虹をつかんだ男のココだけの話

虹をつかんだ男のココだけの話「研究発表」

只今、練功塾に参加してきた。本日は、いつもの練功の他に研究発表という重責を担っていたため、数日前から題材を探していろいろ考えを巡らせていた。考えに考えたがやはり、題材は「弾力」。毎回のように取り上げているテーマだが、“弾力”を使えるかどうかが、初歩的ではあるが、合気っぽい現象が起こせるかどうかの分岐点であると思っている。“弾力”を理解し、順をおって発展させて行けば、やがて合気に到達する事が出来るが、“筋力”の沼にハマっている限り、最高に上手くいっても体術の域を出る事はない。だから、“弾力”は合気への入り口といっても過言ではないと思う。

しかしながら、今回取り上げるのは、この発表内容ではない。研究発表が出来る位に揃っている、合気練功塾の人材であり環境である。練功塾では、本日私が行った様に、10人を超える人間が持ち回りで、自分が仲間に伝えたい事や、共有すべきであると思う事を5~10分程度にまとめて発表する機会がある。そのような機会があるということは、裏を返せば、それだけ在籍者が考えながら練功を行っているという事である。
ここは、他の組織のように、怪しげな感覚だけ得意げに伝えられて、カラクリについては“謎”で、会得するための“眉唾”な練習方法を授けられ、「合っているのか、間違っているのか分からないが、信じてやるしかない。」というような悲壮感漂う場所とは違うのだ。
感覚だけでなく、原理も余すところなく伝えられるので、「なぜそうなるか」という理由もよく分かり、とても安心感がある。ここは、全員に成功するための解答を与えてくれる。
だから、ある程度の期間、ここで練功を積んだ者であれば、自分の課題であったり、勘違いしていた事であったり、上達するポイントであったりを、皆と共有したいと思うようになる。
そして、“楽しく達人を目指す集団”を掲げる組織の一員として、皆、「取り敢えずやってみて何回か成功すればラッキー」的なレベルではなく、「10回やれば10回、100回やれば100回全てを当たり前に成功する」再現性を追求するのはもちろんの事、それ以上に、新人を短期間でベテラン化出来る組織を目指している。どういう事かというと、例えば、私は、自分が5年間掛かって上達してきたものを、自分が上手くいかなかった原因解析したり、自分がモノにしてきた上達のポイントをまとめたり、伝えるべき事や方法を吟味したりして、新しく入ってくる人にはできるだけ足踏み期間が出来ない様にしたいと思っている。そして、他の塾生も当然、思いは同じなので、色々な人から話がきける。そのアドバイスを参考に練功を積めば、長年いる人のレベルにも1年位で到達出来る。そして、これらの組織全体の底上げは塾長以下全員の“想い”である。

こんな集団、どこ探しても他に無いでしょ?

虹をつかんだ男のココだけの話「引かれる事」

最近の練功で、気づいた事があったので、また記述したいと思う。
合気を掛ける時、とても重要な要素に“繋がる”という事がある。それは、簡単に言えば、手の指先から、胴体を通し、足の指先までゴムで繋がった感覚である。

体の中で出来たゴム感覚を使いこなせるようになれば、それを使って体の中の個々のパーツを連動させて動かす事が出来る。ある場所を動かせば、その動きが伝わって体の各所に影響及ぼす事が出来たり、ゴムを単体で引っ張っていたとしても、それにくっ付いている体の一部が影響を受け、それに伴って影響が波及していったりする。これを使うことが出来れば、手を動かしたいからといって、馬鹿正直に直接手を動かさなくても、二次的、三次的に手が動くのを待つ事が出来る。

そして、自分の体を繋げる事ができる様になったら、次は他の人の体に繋がる事を目指す。自分の体が繋がっている時、他人に触れた場合、その相手も纏めて繋げて一体化する事も出来る。これは、今までのゴムの繋がりの最終地点を、自分の手から、触れた相手の足へ切り替える事で相手の体丸ごとを自分の指揮下に置く事が可能となる。

これらの事からいえるのは、自分の体を繋げたり、相手と繋がったりする事においても重要な役割を担うのも、やはり、“弾力”であるという事である。
結局は、合気のカラダ作りが大切であり、出来ない方は、まず手の平のゴム感覚から地道にやるしかないという事である。

そして、最後に、イメージ上でゴムを引く時のポイントであるが、それは“引く”事ではなく“引かれる”事である。
外部で引く動作をしても、引かれる内部感覚が無ければ、その人が引いている物は、ゴムにはならないという事である。
ゴムという物は例え1㎜引いたとしてもその時点で引いた分の引き戻しが発生する。だから引けば引く程、段階的に引き戻しが強くなるものである。
今、あなたが引いている物が、引き始めから引き切ったところまで何の抵抗も実感できないのであれば、たとえそれが、自分ではゴムを引いているつもりであっても、あなたの引いている物はゴムになる事はないのだ。それは、あなたのゴムに対する認識の甘さであり、その認識を改めなければ、“弾力”を扱える次元に到達することは無い。

虹をつかんだ男のココだけの話「実績」

私が合気練功塾に通い始めて5年間が経とうとしている。バスや電車で片道2時間くらいかかるのだが、それくらいの時間で通える自分をとても運の良い人間だと思っている。なぜなら、確実に上達するから。

いつものように、過去に騙された団体との比較になるのだが、今私が知り得る知識や会得した技術は、100%合気練功塾のものである。合気練功塾で原理を教えてもらいながら、カラダ作りをして、「技が掛かる」という成功体験を積み重ねて、頂いたモノである。私の記憶では、合気練功塾以前に訪問した所では、成功した覚えは皆無である。そして、失敗した思い出は、枚挙に遑がない。だから当然得たモノも何一つ無い。
そして、次いでに言っておくと、過去に読んだ書籍や見た動画なども、初心者が見たところで、「不思議だな。」「出来たらいいな。」で終わってしまう。それらを見て理解出来るようになるには、事前に“知識”が必要なのだ。“タネ”を教えてもらってないのに、不思議で理解出来ないモノを、どれだけ多く見ようが、理解が出来るようになる事は無い。
しかし、さも教えてくれる様な雰囲気を醸し出している組織が多数存在する。過去、私が通った所は全てそうであるし、人づてに話を聞いても“タネ”を教えてくれる所は無い。
だから、通ったところで、何も得る事が出来ないのは当然の事である。

これってすごくおかしくないですか?

さも誰でも出来る様になるような広告を打ちながら、一人として出来る人間がいない。そして、期間が終了したり、途中で諦めた者に対して、「そんなに簡単に出来るハズ無いでしょう。」って。
誰一人合格者を出せない塾や予備校って詐欺と言われるのですが、知っていますか?。試験に出ない事ばかり教えられて、“本質”を教えないから実績が出ないのでしょう?。

そもそも、簡単に出来ない事なんて分かっている。時間がかかるのも承知の上だ。しかし、全く関係のない事や、間違った事、そして、ウソを教えられのが困るのだ。

私は、合気練功塾に来て目に見えて成長した。原理を理解して、カラダや意識を使い現象化出来る様になった。そして、それは知らぬ間に出来た訳でもなく、急に出来る様になった訳でもない。“必要な事”を理解し、“必要な課題”をこなす事によって出来る様になった。

そして、すごい事に、事前に分かるのである。

“この課題をクリアすれば、どれくらい上達するか”が。

生徒のやる気が出て当然でしょう。

虹をつかんだ男のココだけの話「共鳴」

たった今、第一回指導者講習会が終わった。今月の締め切りに追われた私は、帰りの電車に乗りながら本文作成中である。

30人の志熱い者達が集まり、一泊二日で行われたわけだが、「楽しい達人」集団を目指す、合気練功塾ならではの実りある合宿であったと思う。実技指導はもちろんのこと、筆記試験に、夜は班別討議と盛り沢山で、厳しくも楽しい内容であった。

講習会のテーマは「共鳴する心と技」。独りよがりでは、合気の技はかからない。それはなにも技だけに限った話ではない。技を掛ける時に、自分の都合だけで、相手の事を考えずに力任せに動いても、その力は相手の力とぶつかってしまう。その事は、皆さんも経験上よくご存知だと思う。でも、本当は、それ以前の問題なのだ。
相手に触れる前の対峙した時点で意識がぶつかっているのだ。“やる気”が漏れ出た時点で相手に警戒されてしまう。だから、その時点で失敗が決定してしまう。考えてみれば当然の事だが、合気が成立するのは、相手の邪魔をせず、相手のやりたいようにさせてあげるしか正解はないのだ。「相手に技を掛けてもらう」という様なマインドを持っていないと、どこかの段階で相手と“ぶつかる”事は避けられない。

しかし、もう一段階深く考えてみると、これらの事は、合気修得の本質にまでは達していない事が分かる。
つまり、今回のテーマが提起しているのは、日常から「ぶつからない」という事なのだ。合気の練功をしている時だけ気をつけるのでは足りない。そもそも、普段、生活をしている時に、相手に敬意を払えない者が、技を掛ける時だけ相手に敬意を表する事など出来るはずが無いのだ。
だから、常日頃から人と接する時に、その人が心地よくいられる様な態度で接する必要があるのだ。

そのために一番良い方法は、自分が機嫌良くいるという事である。機嫌の良い人に対して、マイナスの要素を抱く人はいない。もしいるとすれば、その人は元々、何らかの理由で自分の事が嫌いなのだ。

そして、もう一つ、今まで生きてきた事で強烈な思い込みがある。何か良い事が起こらないと自分の機嫌が良くならないのだ。
これは、「機嫌が良い・悪い」を運や結果など、外部要素に決められているからである。その時の感情によって気分が悪くなるのだ。

その思い込みを理解して、今後、自分の機嫌は自分で取ると決める事だ。運や結果を吟味して感情を揺さぶられる事なく、自分自身で判断を下す。それさえ分かっていれば、自分の機嫌は自分で取れるだろう。

まず、常日頃の他人との接し方を見直したいと思う

虹をつかんだ男のココだけの話「目的を見失っている方へ」

私が合気練功塾に入って五年程経つのだが、それ以前の数年間は、『数々のセミナーに出て、騙されては後悔する』を繰り返す、自他ともに認める「合気難民」であった。だから、かつて同じ境遇であり、諸般の事情により、志半ばで夢破れ、足を洗う事を余儀なくされた大多数の方が存在するのも知っている。さぞかし無念であろうと思う。騙された思いしかないと思う。
この様に思えるのは、合気練功塾に辿り着き、本物に触れ、やり方を教わり、その方法を実践するだけで、合気の存在を知らない人にも面白い様に現象化を実現出来るに至った自分の余裕からだと思う。

しかし、そのような過去を振り返る中で、私の中でどうしても理解出来ない人たちがいる。その人達というのは、私が訪問した先には必ず存在していたのだが、そこの指導者の弟子のようにして、毎回のように現場に顔を出し、率先して場を盛り上げたり、技に掛かったり、懇親会の手配をしたりする人々で、長年いる事は明白で、段取りは抜群に上手いのだが、技術に関しては、私たち素人と何も変わらないという、不思議な人達であった。自分の貴重な時間を、見返り無しに他人に捧げている“徳の高い人”達で、私の様な“器の小さな”人間には、そこにいる意味が分からなかった。
例えるとすれば、「手品師に憧れて、手品の技術を学ぼうと入門したはずなのに、何故かタネさえ教えて貰えずに、芸を間近で見るだけで、すでに知っているはずの手品の素晴らしさを再確認している」だけで、憧れが憧れで終わっている。目的が変わってしまっている事に気づいていないのではと思う。そして、尚且つ、それを他人にも胸を張って薦めるので、技術修得を目指す者にとって迷惑以外の何物でもないと思う。

本当にあなたは、いつまでも助手のままで良いのですか?本当は技術者に成りたいのではないのですか?
よほどの天才以外、技を受けるだけで合気の修得はムリですよ。でも、タネを明かしてくれてコツを教えてくれる所に行けば、私の様な凡人でもやればやるだけ着実に伸びますよ。

私は、合気練功塾に入るまでは、何一つ技術を持たなかったし、それを本気で教えようとする人間にも会った事が無かった。だから、すぐに見切りを付けて、次を探し、転々としてきた。そんな私が、現在、福井から名古屋に5年も通っている。そして、拙いながらも技術を得る事が出来ているのは、全て、松原塾長やここに集う塾生の協力おかげである。
そして、まだまだ上達したい私は、ここに通い続けるし、それ以外の選択肢は1つも浮かばない。