虹をつかんだ男のココだけの話

虹をつかんだ男のココだけの話「バランス」

合気を知らない人が見よう見まねで力の強い人相手に合気上げをしようとした場合、抑えつけられて潰されてしまう。しかし、分かっている人が手順を追って掛けると、簡単に浮かされてしまい、最終的には、自分が出す力で上がりきってしまう。

 

この時、この力の強い相手は、潰す時もかかる時も、同じ行動をしている。それは、「上がらないように体重をかけて、上がって来る相手の腕を押さえよう」という行動である。

力のある人、特に男性は、力がぶつかった時に、相手との力関係を計算して、耐えられると思えば耐え、抑えられると思えば抑えるという思考になりがちである。

だから、「潰せると思って抑えたが、自分が上がってしまった。」という結果が不思議でしょうがない。しかし、合気練功塾にくれば謎は解ける。1人で考えていては、時間の無駄なので是非足をお運びください。

自分が上がってしまうのは、重心を上げられているので、踏ん張りが効かないのである。
踏ん張り効く場合は、相手を筋力で押さえつけようとする場合、相手の力が自分より弱いなら、自分が上がる事は無い。

 

しかし、踏ん張りが効かない場合は、相手の力が強かろうが弱かろうが自分が上がるしかない。なぜなら、自分は浮いてる状態と同じなので、何かを押せば、もろに推進力の影響を受けるからだ。

 

上がって来る相手の腕に対して、下に押さえようとすれば、自分が上に上がる事は、自然の摂理であり、誰にも抗うことは出来ない。

この場合は、相手は手に触れる時に、上下にミリ単位で膨らんでいる。知らないうちに自分にとっては、僅かに高い杖を持たされた状態になっているのだが、僅か過ぎて気が付かない。

 

自分では五分にバランスしていると錯覚しているので、相手がアクションを起こした時に、「余裕で抑えれる。」と思うのだが、抑えに行けば行くほど自分の身体が伸びていく。

そして、自分では、相手と筋力でバランスしていると思っているが、相手は遠心性収縮を使った弾力でバランスしようとしている。

筋力対筋力では、ぶつかったり、スカされたりして現象化が起きる事は有り得ないというのは、常識であるが、弾力は筋力より次元が高いので筋力とぶつかる事は無い。弾力は筋力が出したエネルギーを受けた時、ぶつかること無く、伸びる力として吸収し増幅する事が出来る。

 

そして、伸びたものは戻るので、自分が筋力で押した分は、相手が作った弾力に飲み込まれて自分を飛ばす力となり返ってくる。だから、結果的には、自分は自分が出す力で上がる事になる。

塾長曰く、「合気とは、本人がバランスを取ろうと思っているところとは違うところでバランスを取らされている状態。」

虹をつかんだ男のココだけの話「0を作る」

0を辞書で引くと「何もない事の表示」とある。

座取りの合気上げは、掛け手が正坐をして腿の上に置いた手首を、受け手が目一杯の力で抑えるところからスタートする。そして、次の瞬間に受け手の身体は上に上がっている。この、静止した状態から一瞬で相手を跳ね上げる動作には何の力みもなく、軽々と上げられている様子が見て取れる。

そして、それを真似てやってみようとした時、何も知らない人は、静止している(0)=何もない状態から、いきなり筋力で上げようとするので、上がらないという経験をする事になる。

相手を動かすための動力が「筋力」以外思い浮かばないのである。今までの経験上、物を動かす為に「筋力」しか使った事がないので他の方法を知らない。相手も「筋力」しか知らないし、それに対する防御は数えきれない程しているので、いつでも当たり前の様に止められる。

そして、もう一つ重要なのは、「静止している(0)=何もない」と思い違いをしている事である。外から見れば、微動だにしないので、確かに、「何もない」様に見えるのだが、実際のところ、掛け手は手が触れた瞬間に自分の内部のゴムを引いている。すると、受け手も引きずり込まれない様に無意識のうちに引き返す事になる。

言うなれば、この0は、「何もない」0ではなく、「1ー1=0」で、「釣り合いが取れた」0という事である。掛け手は、受け手にバランスを取らす事を余儀なくさせているのである。

細かく言えば、静止した状態の水面下では、脛(足裏)から脛(足裏)まで身体を通して(裏の力)でゴムを張って、相手と(同調)している。そして、(推進力)により方向も決められている、もう既に、0の状態で上がるお膳立てが完了しているのである。

そして、遠心性収縮(ゆるみ)を使いゴムを引けば、1であった力は何倍にも増える。この時、自分が何倍にも力を増やせば、釣り合っているので相手も同じだけの力を出す事になる。すると2人の身体の中を通ったゴムは最大限に引かれ、相手側のゴムの端を切れば2人で出した力が合わさり自分の方に戻って来る事になる。

 

その波に乗って相手の重心が自分の手の上に乗って来る。後は、相手が力を出せば出すほど、地面と直結した自分の手を押す事になるので勝手に上がって行く事になる。

ちなみに、この0がプラスになった時は、相手に意図がバレ、マイナスの間は、相手に影響が出ない。だから、相手に触れた時に、何も無い状態から相手の出力とバランスする様に自分が相手に合わせて行き0に到達する時に止める必要がある。

虹をつかんだ男のココだけの話「推進力」

合気練功塾の原理2は推進力である。
推進力とは「物を前へ推し進める力」のことだが、合気で使える推進力とは、自分が与えた力が他に当たり返ってくる、反発力である。

この力は、我々も普段から何気無く使っている。
例えば、椅子から立ち上がる時には、肘掛を押しながら立ち上がるとか、自分の背丈より低い入り口から入る時に、その上の部分に手を当てて自分を小さくしてくぐるとか。肘掛を押す事により自分には、上への推進力が発生し、入り口の上を押す事により、下への推進力が発生する。

しかし、この推進力を使うには条件が有る。自分が出す力よりもぶつかる相手の方が強いということ。なぜなら、相手が壊れたら反発力が発生しないから。
この力は自分が勝手に出せる力ではなく、相手の協力を引き出してこそ使用可能な力である。

これを踏まえて、合気上げを考えてみる。自分の腕が下にあるので、自分の力を上にある相手の腕に当てた場合、自分には下への推進力が働いている。と同時に自分とバランスしている相手は、下へ押しているので、上への推進力が働いている。

二人で一つの物体のようになっていて、重心も二人で一つになって、お互いがお互いを引き合う事で立っている。そして、自分が、この重心を引き寄せる事によりバランスを崩した相手は、上への推進力の乗り、頼っている腕を押すごとに上がっていく。もちろんこの時、重心を相手に取られれば、自分が相手の腕を押しながら下がって行くことになる。

いかに相手を推進力に乗せるかが鍵なのだが、失敗する人は「上げたい。」という思いが強すぎて、相手とバランスする気が無いので推進力を作ることが出来ない。そして、その人は、日常的に使っている発想と動作で自分勝手に目的地を決めて人を物のように運ぼうとする。相手は物ではないので、行動に出た瞬間に抑え込まれたり、スカされたりして目的が達成されることは無い。

合気の方向は推進力が決める。推進力に弾力をつける事で相手の重心が動く。それに従って相手の身体が動くのだ。しかし、自分が直接狙って出せる力ではないので、相手が力を出してくれるのを待つしかない。自分が狙えるのは、相手が協力をしてくれるよう条件を整える事だけである。その条件とは、相手より強い力を出さない。

相手の力がどんなに弱くても、それより更に弱い力をぶつける事でしか跳ね返りが起きない。また、自分が出した力が相手まで届くても何も起こらず気まずい時間が流れる。結果、焦って筋力発動でドツボにハマるのがお決まりのパターンである。

しかし、それを何度も繰り返し、試行錯誤しながら、合気練功塾の塾生は成長する。

虹をつかんだ男のココだけの話「引っ張られる」

弾力を作る為にゴム感覚が必要である。
実際に使えるゴム感覚を作るには、自分が一方的に引くだけでは不十分である。本物のゴムはただ引けば、必然的に戻されるのだが、イメージ上のゴムは戻る事まで想像しなければ、紐や縄の様に引っ張り続けるだけになる。
引く時に自分の方向だけでなく、相手の方向にも伸びるイメージを持つ事で仮想世界でもゴムの様な弾力を発生させることが可能になる。

そして、この弾力の使用方法は、相手を「引っ張る」のではなく、自分が「引っ張られる」事である。
なぜなら、相手を引っ張ろうとした瞬間に自分の企みがバレる為、相手に簡単対処されてしまう。
引っ張られている分には、相手の意思に沿っている為、相手に抵抗感が出ない。そして、最終的に、「引っ張られる」事を止めた時に、伸びていたゴムが自分側に戻ってくるので、それを自分の足に回収すれば、そのゴムの反対側を持たされている相手は弾力に乗って、自分側に寄って来てしまう。

もう少し詳しく書くと、まず、相手の足と自分の足まで2人の身体の中にゴムを張る。この状態で止まっていても何も起こらないので、事を起こす為に、張ったゴムを自分側に引っ張る。引っ張られたと感じた相手も、態勢を立て直そうゴムを引いてしまう。ここで、大事なのは、「遠心性収縮」で身体の中のゴムを引き、2人でバランスを取る様にしながら、相手にもゴムを引かせる事。相手は「何故か分からないが引かれている」気がするので、自分の腕を押しながら踏み止まろうとする。

その結果、相手は、知らず知らずのうちに身体全体を弓の様に引きながら、頼った腕を支点にして相手自身を飛ばそうとしている事になる。後は引いている弦を弾いてやれば、自分の方に飛んでくることになる。しかし、最初から「求心性収縮」で筋力を使って引こうとするとと、腕そのものの引き合いになり、ぶつかったり、抜かれたりしておしまいである。

「引っ張られる」感覚とは、相手の引く力と自分の引く力がぶつかること無くバランスして、そこに出来る弾力でいつでも相手の引きに乗って飛んでいける感覚。自分を動かす事も出来るし、相手を動かす事も出来る。自分が、その「引っ張られる」感覚に乗らずに、体幹を使って耐えた時に、相手だけがゴムを引いている状態となり、そのゴムの引き戻しに乗り、重心を取られ、足裏を剥がされ自分の方に寄ってくる事になる。

「引っ張られる」感覚は、自分だけでなく、2人の中で弾力が発生している証拠であり、それが有ってはじめて、相手への影響が出る。

虹をつかんだ男のココだけの話「遠心性伸縮」

合気上げを見ると、掛ける人は肘を曲げて上げているように見える。しかし、何を見ようが、誰に聞こうが、「曲げてはいない。」と言われる。すごく困る。
これは、嘘ではないのだが、余りにも不親切である。そもそも、教える気が無いのだから仕方がないのだが。

しかし、合気練功塾で、松原塾長から原理を習った者として、それを共有すべき責務があるので、今回書いてみたいと思う。
ここに来て、手取り足取り教えてもらい、やっと理解出来たのだが、自力で発想するのは到底無理で、時間がいくら有ってもたどり着けなかっただろう。

前にも書いたと思うのだが、人は、目の前で起こった現象を自分の記憶や体験からしか類推出来ない。記憶や体験に正解がなければ、それを元にした答えも正解になることはない。
〝曲げている〟様に見えるのに〝曲げていない〟と言う者は、確かに〝曲げていない〟のだが〝曲がる〟様な仕掛けを確信犯的に行っている。
この答えが理解出来るのは、関節運動を行う場合、『求心性収縮』と『遠心性収縮』が存在するということを知っていて、尚且つ、『遠心性収縮』をしながら伸ばしている腕にゴム感覚を発生させられる者だけである。
説明しておくと、『求心性収縮』とは、筋肉を縮めながら力を出す方法で、『遠心性収縮』とは筋肉を伸ばしながら力を出す方法、例としては、コップの水を飲もうとして、口元に運んでくる動作が、『求心性収縮』で、コップを戻そうととテーブルに置きにいく動作が『遠心性収縮』。

普通の人生を送ってきた人は、対象を自分の前に引いてくる場合に、『求心性収縮』しか選択したことがないため、肘関節が曲がっているのを見た時、意識して〝曲げている〟としか思えないのだ。
しかし、実際ここで起こっているのは、ゴム感覚を持った腕を『遠心性収縮』で伸ばし、伸ばすのをやめた時の結果である。腕を〝曲げよう〟と意識しているのではなく、〝曲がる〟設定の腕を伸ばそうと意識し、それをやめた結果、無意識に腕が元に戻っていき〝曲がる〟のである。
合気上げとは、いきなり腕を曲げて相手を上げたわけではなく、上がるべくして上がる様、用意周到に仕掛けが施されているのだ。持たそうと出してきた腕は、見かけ上は止まっている様に見えるのだが、そこには上方向のベクトルが内包されている。腕を持った瞬間にゴム感覚を動力としたシステムが動き出し、最終的には、相手が自分で出した力が地面にぶつかり身体が上がり、その時浮いた分だけ、掛け手の腕が後を追っかけて来るのだ。

だから、結論としては、「曲げようとしても掛からないし、上げようとしても掛からない。」事になる。