虹をつかんだ男のココだけの話

虹をつかんだ男のココだけの話「実績」

私が合気練功塾に通い始めて5年間が経とうとしている。バスや電車で片道2時間くらいかかるのだが、それくらいの時間で通える自分をとても運の良い人間だと思っている。なぜなら、確実に上達するから。

いつものように、過去に騙された団体との比較になるのだが、今私が知り得る知識や会得した技術は、100%合気練功塾のものである。合気練功塾で原理を教えてもらいながら、カラダ作りをして、「技が掛かる」という成功体験を積み重ねて、頂いたモノである。私の記憶では、合気練功塾以前に訪問した所では、成功した覚えは皆無である。そして、失敗した思い出は、枚挙に遑がない。だから当然得たモノも何一つ無い。
そして、次いでに言っておくと、過去に読んだ書籍や見た動画なども、初心者が見たところで、「不思議だな。」「出来たらいいな。」で終わってしまう。それらを見て理解出来るようになるには、事前に“知識”が必要なのだ。“タネ”を教えてもらってないのに、不思議で理解出来ないモノを、どれだけ多く見ようが、理解が出来るようになる事は無い。
しかし、さも教えてくれる様な雰囲気を醸し出している組織が多数存在する。過去、私が通った所は全てそうであるし、人づてに話を聞いても“タネ”を教えてくれる所は無い。
だから、通ったところで、何も得る事が出来ないのは当然の事である。

これってすごくおかしくないですか?

さも誰でも出来る様になるような広告を打ちながら、一人として出来る人間がいない。そして、期間が終了したり、途中で諦めた者に対して、「そんなに簡単に出来るハズ無いでしょう。」って。
誰一人合格者を出せない塾や予備校って詐欺と言われるのですが、知っていますか?。試験に出ない事ばかり教えられて、“本質”を教えないから実績が出ないのでしょう?。

そもそも、簡単に出来ない事なんて分かっている。時間がかかるのも承知の上だ。しかし、全く関係のない事や、間違った事、そして、ウソを教えられのが困るのだ。

私は、合気練功塾に来て目に見えて成長した。原理を理解して、カラダや意識を使い現象化出来る様になった。そして、それは知らぬ間に出来た訳でもなく、急に出来る様になった訳でもない。“必要な事”を理解し、“必要な課題”をこなす事によって出来る様になった。

そして、すごい事に、事前に分かるのである。

“この課題をクリアすれば、どれくらい上達するか”が。

生徒のやる気が出て当然でしょう。

虹をつかんだ男のココだけの話「共鳴」

たった今、第一回指導者講習会が終わった。今月の締め切りに追われた私は、帰りの電車に乗りながら本文作成中である。

30人の志熱い者達が集まり、一泊二日で行われたわけだが、「楽しい達人」集団を目指す、合気練功塾ならではの実りある合宿であったと思う。実技指導はもちろんのこと、筆記試験に、夜は班別討議と盛り沢山で、厳しくも楽しい内容であった。

講習会のテーマは「共鳴する心と技」。独りよがりでは、合気の技はかからない。それはなにも技だけに限った話ではない。技を掛ける時に、自分の都合だけで、相手の事を考えずに力任せに動いても、その力は相手の力とぶつかってしまう。その事は、皆さんも経験上よくご存知だと思う。でも、本当は、それ以前の問題なのだ。
相手に触れる前の対峙した時点で意識がぶつかっているのだ。“やる気”が漏れ出た時点で相手に警戒されてしまう。だから、その時点で失敗が決定してしまう。考えてみれば当然の事だが、合気が成立するのは、相手の邪魔をせず、相手のやりたいようにさせてあげるしか正解はないのだ。「相手に技を掛けてもらう」という様なマインドを持っていないと、どこかの段階で相手と“ぶつかる”事は避けられない。

しかし、もう一段階深く考えてみると、これらの事は、合気修得の本質にまでは達していない事が分かる。
つまり、今回のテーマが提起しているのは、日常から「ぶつからない」という事なのだ。合気の練功をしている時だけ気をつけるのでは足りない。そもそも、普段、生活をしている時に、相手に敬意を払えない者が、技を掛ける時だけ相手に敬意を表する事など出来るはずが無いのだ。
だから、常日頃から人と接する時に、その人が心地よくいられる様な態度で接する必要があるのだ。

そのために一番良い方法は、自分が機嫌良くいるという事である。機嫌の良い人に対して、マイナスの要素を抱く人はいない。もしいるとすれば、その人は元々、何らかの理由で自分の事が嫌いなのだ。

そして、もう一つ、今まで生きてきた事で強烈な思い込みがある。何か良い事が起こらないと自分の機嫌が良くならないのだ。
これは、「機嫌が良い・悪い」を運や結果など、外部要素に決められているからである。その時の感情によって気分が悪くなるのだ。

その思い込みを理解して、今後、自分の機嫌は自分で取ると決める事だ。運や結果を吟味して感情を揺さぶられる事なく、自分自身で判断を下す。それさえ分かっていれば、自分の機嫌は自分で取れるだろう。

まず、常日頃の他人との接し方を見直したいと思う

虹をつかんだ男のココだけの話「目的を見失っている方へ」

私が合気練功塾に入って五年程経つのだが、それ以前の数年間は、『数々のセミナーに出て、騙されては後悔する』を繰り返す、自他ともに認める「合気難民」であった。だから、かつて同じ境遇であり、諸般の事情により、志半ばで夢破れ、足を洗う事を余儀なくされた大多数の方が存在するのも知っている。さぞかし無念であろうと思う。騙された思いしかないと思う。
この様に思えるのは、合気練功塾に辿り着き、本物に触れ、やり方を教わり、その方法を実践するだけで、合気の存在を知らない人にも面白い様に現象化を実現出来るに至った自分の余裕からだと思う。

しかし、そのような過去を振り返る中で、私の中でどうしても理解出来ない人たちがいる。その人達というのは、私が訪問した先には必ず存在していたのだが、そこの指導者の弟子のようにして、毎回のように現場に顔を出し、率先して場を盛り上げたり、技に掛かったり、懇親会の手配をしたりする人々で、長年いる事は明白で、段取りは抜群に上手いのだが、技術に関しては、私たち素人と何も変わらないという、不思議な人達であった。自分の貴重な時間を、見返り無しに他人に捧げている“徳の高い人”達で、私の様な“器の小さな”人間には、そこにいる意味が分からなかった。
例えるとすれば、「手品師に憧れて、手品の技術を学ぼうと入門したはずなのに、何故かタネさえ教えて貰えずに、芸を間近で見るだけで、すでに知っているはずの手品の素晴らしさを再確認している」だけで、憧れが憧れで終わっている。目的が変わってしまっている事に気づいていないのではと思う。そして、尚且つ、それを他人にも胸を張って薦めるので、技術修得を目指す者にとって迷惑以外の何物でもないと思う。

本当にあなたは、いつまでも助手のままで良いのですか?本当は技術者に成りたいのではないのですか?
よほどの天才以外、技を受けるだけで合気の修得はムリですよ。でも、タネを明かしてくれてコツを教えてくれる所に行けば、私の様な凡人でもやればやるだけ着実に伸びますよ。

私は、合気練功塾に入るまでは、何一つ技術を持たなかったし、それを本気で教えようとする人間にも会った事が無かった。だから、すぐに見切りを付けて、次を探し、転々としてきた。そんな私が、現在、福井から名古屋に5年も通っている。そして、拙いながらも技術を得る事が出来ているのは、全て、松原塾長やここに集う塾生の協力おかげである。
そして、まだまだ上達したい私は、ここに通い続けるし、それ以外の選択肢は1つも浮かばない。

虹をつかんだ男のココだけの話「座取り」

今回も3点バランスのお話。

3点バランスは、合気のためのバランスであるので、どのような体勢でも有効に機能する。

座っていようが、寝ていようが、立っている時と何ら変わりがない。

 

そこで、今回は、座取りの合気揚げで説明したいと思う。

まず、相手と正座で向かい合い、自分の膝に置いた両手を相手の両手で押さえてもらう。

 

1.自分の両手と膝下の間で、上下にゴムを引いて縦圧を作り、相手がその圧に上から触れる事によって起こる反射により、自分の身体が真下に押される弾力を感じる。

2.その縦圧を維持したまま、自分の背骨を少し後ろに反らせ、その方向へもゴムを張り、1で作った真下への弾力を、相手の足下に引かれる斜め下への弾力に変える。

3.縦圧と斜めの張りを維持したまま、反らせた背骨の方向に丹田を引き上げ、全身のゴムの弛みをとり、引き上げた場所に固定する。その時、相手の丹田とくっ付く(引き合う)のを感じる。

この1、2、3で3点バランスは完成する。

では、上の1、2、3の時に、相手に起こる内部の変化もみてみる。

1.下から上がって来る力に対して、反射的に上から押さえようとするが、弾力を押さえる事になるので相手の重心は上がってしまう。また、縦圧を押さえる事で、相手の縦方向の自由度が埋まってしまう。

2.縦の弾力に加え、横の弾力にも対応しようとするが、膝の踏ん張りが効かないため、相手は押さえている手を支点に肩が斜め前に出て来る。この反射により横方向の自由度も無くなる。

3.相手は1、2で上半身の自由が無くなった上で、内部のゴムを引かれて重心を前に引き出される事になる。それを防御するために、反射的にそのゴムを逆側に引いてしまうので、結局ゴムを極限まで張り切ってしまい、全ての自由度が無くなり、同調してしまう。(この時、内部のゴムの収縮により、自然現象として顎が首にくっ付くのでそれを確認する。)

最後に、ぎゅうぎゅうに張り切ったゴムを緩め、その運動エネルギーを、1で作った上方向の縦圧に変換すれば、自分の手が上に飛んで行くので、そこに繋がっている相手の身体も同様に持って行かれる事になる。

虹をつかんだ男のココだけの話「所変われば品変わる」

私が合気について何も知らない頃、動画で合気上げを見ていると、上げている人は皆自分の腕を手前に引きながら上げていた。自分も出来る様になりたいと思い、いくつかの道場やセミナーを訪れた。そして、詐欺被害に遭ったのは、何度か書いているので、ご存知の事と思う。行った先々で行われていた合気上げも動画と同じやり方であった。だから、私も同じ様にやってみるのだが、当然、一度も上がる事はなかった。

そして、私を混乱させたのは、その時に言われる「引いてはダメ。」という言葉であった。何処からどう見ても引いているのに、「引いていない。」と言われ、一時は科学的な発想を通り越して、頓知的な領域まで思考をこじらせる羽目になった。
そして、それ以上に私が驚いたのは、そこにいる人全てが“引いている”様に見えるのは認めるだが、何故そう見えるのか?の理由については、「知らない」人と、諸般の事情により「説明出来ない」人の二通りしか存在しないという事実であった。もうお手上げである。謎が解けるはずもない。

しかし、縁あって合気練功塾にお世話になると謎は簡単に解けた。“引く”のではなく“頼る”のだという事を知るのだが、塾生のほとんどが当たり前のように知っていて、誰に聞いても気兼ねなく教えてくれるので、聞いているこちらが拍子抜けしてしまうくらいだった。

実際、昔の私のように、不慣れな人から見れば“引く”も“頼る”も外見上は同じに見える。では何が違うのか?

重心が足の上に有るか無いかの違いである。重心が足の上に有る時に腕を手前に動かした場合が“引く”であり、重心が足の上に無い時に腕を手前に動かした場合が“頼る”である。

“引く”は対象物が無くても、その動作を行う事は可能であるが、“頼る”は対象物が無いと、文字通り“頼る”事が出来ないため重心が床に落ちて転倒する事になる。

つまり、“引く”は足下が安定していなければ成立しないし、“頼る”は足下が安定していたら成立しない

だから、合気では、不安定が必要で、不安定である限り、いくら見た目で引いているように見えても「引いてはいない。」のだ。

合気練功塾ではこれを“手と足の機能の逆転”と教わるのだが、普段足で取っているバランスを手で取らざるを得ないような状態になった時に初めて、合気の世界に入る事が出来る。

そして、この状態を一瞬で作り出す事が出来るメソッドも3点バランスを置いて他に無いのだ。