虹をつかんだ男のココだけの話「思い違い」

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合気を掛ける時に「接触点を動かさない」という前提の様なものがあるのだが、素人が動画を見た場合、結果的に接触点が1番大きく動いている様に見える。以前の私は、この矛盾に翻弄され、長年の間路頭に迷っていた。物理的世界観が染み付いているので、動かしたい場所をどう相手にバレない様に動かそうかとか、違う行動を思い浮かべながら動いて相手のセンサーを掻い潜れないかとか、今となれば頭がおかしいとしか思えない発想の中に答えを探していた様に思う。

 

そんなある日出会ったのが合気練功塾だった。それ以前に3つか4つのセミナーで煮湯を飲まされていて、「やはり、自分には合気を習得する資格が無いのではないか?」とも思っていた。

 

しかし、最初に松原塾長に個人レッスンを受けた時、凄い衝撃を受けた。「今まで何をやっていたんだ。」と。正直知らない事だらけだった。本や動画、セミナーなどで断片的に習った「皮膚をとる」などの触れ方は、テクニックに過ぎず、本質は「相手と繋がる」事なのだと。そして、相手の足から自分の足までゴム感覚で繋がり、2人で1つの重心を共有し、最終的に重心を取った方が相手に影響を及ぼせるのだと。

 

そして、合気練功塾の原理1「足裏」なのだが、どの動画を見ようがどの書籍を読もうが、私は、「足裏」をテーマにしたものを見た事がない。他のセミナーでも一言も聞いた事がない。だから、目から鱗が落ちる思いがした。それで、やっと前提の謎が解けたのだ。

 

合気上げを例に説明すると、手に触れて「裏の力」で掛け手の足から受け手の足までゴムを張る。次に「推進力」を感じさせ受け手の足裏を上げさせる。足下を掬われた受け手は支えられている掛け手の腕に頼るしかなくなる。しかし、あらかじめゴムを引いている掛け手の腕は固定されているわけではなく、引っ張られても、押されても、自分の胸の前に巻き込んで戻ってくる様な設定になっている。だから受け手が掛け手の腕に頼ろうと押せば押すほどその力が地面に当たり返ってきて、受け手は自分自身の重心を不安定にさせて、最終的に掛け手の腕に乗り上げる様な形で止まる。なぜなら、そこで2人で共有している重心が安定するから。外からは見えにくいのだが、受け手は掛け手と同化した地面を押して、その力が戻って来て受け手自身を上げている。しかし、この世界を知らない人の目は、接触点を起点に動いている様に錯覚してしまうのだ。

 

塾長に師事し、本物の合気を知り、伝授への本気さを感じ、感謝する一方で、それ以前に費やしてきた労力を思うにつけ、合気の世界の排他的な深い闇を感じざるを得ない。この業界は、本気で教える人がいない。業界全体で既得権益を守ろうとしているのだ。興味を引くだけ引いて、可能性を教えるのではなく、無力さや諦めを教えようしている。だからどこへ行こうが、何を見ようが、出来ない。そして諦めの悪い人は、この互助組合的な仕組みの中で、あっちへ行ってはサギられ、こっちへ行ってカモられの無限ループにハマってしまう。

 

動画を見ても接触点を動かしている様に見えてしまう人、自分の行動を読まれない様に意識を飛ばそうと奮闘している人、「足裏」感覚を知らない人、合気に「足裏」感覚が重要だと思いもしなかった人、思い違いをしているのかもしれません。一度合気練功塾に足をお運びください。

 

by 宮崎

 

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