虹をつかんだ男のココだけの話

虹をつかんだ男のココだけの話「座取り」

今回も3点バランスのお話。

3点バランスは、合気のためのバランスであるので、どのような体勢でも有効に機能する。

座っていようが、寝ていようが、立っている時と何ら変わりがない。

 

そこで、今回は、座取りの合気揚げで説明したいと思う。

まず、相手と正座で向かい合い、自分の膝に置いた両手を相手の両手で押さえてもらう。

 

1.自分の両手と膝下の間で、上下にゴムを引いて縦圧を作り、相手がその圧に上から触れる事によって起こる反射により、自分の身体が真下に押される弾力を感じる。

2.その縦圧を維持したまま、自分の背骨を少し後ろに反らせ、その方向へもゴムを張り、1で作った真下への弾力を、相手の足下に引かれる斜め下への弾力に変える。

3.縦圧と斜めの張りを維持したまま、反らせた背骨の方向に丹田を引き上げ、全身のゴムの弛みをとり、引き上げた場所に固定する。その時、相手の丹田とくっ付く(引き合う)のを感じる。

この1、2、3で3点バランスは完成する。

では、上の1、2、3の時に、相手に起こる内部の変化もみてみる。

1.下から上がって来る力に対して、反射的に上から押さえようとするが、弾力を押さえる事になるので相手の重心は上がってしまう。また、縦圧を押さえる事で、相手の縦方向の自由度が埋まってしまう。

2.縦の弾力に加え、横の弾力にも対応しようとするが、膝の踏ん張りが効かないため、相手は押さえている手を支点に肩が斜め前に出て来る。この反射により横方向の自由度も無くなる。

3.相手は1、2で上半身の自由が無くなった上で、内部のゴムを引かれて重心を前に引き出される事になる。それを防御するために、反射的にそのゴムを逆側に引いてしまうので、結局ゴムを極限まで張り切ってしまい、全ての自由度が無くなり、同調してしまう。(この時、内部のゴムの収縮により、自然現象として顎が首にくっ付くのでそれを確認する。)

最後に、ぎゅうぎゅうに張り切ったゴムを緩め、その運動エネルギーを、1で作った上方向の縦圧に変換すれば、自分の手が上に飛んで行くので、そこに繋がっている相手の身体も同様に持って行かれる事になる。

虹をつかんだ男のココだけの話「所変われば品変わる」

私が合気について何も知らない頃、動画で合気上げを見ていると、上げている人は皆自分の腕を手前に引きながら上げていた。自分も出来る様になりたいと思い、いくつかの道場やセミナーを訪れた。そして、詐欺被害に遭ったのは、何度か書いているので、ご存知の事と思う。行った先々で行われていた合気上げも動画と同じやり方であった。だから、私も同じ様にやってみるのだが、当然、一度も上がる事はなかった。

そして、私を混乱させたのは、その時に言われる「引いてはダメ。」という言葉であった。何処からどう見ても引いているのに、「引いていない。」と言われ、一時は科学的な発想を通り越して、頓知的な領域まで思考をこじらせる羽目になった。
そして、それ以上に私が驚いたのは、そこにいる人全てが“引いている”様に見えるのは認めるだが、何故そう見えるのか?の理由については、「知らない」人と、諸般の事情により「説明出来ない」人の二通りしか存在しないという事実であった。もうお手上げである。謎が解けるはずもない。

しかし、縁あって合気練功塾にお世話になると謎は簡単に解けた。“引く”のではなく“頼る”のだという事を知るのだが、塾生のほとんどが当たり前のように知っていて、誰に聞いても気兼ねなく教えてくれるので、聞いているこちらが拍子抜けしてしまうくらいだった。

実際、昔の私のように、不慣れな人から見れば“引く”も“頼る”も外見上は同じに見える。では何が違うのか?

重心が足の上に有るか無いかの違いである。重心が足の上に有る時に腕を手前に動かした場合が“引く”であり、重心が足の上に無い時に腕を手前に動かした場合が“頼る”である。

“引く”は対象物が無くても、その動作を行う事は可能であるが、“頼る”は対象物が無いと、文字通り“頼る”事が出来ないため重心が床に落ちて転倒する事になる。

つまり、“引く”は足下が安定していなければ成立しないし、“頼る”は足下が安定していたら成立しない

だから、合気では、不安定が必要で、不安定である限り、いくら見た目で引いているように見えても「引いてはいない。」のだ。

合気練功塾ではこれを“手と足の機能の逆転”と教わるのだが、普段足で取っているバランスを手で取らざるを得ないような状態になった時に初めて、合気の世界に入る事が出来る。

そして、この状態を一瞬で作り出す事が出来るメソッドも3点バランスを置いて他に無いのだ。

虹をつかんだ男のココだけの話「ふと思う」

前回、合気は、「2人の人間がお互いを引き合い、倒れない様に支え合いながら立つ」事が前提であると述べた。
であるとすれば、自分は、わざとバランスを崩し、それをわざわざ引き戻ししてもらう必要がある。
普通ではあり得ない体勢なので、当然、普通の人が普通に考えたところで到底辿り着く事が出来ないメカニズムとなっている。
その上、相手が支えている事に気づかない様な軽さであり、相手がその場で踏み止まっていられる様な負荷しか掛けることが出来ない。しかし、その弱い力に対して、相手は自分が倒れない為に一生懸命支えるという矛盾した状態になる。

しかし、合気練功塾には、「いつでもどこでも誰とでも」一瞬にして、この矛盾した体勢を作る事が可能なメソッドがある。
3点バランス」と名付けられているその形をマスターすれば、誰もが、その時に起こる内部感覚を獲得する事が出来る。

手・肩・前足底の3点を外側に均等に張る。これにより、手から前足底までが直接繋がる。その上、体の比重が均一化するので、浮いている様な軽い状態を作る事が出来る。
しかし、この段階では、まだ完成ではない。重心が足の上にあり自立している。安定している間は、相手が支えてくれる事は無いので、重心を自分の後ろ側に落として不安定になる。そして、不安定になる時に、うまく相手に自分の体を預ける事が出来ると、相手が不安定な自分を前から引き上げてくれる事になる。

そして、「3点バランス」成立の確認方法としては、相手の肩に触れた時に足からの跳ね返りを感じ、手に触れた時も同様の反力感じる。
その後、正面に回り、相手の両手に触れた時に、相手の踵の骨が浮いている事で、自分にうまく体を預けれている事がわかる。そして、相手の手を引いた時に、自分が前に引き出される事で相手の重心が後ろにずれている事が確認が出来る。

この例の様に、ここには、誰でも合気の本質を知る環境が有り、それを理解した同志が多数存在する。当然有益な情報の宝庫で有り、同志の数だけ引き出しが存在する。

この世界において、皆が同じ方法論を理解し、水平展開を可能にする組織。
「皆を達人にする。」を目的とする組織。
合気練功塾。
何から何まで異端。

端くれながら、ただただ感謝、感謝。

虹をつかんだ男のココだけの話「体験」

合気上揚げの動画を見ただけで、合気揚げが出来る様になる人はいない。

それはどんなに天才であっても例外ではない。
なぜそう言い切れるのかは、何度か説明してきたが、合気に触れた事の無い人間には「2人が手を繋いで立っている」外観しか映像として認識出来ないから。

しかし、合気揚げが出来る人は、同じ動画を見た時、「この2人はたまたまこの体勢で止まっているだけで、少しバランスが崩れれば、違う形に移行する」という事を理解している。

見た事しかない人は、その外観をヒントに体勢を作るしかないので、「2人は独立して立った後、お互いの手の平を上下に触れ合わせてじっと待つ」という事になる。

しかし、待てど暮らせど動画のように相手が揚がる事はない。だから痺れを切らして、筋力発動で抑え込まれる。という結果しか起こらない。

一方、経験を通し、合気の原理を理解している人が重視するのは、繋がった2人に発生する内部感覚である。

お互いがお互いを引き合っているので、気を抜けば相手の陣地に引き込まれてしまう様な張りを感じ、それに負けない様、意識の中で、自分の外側からも自分を引いて動かない様に我慢している。

我慢を辞めれば次につり合うべき地点までゴムの張力の影響を受け自然に動く。

どこのゴムを切るかによって上下、前後、左右、斜めなど縦横無尽に移動させる事が可能である。

だから、1人では不可能なアクロバティックな体勢も、2人であるからこそ普通に成立する。画の2人は今、“そこで”しかつり合いが取れない状態のだ。

今述べた様に、同じ画を見た場合でも、その人の経験値によって、何も起こらない形にも見えるし、今にも動き出しそうな形にも見える。

合気の内部感覚を知らない人は、画を見て形を作る事は出来ても、その状況から目標とする形に移行するためには、筋力を使うしか手立てがないのだ。

もう“詰んで”いるという事になる。

だから、結論として、この人のレベルで合気関係の動画を見ても意味が無い。理解出来る次元にいないのだから。見れば見るほど本質から遠ざかり、誤解が深まるだけである。

本物を知りたければ、本物に触れるしかない。感覚は体験でしか取得出来ない。見てるひまがあるのならば、合気練功塾に来られた方が良いと思う。

しつこいと思うがもう1度説明すると、この画の2人は地に足をつけて自立しているのではない。
2人の体は、お互いの足から足までをゴムで繋がって一つの物体の様相を呈している。
そして、この物体が、立体として地面に立っている様に見えるのは、接触点である手を中心にしてお互いに引き合っているから。

この引き合っているというのは、物理的に手が手を引いているわけではない。これは、“合気の次元”の話で、手が接触している“一点”から無数のゴムが放射線状に伸びていて対になっているゴム同士引き合いで2人を囲っている。

そして、これは、ゴムであるから中心は端を引き、端は中心を引いている。このバランスが成立していると膨張した球体の様に立体として存在する事が出来る。(テンセグリティ構造)

わかりやすく言えば、自分の足で立っているのではなく、本来なら倒れてしまう体勢を、内と外の張力の絶妙なバランスにより、無理矢理に倒れない様に起こされているのである

結論、視覚で合気は掴めない、まず、チャンネル(受信器)を合わせよう。

虹をつかんだ男のココだけの話「レベルアップ」

最近、合気練功塾で習う事のレベルが上がって来ている。
他の塾生の記事にも書かれていると思うのだが、弾力から磁力や磁気へとより高い世界を
教わり、「丹田を掴ませる」や「意識レベルでさえぶつからない」など合気の本質を惜しげもなく伝授されている。

そんな自分の幸運を喜ぶ今日この頃である。
新しい事を教わり、それを修得出来る事は嬉しい事である。
また、教わる事の次元が上がり、それが理解出来る様になると、今までの間違いや勘違いに気づく事がある。

今回は、ふと気づいた事を記述したいと思う。
合気で人を引きたい時、自分の体の中で作ったゴムを相手にも共有させてそのゴムに乗せて近づけるのだが、ごく最近までそのゴムの張り方に大きな勘違いがあった。

しかし、これは一般常識に則って考えれば仕方のない事で、他にも勘違いされている人がいるだろうと思う。

現実世界に於いて、二人でゴムを張ろうとした場合、二人もしくは、一人がそのゴムを手前に引くしか方法は無い。

誰かが引かなければ何も起こらないので、この場合、誰かというのは必然的に自分という事になる。
ど素人の私が合気を習い始めて、まず最初にやり始めたのが、持たれた腕自体を引くという事。

引く加減やタイミングに試行錯誤を繰り返した。もちろんゴムが発生していないので、何一つ成果は出なかった。

しばらくするうちに、「どうやら、意識で身体の内部にゴムが張れるらしい。」という事を小耳に挟み、練功を繰り返し、内部感覚にゴムを獲得する事が出来るようになる。

そこで初めて、筋力ではなく、弾力の世界に移行し、合気に興味のない人にも合気の現象化が起こせる様になった。

しかし、中には、私がゴムを張ろうとしている時に、ふらふらと前に出てきてしまう人や、耐えてはいるが、「引かれている。」と感じる人も何人もいた。

そこでまた、改良を考えるのだが、ゴムの引きを加減する事や、本来動いてもらいたい方向への圧力を強める事くらいしか思い浮かばない。

だから、とても上手く掛かってくれる人もいるが、そうでない場合は、苦笑いで乗り切るのが常であった。

しかし、最近、ようやく思考の次元が上がった。
そして、原因がゴムの作り方にある事にも気づいた。 

張ったゴムは自分から先に引いてはいけないのだ。ゴムを作る過程であっても、引きながら作ってはいけない。

どんなに引く力を弱くしても、気付く人は気付くし、動く人は動く。

では、どのようにしてゴムを張ったら良いのか?
現実世界では無理でも、自分が作り出す仮想世界では、引く意思がない人にも先にゴムを引かせる事が可能である。

常識の範囲内で考えた場合、相手のゴムを引こうとすれば、接触点から引くしか方法がない。
そして、そのゴムと自分自身が作ったゴムとを繋げて一本のゴムを作る事になる。
しかし、今、扱おうとしているのは、本物のゴムではない。

ゴムの様な性質をもった“弾力”である。

便宜上、ゴムの様に考えるとイメージしやすいというだけである。そもそも自分の体の中にあるものでも無ければ、相手の体の中にも無い。

無いから自分の意識下で自由に作り出して、2人の体を通して繋ぐのである。イメージとしては、真ん中の接触点から体の中を通りながら、双方向に勝手にゴムが伸びて足裏まで到達する事になる。

現実では、ゴムは放っておいても勝手には伸びないのでとても不思議に思えるのだが、仮想では意識的にゴムを引かせれば、自分が何もしなくてもゴムを外側に伸びていく事になる。

そして、その後に相手に対して不安定を演出し、張ったゴムに掴まってもらう。相手は「危ない」と思っただけで、「引こう」と思っていないのにゴムを引いてしまったのだ。

そうして、相手が引いて伸ばしてくれたゴムを自分が回収すれば、弾力に乗って相手が飛んでくる。