々、何らかの理由で自分の事が嫌いなのだ。

そして、もう一つ、今まで生きてきた事で強烈な思い込みがある。何か良い事が起こらないと自分の機嫌が良くならないのだ。
これは、「機嫌が良い・悪い」を運や結果など、外部要素に決められているからである。その時の感情によって気分が悪くなるのだ。

その思い込みを理解して、今後、自分の機嫌は自分で取ると決める事だ。運や結果を吟味して感情を揺さぶられる事なく、自分自身で判断を下す。それさえ分かっていれば、自分の機嫌は自分で取れるだろう。

まず、常日頃の他人との接し方を見直したいと思う

はやく仙人になりた~い!「リードと愛犬の関係と、自身の繋がりについて」

最近思った事です。
愛犬にリードを引っ張られる。という事は自身の身体は「遠心性なのか求心性なのか?」合気の身体は遠心性の方が良いと認識している。

実は、愛犬に引っ張られているけど、自身は引っ張り返しながら愛犬に着いていっているのではないか?。(求心性のまま引っ張られている)

四足歩行で、しかも全身で引っ張られるとトイプードルでも結構振り回される。

念の為、愛犬のリードは首輪ではなくハーネスタイプです。

話を戻します。お互いが向き合って綱引きの様に引っ張り合っている訳では無いので練功塾で言う「〇系」には当てはまらないと思います。

最初は、愛犬が止まっている状態からスタートする時が「遠心性」練習になります。(オシッコしている時は自由にしてあげてください)

この時に大切なのは「リードで繋がっている事」、リードがピンピンに張るでもなく、ダラダラに緩むでもなく「程よい張り感」で待っていると、愛犬が動いた時に下半身から動けるのか?それとも上半身だけで動いているのか?(居ついてないか?)

手でリードを持つより、腰に括りつけた方が分かりやすいかもしれません。(自分はやった事ないけど…)

あと、愛犬に引っ張られる時にリードを12時方向へ圧をかけると自身に変化が起きませんか?

愛犬に引っ張られる方向から、12時方向に圧をかけると、下半身から動きませんか?

コレ足裏感覚ではないでしょうか?

この時、前後、左右に腰を振ってみて、全身が下半身から動くか?上半身から動くのか?確認してみて下さい。(愛犬が動いていると難しいですけど)
ずっと下半身から動く様に練習して下さい。

上半身から動いていると、全身が繋がっていません。

バカバカしい練習なので、真似はされないと思いますが、もしされるなら自己責任でお願い致します。

犬も繋がりが嫌なのか?、急に方向を変えたりするので道路では危険です。

くれぐれも自己責任でお願い致します。

日々是合気「達人がなぜ姿勢が良いのか」

達人と呼ばれるひとは、ほぼ姿勢が良い。

身体をバランス良くコントロール出来るからだろう。

私のような凡人が姿勢を正そうとするとつい、筋骨を固めてしまい窮屈であるばかりか自由度も失いかねない。

姿勢良く軽やかに、舞うかの如き達人の動きはどのように作られているのだろうか。

ふと、『合気のカラダ』で有り続ければ良いんだと気付いた。

外側の筋肉で作ろうとすると固まってしまうが、内部から作れば柔らかく、靭やかで、軽やかに姿勢が整うはず。

どちらにせよ、姿勢を正すには努力が必要ではあるが『合気の感覚』を求め作っていく方が楽とは言わないが、身体に負担なく出来そうな予感がある。

あと思うことに、姿勢をよくするに頭を天から吊られているようにとの話もあるが、吊られているのではなく中から浮いているんじゃないかとも妄想している。

どちらにせよ、達人たちの佇まいは、なにか一本通っていて、スッとしているように感じる。
全身に隙間なく、まさに「隙がない」『合気のカラダ』そのものではないかと思うのです。

それを目指し合気の練功に励みます。

by たけぞう

Tスタイル ~合気練功の日々~「皆さんはどう思 われますか?」

例えば・・・
ある武術家が、お弟子さんに技をかけている。
相手をかえ、次々に華麗に技をかけていく。
時には、相手に触れることなく、お弟子さんを投げ飛ばす。
その武術家は笑顔でこう言う。
「皆さんもできるようになりたいですか。」
「誰でもできるようになりますよ。」
「私は何十年も修行してきました。」

例えば・・・
あるマナー講師が、受講者を厳しく叱責する。
「下を見るな!」
「泣くな!いい年して!」
「何べん言うてもできんな、あんた!」
厳しい指導は続き、最後には笑顔で
「上品です。しっかりとできました。」とほめる。

皆さんはどう思われますか?
もちろん、賛否両論あるでしょう。
でも、私はこうした空間は苦手です。
向上心をもちながら切磋琢磨し、しかし、常に謙虚で、お互いの成長を喜び合えるような居心地の良い空間が好きです。
そうした空間をつくり出すためには、一人一人がどう向き合うかが問われます。

皆さんが合気練功塾に求めるものは何ですか?
皆さんは合気練功にどう向き合いますか?

今月の川柳
練功は 心とカラダを 育てます
練功を 終わった後は みな笑顔
目指すのは 完熟桃ペイン松原大魔王

(あー、今日も気持ちよく練功ができた。明日が月曜日でなければいいのに・・・もうじきサザエさんが始まるし・・・😢)
 TAKA 

虹をつかんだ男のココだけの話「目的を見失っている方へ」

私が合気練功塾に入って五年程経つのだが、それ以前の数年間は、『数々のセミナーに出て、騙されては後悔する』を繰り返す、自他ともに認める「合気難民」であった。だから、かつて同じ境遇であり、諸般の事情により、志半ばで夢破れ、足を洗う事を余儀なくされた大多数の方が存在するのも知っている。さぞかし無念であろうと思う。騙された思いしかないと思う。
この様に思えるのは、合気練功塾に辿り着き、本物に触れ、やり方を教わり、その方法を実践するだけで、合気の存在を知らない人にも面白い様に現象化を実現出来るに至った自分の余裕からだと思う。

しかし、そのような過去を振り返る中で、私の中でどうしても理解出来ない人たちがいる。その人達というのは、私が訪問した先には必ず存在していたのだが、そこの指導者の弟子のようにして、毎回のように現場に顔を出し、率先して場を盛り上げたり、技に掛かったり、懇親会の手配をしたりする人々で、長年いる事は明白で、段取りは抜群に上手いのだが、技術に関しては、私たち素人と何も変わらないという、不思議な人達であった。自分の貴重な時間を、見返り無しに他人に捧げている“徳の高い人”達で、私の様な“器の小さな”人間には、そこにいる意味が分からなかった。
例えるとすれば、「手品師に憧れて、手品の技術を学ぼうと入門したはずなのに、何故かタネさえ教えて貰えずに、芸を間近で見るだけで、すでに知っているはずの手品の素晴らしさを再確認している」だけで、憧れが憧れで終わっている。目的が変わってしまっている事に気づいていないのではと思う。そして、尚且つ、それを他人にも胸を張って薦めるので、技術修得を目指す者にとって迷惑以外の何物でもないと思う。

本当にあなたは、いつまでも助手のままで良いのですか?本当は技術者に成りたいのではないのですか?
よほどの天才以外、技を受けるだけで合気の修得はムリですよ。でも、タネを明かしてくれてコツを教えてくれる所に行けば、私の様な凡人でもやればやるだけ着実に伸びますよ。

私は、合気練功塾に入るまでは、何一つ技術を持たなかったし、それを本気で教えようとする人間にも会った事が無かった。だから、すぐに見切りを付けて、次を探し、転々としてきた。そんな私が、現在、福井から名古屋に5年も通っている。そして、拙いながらも技術を得る事が出来ているのは、全て、松原塾長やここに集う塾生の協力おかげである。
そして、まだまだ上達したい私は、ここに通い続けるし、それ以外の選択肢は1つも浮かばない。