虹をつかんだ男のココだけの話

虹をつかんだ男のココだけの話「ふと思う」

前回、合気は、「2人の人間がお互いを引き合い、倒れない様に支え合いながら立つ」事が前提であると述べた。
であるとすれば、自分は、わざとバランスを崩し、それをわざわざ引き戻ししてもらう必要がある。
普通ではあり得ない体勢なので、当然、普通の人が普通に考えたところで到底辿り着く事が出来ないメカニズムとなっている。
その上、相手が支えている事に気づかない様な軽さであり、相手がその場で踏み止まっていられる様な負荷しか掛けることが出来ない。しかし、その弱い力に対して、相手は自分が倒れない為に一生懸命支えるという矛盾した状態になる。

しかし、合気練功塾には、「いつでもどこでも誰とでも」一瞬にして、この矛盾した体勢を作る事が可能なメソッドがある。
3点バランス」と名付けられているその形をマスターすれば、誰もが、その時に起こる内部感覚を獲得する事が出来る。

手・肩・前足底の3点を外側に均等に張る。これにより、手から前足底までが直接繋がる。その上、体の比重が均一化するので、浮いている様な軽い状態を作る事が出来る。
しかし、この段階では、まだ完成ではない。重心が足の上にあり自立している。安定している間は、相手が支えてくれる事は無いので、重心を自分の後ろ側に落として不安定になる。そして、不安定になる時に、うまく相手に自分の体を預ける事が出来ると、相手が不安定な自分を前から引き上げてくれる事になる。

そして、「3点バランス」成立の確認方法としては、相手の肩に触れた時に足からの跳ね返りを感じ、手に触れた時も同様の反力感じる。
その後、正面に回り、相手の両手に触れた時に、相手の踵の骨が浮いている事で、自分にうまく体を預けれている事がわかる。そして、相手の手を引いた時に、自分が前に引き出される事で相手の重心が後ろにずれている事が確認が出来る。

この例の様に、ここには、誰でも合気の本質を知る環境が有り、それを理解した同志が多数存在する。当然有益な情報の宝庫で有り、同志の数だけ引き出しが存在する。

この世界において、皆が同じ方法論を理解し、水平展開を可能にする組織。
「皆を達人にする。」を目的とする組織。
合気練功塾。
何から何まで異端。

端くれながら、ただただ感謝、感謝。

虹をつかんだ男のココだけの話「体験」

合気上揚げの動画を見ただけで、合気揚げが出来る様になる人はいない。

それはどんなに天才であっても例外ではない。
なぜそう言い切れるのかは、何度か説明してきたが、合気に触れた事の無い人間には「2人が手を繋いで立っている」外観しか映像として認識出来ないから。

しかし、合気揚げが出来る人は、同じ動画を見た時、「この2人はたまたまこの体勢で止まっているだけで、少しバランスが崩れれば、違う形に移行する」という事を理解している。

見た事しかない人は、その外観をヒントに体勢を作るしかないので、「2人は独立して立った後、お互いの手の平を上下に触れ合わせてじっと待つ」という事になる。

しかし、待てど暮らせど動画のように相手が揚がる事はない。だから痺れを切らして、筋力発動で抑え込まれる。という結果しか起こらない。

一方、経験を通し、合気の原理を理解している人が重視するのは、繋がった2人に発生する内部感覚である。

お互いがお互いを引き合っているので、気を抜けば相手の陣地に引き込まれてしまう様な張りを感じ、それに負けない様、意識の中で、自分の外側からも自分を引いて動かない様に我慢している。

我慢を辞めれば次につり合うべき地点までゴムの張力の影響を受け自然に動く。

どこのゴムを切るかによって上下、前後、左右、斜めなど縦横無尽に移動させる事が可能である。

だから、1人では不可能なアクロバティックな体勢も、2人であるからこそ普通に成立する。画の2人は今、“そこで”しかつり合いが取れない状態のだ。

今述べた様に、同じ画を見た場合でも、その人の経験値によって、何も起こらない形にも見えるし、今にも動き出しそうな形にも見える。

合気の内部感覚を知らない人は、画を見て形を作る事は出来ても、その状況から目標とする形に移行するためには、筋力を使うしか手立てがないのだ。

もう“詰んで”いるという事になる。

だから、結論として、この人のレベルで合気関係の動画を見ても意味が無い。理解出来る次元にいないのだから。見れば見るほど本質から遠ざかり、誤解が深まるだけである。

本物を知りたければ、本物に触れるしかない。感覚は体験でしか取得出来ない。見てるひまがあるのならば、合気練功塾に来られた方が良いと思う。

しつこいと思うがもう1度説明すると、この画の2人は地に足をつけて自立しているのではない。
2人の体は、お互いの足から足までをゴムで繋がって一つの物体の様相を呈している。
そして、この物体が、立体として地面に立っている様に見えるのは、接触点である手を中心にしてお互いに引き合っているから。

この引き合っているというのは、物理的に手が手を引いているわけではない。これは、“合気の次元”の話で、手が接触している“一点”から無数のゴムが放射線状に伸びていて対になっているゴム同士引き合いで2人を囲っている。

そして、これは、ゴムであるから中心は端を引き、端は中心を引いている。このバランスが成立していると膨張した球体の様に立体として存在する事が出来る。(テンセグリティ構造)

わかりやすく言えば、自分の足で立っているのではなく、本来なら倒れてしまう体勢を、内と外の張力の絶妙なバランスにより、無理矢理に倒れない様に起こされているのである

結論、視覚で合気は掴めない、まず、チャンネル(受信器)を合わせよう。

虹をつかんだ男のココだけの話「レベルアップ」

最近、合気練功塾で習う事のレベルが上がって来ている。
他の塾生の記事にも書かれていると思うのだが、弾力から磁力や磁気へとより高い世界を
教わり、「丹田を掴ませる」や「意識レベルでさえぶつからない」など合気の本質を惜しげもなく伝授されている。

そんな自分の幸運を喜ぶ今日この頃である。
新しい事を教わり、それを修得出来る事は嬉しい事である。
また、教わる事の次元が上がり、それが理解出来る様になると、今までの間違いや勘違いに気づく事がある。

今回は、ふと気づいた事を記述したいと思う。
合気で人を引きたい時、自分の体の中で作ったゴムを相手にも共有させてそのゴムに乗せて近づけるのだが、ごく最近までそのゴムの張り方に大きな勘違いがあった。

しかし、これは一般常識に則って考えれば仕方のない事で、他にも勘違いされている人がいるだろうと思う。

現実世界に於いて、二人でゴムを張ろうとした場合、二人もしくは、一人がそのゴムを手前に引くしか方法は無い。

誰かが引かなければ何も起こらないので、この場合、誰かというのは必然的に自分という事になる。
ど素人の私が合気を習い始めて、まず最初にやり始めたのが、持たれた腕自体を引くという事。

引く加減やタイミングに試行錯誤を繰り返した。もちろんゴムが発生していないので、何一つ成果は出なかった。

しばらくするうちに、「どうやら、意識で身体の内部にゴムが張れるらしい。」という事を小耳に挟み、練功を繰り返し、内部感覚にゴムを獲得する事が出来るようになる。

そこで初めて、筋力ではなく、弾力の世界に移行し、合気に興味のない人にも合気の現象化が起こせる様になった。

しかし、中には、私がゴムを張ろうとしている時に、ふらふらと前に出てきてしまう人や、耐えてはいるが、「引かれている。」と感じる人も何人もいた。

そこでまた、改良を考えるのだが、ゴムの引きを加減する事や、本来動いてもらいたい方向への圧力を強める事くらいしか思い浮かばない。

だから、とても上手く掛かってくれる人もいるが、そうでない場合は、苦笑いで乗り切るのが常であった。

しかし、最近、ようやく思考の次元が上がった。
そして、原因がゴムの作り方にある事にも気づいた。 

張ったゴムは自分から先に引いてはいけないのだ。ゴムを作る過程であっても、引きながら作ってはいけない。

どんなに引く力を弱くしても、気付く人は気付くし、動く人は動く。

では、どのようにしてゴムを張ったら良いのか?
現実世界では無理でも、自分が作り出す仮想世界では、引く意思がない人にも先にゴムを引かせる事が可能である。

常識の範囲内で考えた場合、相手のゴムを引こうとすれば、接触点から引くしか方法がない。
そして、そのゴムと自分自身が作ったゴムとを繋げて一本のゴムを作る事になる。
しかし、今、扱おうとしているのは、本物のゴムではない。

ゴムの様な性質をもった“弾力”である。

便宜上、ゴムの様に考えるとイメージしやすいというだけである。そもそも自分の体の中にあるものでも無ければ、相手の体の中にも無い。

無いから自分の意識下で自由に作り出して、2人の体を通して繋ぐのである。イメージとしては、真ん中の接触点から体の中を通りながら、双方向に勝手にゴムが伸びて足裏まで到達する事になる。

現実では、ゴムは放っておいても勝手には伸びないのでとても不思議に思えるのだが、仮想では意識的にゴムを引かせれば、自分が何もしなくてもゴムを外側に伸びていく事になる。

そして、その後に相手に対して不安定を演出し、張ったゴムに掴まってもらう。相手は「危ない」と思っただけで、「引こう」と思っていないのにゴムを引いてしまったのだ。

そうして、相手が引いて伸ばしてくれたゴムを自分が回収すれば、弾力に乗って相手が飛んでくる。

虹をつかんだ男のココだけの話「無知の知」

「使用禁止の筋力の代わりとして、弾力の揺り戻しも動力源として使用する事が出来る。又、身体に内蔵する事により、物を運ぶ事も可能である。」

これは、私が合気練功塾に入門するまでは、全く知らなかった合気の常識である。

合気を修得するに当たって、筋力→弾力→磁力→磁気→合気の順を追って進んで行く。
なので、筋力しか知らない人間が、一足飛びに合気を掴む事は出来ない。

弾力→磁力→磁気の説明が無い塾や道場に集う合気志願者は、筋力の呪縛を解く事が出来ない為、泥沼に嵌まり、アップアップしながら沈んで行く。参加人数=犠牲者数になるので、志願者の多いセミナーは、地獄絵さながらの悲惨さである。

そこでは、合気を使える人が育たない為、いつまで経っても、主催者しか教える者がいない。長年通う人間もいるにはいるのだが、それは、単なる主催者のファンであるようだ。だから、合気に関する知識だけはやけに詳しいが、合気を教える事は誰一人出来ない。

当たり前だが、そこに何回通おうが、幾ら支払おうが、本質は教えてもらえない。“脱力”だとか“力の出処”だとか具体性の無い話で煙にまかれるのがオチだ。

長年、筋力で物を動かして来た我々は、それ以外の術を知らない。筋力を使うのが常識なのである。その常識の範囲内で事を起こそうと思えば、“腕の角度”だとか“タイミング”だとか、相手にバレないとかバレにくい方法を探すしか無いだろう。

何かをしようとした場合、元々ある素材を増やす事は、比較的容易な事である。1を2にしたり、10にしたりは、根気さえあれば出来る。しかし、何も無いところからアイデアを生み出す事はとてつもなく難しい。

動力源として筋力しか思い浮かばない人は、筋力の次元で工夫する事しか出来ない。筋力の変わりを思い浮かべ、それを使える様に工夫する事は、一次元上げた発想になるので凡人には無理なのである。

たとえ、弾力の性質を知っていたとしても、道具などに使われているのが主なので、体の中で使える力だと思っていない。そもそも代用として思い浮かばないのだ。

これらは、知ってしまえば、何も難しい事でもなく、当たり前の事である事が多い、しかし、自分が思考している次元には、発想の種が無いので育てようがないのだ。

だから、教えてもらうより他に方法はない。

合気練功塾では、原理に「裏の力」がある。もちろん、筋力=「表の力」に対する「裏の力」である。作り方も使い方も教えてもらえます

 

虹をつかんだ男のココだけの話「魂の伝承」

10月16日・17日と愛知県犬山市で、第一回合気練功塾全国強化合宿が行われた。全国から約50名の方が集まり、1日目は13時から23時まで、2日目は8時半から11時半までと限られた時間を余す所なく合気修得のため費やした。

ここに参加した私は、とても有意義な時間を過ごす事が出来たと思うし、私以外の参加者もとても満足されていた様子であった。

松原塾長は、合気練功塾で練功を積む者を、もれなく“達人”にしたいと思っている。そのために、隠し事なく、何から何まで教えてくれる。また、素人や凡人にも修得しやすいメソッドを日々考えている。だから、その恩恵を受けた我々の成長は、当然速い。

また、塾長の思いは副長以下全員に浸透している。新人が入って来れば、自分が知っている事は教えたいし、上達のためのポイントがあればアドバイスは惜しまない。自分だけうまくなれば良いと思う様な器の小さい人間は誰一人存在しない。だから、出来る人が多数存在する現在、新しく入った人でも、加速度的に成長し、その進歩を確実に体験出来るため、自分の選択に胸を張れる。

そんな雰囲気の中で育ち、仲間と合気を広げたい思うスタッフが多数いる組織が主催する今回の合宿が成功するのは当然である。

そして、昨今の情勢下で、塾長の指導を受けられなくて歯痒い思いをされていた東京、大阪、福岡の松原塾の参加者の方も、今回久々に、直接指導を受ける事が出来、たくさんのものを掴まれたのではないかと思う。技術だけでなく、根底に流れる“松原イズム”も受け取られたと思うので、各々の塾で拡散して頂きたい。

近い将来、各地の合気練功塾で本物の合気を修得できるという事が、「決まりきった事実である」というのは、もはや参加者全員の総意であろう。

来年の開催(2022.11.5~6)も決定しているとの事なので、今から楽しみである。私も協力出来るよう力を付けたいと思う。

今回、諸般の事情により来ることが出来なかった方も、次回は万障お繰り合わせの上、是非とも参加される事をお勧めする。