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日々是合気「松原自転車 合気号」

三輪車なら誰でも乗れる。

ひたすら力で漕ぐことが出来る。不思議さは全くない。

 

松原自転車の合気号は、ちょっと不思議だ。いや、とんでもなく不思議なのだ。

三輪車を必死で漕ぐような力感では進まない。動きもしないのだ。

 

塾長の愛車は10段変速の特注一点物だ。

 

世の中には自転車に乗れる人と、乗れない人がいる。

乗れる人は、早い者は数時間、長くかかる者でもひと月も練習することなく自転車に乗れるようになる。

 

その違いは何なのか?

指導者の言葉に素直か否かの違いかもしれない。

どうすれば良いか?と理屈で考えるか、素直な感覚で捉えるかの差かも。

 

自転車の乗り方をマニュアル本にしたらとてつもなく分厚い本になるだろう。それを覚えないととなると最早、自転車に乗るのは…

 

結局、自転車に乗れる人は

感覚で掴んだ人なんだよね。多分。

 

松原自転車 合気号もそんな感じかな。

 

実際の自転車の乗り始めは、多くは補助輪付の子供用からスタートしてるよね。

合気もはじめは、補助輪付、力感ありでも先ずは合気の感覚を味わい、身につける練習。

 

次に補助輪外して、自由に走ります。でもまだ子供用。

子供用とはいえ、これは結構不思議な乗り物です。

 

やがて、合気の体が成長して大人用の合気号に乗れるようになります。とても不思議な良い乗り心地。三輪車を漕ぐような力感ではとても乗りこなせません。

 

いつかは塾長の乗る10段変速合気号に乗りたいな。でもそんな頃には塾長は20段変速車、はたまた電動アシスト合気号で、とても追いつけないんだろうな。

 

          byたけぞう

 

虹をつかんだ男のココだけの話「引っ張られる」

弾力を作る為にゴム感覚が必要である。
実際に使えるゴム感覚を作るには、自分が一方的に引くだけでは不十分である。本物のゴムはただ引けば、必然的に戻されるのだが、イメージ上のゴムは戻る事まで想像しなければ、紐や縄の様に引っ張り続けるだけになる。
引く時に自分の方向だけでなく、相手の方向にも伸びるイメージを持つ事で仮想世界でもゴムの様な弾力を発生させることが可能になる。

そして、この弾力の使用方法は、相手を「引っ張る」のではなく、自分が「引っ張られる」事である。
なぜなら、相手を引っ張ろうとした瞬間に自分の企みがバレる為、相手に簡単対処されてしまう。
引っ張られている分には、相手の意思に沿っている為、相手に抵抗感が出ない。そして、最終的に、「引っ張られる」事を止めた時に、伸びていたゴムが自分側に戻ってくるので、それを自分の足に回収すれば、そのゴムの反対側を持たされている相手は弾力に乗って、自分側に寄って来てしまう。

もう少し詳しく書くと、まず、相手の足と自分の足まで2人の身体の中にゴムを張る。この状態で止まっていても何も起こらないので、事を起こす為に、張ったゴムを自分側に引っ張る。引っ張られたと感じた相手も、態勢を立て直そうゴムを引いてしまう。ここで、大事なのは、「遠心性収縮」で身体の中のゴムを引き、2人でバランスを取る様にしながら、相手にもゴムを引かせる事。相手は「何故か分からないが引かれている」気がするので、自分の腕を押しながら踏み止まろうとする。

その結果、相手は、知らず知らずのうちに身体全体を弓の様に引きながら、頼った腕を支点にして相手自身を飛ばそうとしている事になる。後は引いている弦を弾いてやれば、自分の方に飛んでくることになる。しかし、最初から「求心性収縮」で筋力を使って引こうとするとと、腕そのものの引き合いになり、ぶつかったり、抜かれたりしておしまいである。

「引っ張られる」感覚とは、相手の引く力と自分の引く力がぶつかること無くバランスして、そこに出来る弾力でいつでも相手の引きに乗って飛んでいける感覚。自分を動かす事も出来るし、相手を動かす事も出来る。自分が、その「引っ張られる」感覚に乗らずに、体幹を使って耐えた時に、相手だけがゴムを引いている状態となり、そのゴムの引き戻しに乗り、重心を取られ、足裏を剥がされ自分の方に寄ってくる事になる。

「引っ張られる」感覚は、自分だけでなく、2人の中で弾力が発生している証拠であり、それが有ってはじめて、相手への影響が出る。

Tスタイル ~合気練功の日々~ 「達人の言葉」

 新年あけましておめでとうございます。新型コロナウイルス感染の脅威が続き、まだまだ先が見えにくい時代ですが、合気の習得を目指してお互いがんばりましょう!

 

 合気を習得したと言われる武術の達人は、昔も今も多数いらっしゃいます。しかし、実際にお会いする機会はなかなかありません。(既に亡くなられたもいらっしゃいますし。)私もラスボスことペイン松原塾長(失礼!)を含め3名の方しかお会いすることができていません。そういう私にとって、達人の「言葉」が練功のよりどころであり、助言でもあります。

 しかし、この「言葉」が常人には理解しがたいことが多いのです。「呼吸力」であったり、「中心力」であったり、「観の目」であったり、「宇宙と一体となる」(私の合気道の師匠の言葉)であったり・・・・・。ところが、最近YouTubeを見ていたら、ある外国人のナレーターが「達人の言葉は本質をとらえてはいるが、その方が感じたことをストレートに言葉に表しているので、その奥にあるものを見なければならない。」というようなことを語っていました。

 そうなんです!達人の言葉を頭でそのまま解釈しようとしても、???の無限ループに迷い込んでしまうのです。感覚を言葉に表したものは、頭ではなく感覚でとらえなければならないのです。そのためには練功を通して感覚を磨き、言葉を感覚で受け取ることができる受信機としての機能を高めていかなければならないのです。

 Don’t  think , feel.ですね。アチョー!

 

 最近の研究会では、相手とつながる時やつながってから、相手の足の根がかり(引っかかった状態)を頼りに自分が相手に近づいていくことを意識して対人練功をしています。自分がどっしりと構えている状態は、いわゆる「居着いた」状態で、身体の内部が止まってしまっていることが多いのです。自分の内部を常にエンジンをかけたアイドリング状態にしておくことが重要です。個人で練功する際、歩きながら身体の中のゴムを引っ張ってみるのもいいかもしれませんね。

 

今日の名言(迷言?)

「ありがとう 私をつかんだ つながった」

「ラスボスは 触れたら危険 宙を舞う」

「副長の つかんだ手首が 溶けていく」

(ぜひ、一度副長の手首をつかんでみてください!実感できますよ!)             

                                    TAKA  

 

Tスタイル ~合気練功の日々~ 「バージョンアップ」

 先日、母の17回忌の法要があったのですが、ご住職がこのようなことをおっしゃいました。「コロナ禍で私達の生活は大きくかわりました。今までは当たり前だと思っていたことができなくなりました。だから、日常の生活の中でできることを大切にして、その中で価値を見出していくことが大切です。」

 確かに、コロナ前とコロナ後では、生活が一変しました。しかし、それが新たな生活様式を模索し、よりよい未来を創り上げていくことにつながっていくとしたら・・・。それは、現代生活がバージョンアップするきっかけになるのかもしれませんね。皆さん、コロナに負けずにがんばりましょう!

 

 ところで、バージョンアップといえば・・・。iPhoneのバージョンアップには驚かされます。私はiPhone4からスタートしたのですが、その驚異的な進化には驚かされます。常にバグを修正しながら、バージョンアップを続けています。しかし、それに負けていないのが、合気練功プロジェクトです。松原塾長がたゆまない努力を重ねて、ご自身の「合気」を進化させ、「合気」をどう伝えていくのかを常に工夫して私達に指導して下さいます。その進化のスピードたるや・・・。  

    特に、木曜日に行われている研究会(バットマンの会)では、毎回が奥義伝承と言っても過言ではなく、数回欠席すると、まるで浦島太郎状態になってしまうのです。

 先日の研究会では、一系(合気上げ)をかける時に上手くいかない理由が明らかにされました。(よくあるパターンとして)相手と足裏でつながってから、自分の身体のゴムを斜め上に引っ張り、その後丹田を斜め下に引っ張るのですが、この時に斜め上に引っ張るゴム感覚が緩んでしまうのです。つまり、同時に多方向にゴムを引っ張ることが上手くできないのです。さらに、足裏が地面を踏みしめて、その反発力も常に感じていなければならないので大変です。

    以前、このブログでも書いたのですが、マルチタスク(複数のことを同時に行うこと)の難しさを痛感させられます。最近、名古屋の練功塾のトレンドになっている「テンセグリティ」(多数の木の棒が多数のゴムでつながっている物。もともとは幼児のおもちゃ。興味のある方はGoogleで検索してみてください。)の状態にならなければいけないのです。

    松原塾長は、まさに「人間テンセグリティ」です。しかも、身体が磁気を帯びているので、「ペイン」状態でもあるのです。(前回のブログ参照)言うなれば、最強のラスボス「ミスター・テンセグリティ・ペイン・マツバラ」なのです!もー、こりゃー、かないまへんなあー。

 皆さん、イメージを豊かにして、練功に励み、「人間テンセグリティ」を目指しましょう!

 

 今日の格言

「足裏を 忘れちゃだめよ これ基本」

「ラスボスに 触れたら最後 なすがまま」

「YouTube やっぱりやらせに 見えるよね」(視聴者に伝わらなくて残念!)

                                                              TAKA

 

 

虹をつかんだ男のココだけの話「遠心性伸縮」

合気上げを見ると、掛ける人は肘を曲げて上げているように見える。しかし、何を見ようが、誰に聞こうが、「曲げてはいない。」と言われる。すごく困る。
これは、嘘ではないのだが、余りにも不親切である。そもそも、教える気が無いのだから仕方がないのだが。

しかし、合気練功塾で、松原塾長から原理を習った者として、それを共有すべき責務があるので、今回書いてみたいと思う。
ここに来て、手取り足取り教えてもらい、やっと理解出来たのだが、自力で発想するのは到底無理で、時間がいくら有ってもたどり着けなかっただろう。

前にも書いたと思うのだが、人は、目の前で起こった現象を自分の記憶や体験からしか類推出来ない。記憶や体験に正解がなければ、それを元にした答えも正解になることはない。
〝曲げている〟様に見えるのに〝曲げていない〟と言う者は、確かに〝曲げていない〟のだが〝曲がる〟様な仕掛けを確信犯的に行っている。
この答えが理解出来るのは、関節運動を行う場合、『求心性収縮』と『遠心性収縮』が存在するということを知っていて、尚且つ、『遠心性収縮』をしながら伸ばしている腕にゴム感覚を発生させられる者だけである。
説明しておくと、『求心性収縮』とは、筋肉を縮めながら力を出す方法で、『遠心性収縮』とは筋肉を伸ばしながら力を出す方法、例としては、コップの水を飲もうとして、口元に運んでくる動作が、『求心性収縮』で、コップを戻そうととテーブルに置きにいく動作が『遠心性収縮』。

普通の人生を送ってきた人は、対象を自分の前に引いてくる場合に、『求心性収縮』しか選択したことがないため、肘関節が曲がっているのを見た時、意識して〝曲げている〟としか思えないのだ。
しかし、実際ここで起こっているのは、ゴム感覚を持った腕を『遠心性収縮』で伸ばし、伸ばすのをやめた時の結果である。腕を〝曲げよう〟と意識しているのではなく、〝曲がる〟設定の腕を伸ばそうと意識し、それをやめた結果、無意識に腕が元に戻っていき〝曲がる〟のである。
合気上げとは、いきなり腕を曲げて相手を上げたわけではなく、上がるべくして上がる様、用意周到に仕掛けが施されているのだ。持たそうと出してきた腕は、見かけ上は止まっている様に見えるのだが、そこには上方向のベクトルが内包されている。腕を持った瞬間にゴム感覚を動力としたシステムが動き出し、最終的には、相手が自分で出した力が地面にぶつかり身体が上がり、その時浮いた分だけ、掛け手の腕が後を追っかけて来るのだ。

だから、結論としては、「曲げようとしても掛からないし、上げようとしても掛からない。」事になる。