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日々是合気「達人がなぜ姿勢が良いのか」

達人と呼ばれるひとは、ほぼ姿勢が良い。

身体をバランス良くコントロール出来るからだろう。

私のような凡人が姿勢を正そうとするとつい、筋骨を固めてしまい窮屈であるばかりか自由度も失いかねない。

姿勢良く軽やかに、舞うかの如き達人の動きはどのように作られているのだろうか。

ふと、『合気のカラダ』で有り続ければ良いんだと気付いた。

外側の筋肉で作ろうとすると固まってしまうが、内部から作れば柔らかく、靭やかで、軽やかに姿勢が整うはず。

どちらにせよ、姿勢を正すには努力が必要ではあるが『合気の感覚』を求め作っていく方が楽とは言わないが、身体に負担なく出来そうな予感がある。

あと思うことに、姿勢をよくするに頭を天から吊られているようにとの話もあるが、吊られているのではなく中から浮いているんじゃないかとも妄想している。

どちらにせよ、達人たちの佇まいは、なにか一本通っていて、スッとしているように感じる。
全身に隙間なく、まさに「隙がない」『合気のカラダ』そのものではないかと思うのです。

それを目指し合気の練功に励みます。

by たけぞう

Tスタイル ~合気練功の日々~「皆さんはどう思 われますか?」

例えば・・・
ある武術家が、お弟子さんに技をかけている。
相手をかえ、次々に華麗に技をかけていく。
時には、相手に触れることなく、お弟子さんを投げ飛ばす。
その武術家は笑顔でこう言う。
「皆さんもできるようになりたいですか。」
「誰でもできるようになりますよ。」
「私は何十年も修行してきました。」

例えば・・・
あるマナー講師が、受講者を厳しく叱責する。
「下を見るな!」
「泣くな!いい年して!」
「何べん言うてもできんな、あんた!」
厳しい指導は続き、最後には笑顔で
「上品です。しっかりとできました。」とほめる。

皆さんはどう思われますか?
もちろん、賛否両論あるでしょう。
でも、私はこうした空間は苦手です。
向上心をもちながら切磋琢磨し、しかし、常に謙虚で、お互いの成長を喜び合えるような居心地の良い空間が好きです。
そうした空間をつくり出すためには、一人一人がどう向き合うかが問われます。

皆さんが合気練功塾に求めるものは何ですか?
皆さんは合気練功にどう向き合いますか?

今月の川柳
練功は 心とカラダを 育てます
練功を 終わった後は みな笑顔
目指すのは 完熟桃ペイン松原大魔王

(あー、今日も気持ちよく練功ができた。明日が月曜日でなければいいのに・・・もうじきサザエさんが始まるし・・・😢)
 TAKA 

虹をつかんだ男のココだけの話「目的を見失っている方へ」

私が合気練功塾に入って五年程経つのだが、それ以前の数年間は、『数々のセミナーに出て、騙されては後悔する』を繰り返す、自他ともに認める「合気難民」であった。だから、かつて同じ境遇であり、諸般の事情により、志半ばで夢破れ、足を洗う事を余儀なくされた大多数の方が存在するのも知っている。さぞかし無念であろうと思う。騙された思いしかないと思う。
この様に思えるのは、合気練功塾に辿り着き、本物に触れ、やり方を教わり、その方法を実践するだけで、合気の存在を知らない人にも面白い様に現象化を実現出来るに至った自分の余裕からだと思う。

しかし、そのような過去を振り返る中で、私の中でどうしても理解出来ない人たちがいる。その人達というのは、私が訪問した先には必ず存在していたのだが、そこの指導者の弟子のようにして、毎回のように現場に顔を出し、率先して場を盛り上げたり、技に掛かったり、懇親会の手配をしたりする人々で、長年いる事は明白で、段取りは抜群に上手いのだが、技術に関しては、私たち素人と何も変わらないという、不思議な人達であった。自分の貴重な時間を、見返り無しに他人に捧げている“徳の高い人”達で、私の様な“器の小さな”人間には、そこにいる意味が分からなかった。
例えるとすれば、「手品師に憧れて、手品の技術を学ぼうと入門したはずなのに、何故かタネさえ教えて貰えずに、芸を間近で見るだけで、すでに知っているはずの手品の素晴らしさを再確認している」だけで、憧れが憧れで終わっている。目的が変わってしまっている事に気づいていないのではと思う。そして、尚且つ、それを他人にも胸を張って薦めるので、技術修得を目指す者にとって迷惑以外の何物でもないと思う。

本当にあなたは、いつまでも助手のままで良いのですか?本当は技術者に成りたいのではないのですか?
よほどの天才以外、技を受けるだけで合気の修得はムリですよ。でも、タネを明かしてくれてコツを教えてくれる所に行けば、私の様な凡人でもやればやるだけ着実に伸びますよ。

私は、合気練功塾に入るまでは、何一つ技術を持たなかったし、それを本気で教えようとする人間にも会った事が無かった。だから、すぐに見切りを付けて、次を探し、転々としてきた。そんな私が、現在、福井から名古屋に5年も通っている。そして、拙いながらも技術を得る事が出来ているのは、全て、松原塾長やここに集う塾生の協力おかげである。
そして、まだまだ上達したい私は、ここに通い続けるし、それ以外の選択肢は1つも浮かばない。

日々是合気「練功と筋肉痛」

かなり前は、よく腓腹筋、ヒラメ筋が筋肉痛になることが多かった。
足関節の底屈をしていたということだ。つまり背伸び、つま先立ちのような身体の遣い方をしていた。

最近は、大腿直筋がものの見事に筋肉痛になっている。
日曜の練功後には、もうパンパンに張っていて翌日には、歩くのが辛いほどの筋肉痛だ。

大腿四頭筋は、膝関節の伸展に関わっている。大腿四頭筋の一つである大腿直筋は膝関節の伸展に加え股関節の屈曲にも働く。

股関節屈曲には、大腰筋、腸骨筋がよく知られているが、大腿直筋も股関節屈曲に関わっているのだ。

そう、思えば2年ほど前からは腸腰筋あたりがやたら痛かった。
丹田を引き上げるつもりで股関節屈曲を大腰筋、腸骨筋に負担をかけるカタチでしていたのだろう。

最近、腸腰筋は楽になってきたがそのかわり、メッチャHardな大腿直筋の筋肉痛に見舞われている。

このことから、最近の私は3点バランスをとるために「大腿直筋」を使っていると考えられる。

一見、動きを見せず合気練功をしているようで、実のところ激しい筋肉痛になっているわけで、まだまだ筋力レベルの段階のタケゾウです。

byたけぞう 

Tスタイル ~合気練功の日々~「杖と愛」

 温故知新。故きを温ねて新しきを知る。

 塾長の進化が止まりません。それと同時に指導の仕方も日々変化(進化)しています。塾長に指導していただく際、「前回とは違うぞ!」と思われた経験を持たれた方も数多くいるのではないのでしょうか。
 合気練功塾では古株になった私にとっては、Windows11にバージョンアップしようとしても、本体の機能がチープすぎて、エラーが出てしまうといった状態です。

 しかし、以前に塾長がおっしゃっていた言葉が今になって実感できるということもあり、「合気の進化は螺旋状」(同じ所をぐるぐる回っているようだが、確実にステージは上がっているという意味)であることを実感しています。

 最近、実感しているワードが「相手の杖になる」です。(懐かしい・・・)

相手に腕をつかまれた際、軽く上に圧をかけ、相手の重心を僅かに前に引き出しながら相手の足裏と自分の足裏をつなげる(=相手とつながる)ことを、「相手の杖になる」と表現しているのです。杖を突く際は軽く杖にすがり、身体の重心が僅かに前方に移動することを指しているのですが・・・ まさに言い得て妙!

自分が相手の杖になり自由に動けば、相手は杖を頼りに大きく動きながら身体のバランスを絶妙に保っている間寛平状態になってしまうのです。(昭和の吉本新喜劇に詳しくない方スミマセン!)

 皆さんも杖になることを意識して練功してみてください。
 
 話は変わりますが・・・
I副長は最近「愛」という言葉を時々使われます・・・・・^_^;

 完熟桃ペイン松原大魔王が「相手の杖になれ」と説き、最凶麦酒好合気職人のI副長が「愛」を謳う・・・・・
 ヒェーーーーーッ!!!

今月の川柳
杖になる 優しい気持ちが 必要です
つかまれた いえいえ違う つながった
進化する 塾長そのうち 空を飛ぶ⁉(オカルト!)

TAKA