2018年 の投稿一覧

合気練功 同調のむずかしさ

「合気の原理・同調」は難しいものだとまた感じるようになった。
塾長は合気の繋がりを理解してもらうために、色々な方向から必要になる感覚を紹介してきた。そのほとんどが繋がりを理解するために必要なパーツなのであって、それが全てではないというのが理解する側にとって難しいところだと思う。オンライン講座のコンテンツでも紹介されているように、特に同調は色々な解釈の側面を持っているのでどの視点から合気の繋がりを捉えるかによって確認しようとしている要素がかわってくる。

最初は不安定ではダメだと鍛えてきた身体であるのでそもそも不安定になることを避ける。これが1つめの階段である。2元のカラダで一度安定を壊して、不安定をつくることが許容できるカラダにできるようになったところで、次は相手との関係で不安定にならないといけない。ここに難しさがあると思う。相手と同調して不安定にならないといけないわけで、自分だけが不安定になるのでは良くない(練功の段階によっては悪くはない)のである。

いろいろと経験してきたが、2元のカラダが不安定過ぎると相手に接触したときに余裕がなく、持って行かれないように倒れないようにと、どこかに力が入る。自分が安定して引っ張っている状況は相手に解ってしまい重心を上手く引き出せない(たぶん腕で引っ張っている)。かと言って、接触したところと関係なく自分だけが重心移動しては、相手には何の影響もない。ちょうど狭間の塩梅で引きつ引かれつのアプローチ。この辺が皮膚の取り方の加減と言うところで、相手を巻き込んで不安定になり2人で安定をつくると均衡なのだろう。
さて均衡ができたとして、ここから動きがスタートすると合気の繋がりが切れようとする。何がいけないのかを考察してみた。全て同じ事なのだが、
 ① ゴム感覚が消えている。足裏を捉えていない。
 ② 圧(力)が強すぎる→相手の動きを追い越したり、離れてしまったりと同調しにくい。
 ③ カラダに偏りがある→自分のカラダが同調してない。

ガッチリ腕を掴まれるとなぜ力が出てしまうのか?を考えたとき、これも一種の同調現象なのではと思った。相手の腕の緊張が自分の腕の緊張にシンクロしてくるのだと考える。自分に加わった力に対する一種の防衛反応のようなモノで普通の反応である。合気練功では違った対応の仕方として、身についたモノを一度バラして、合気のカラダで反応することを再構築している。一度スクラッチしないと純度の良い同調がビルドできないと感じている。

Tスタイル 〜合気練功の日々〜 「つながらない身体」

Tスタイル 〜合気練功の日々〜
「つながらない身体」

暑い日が続きますが、皆さん練功に励んでいることと思います。今回は「つながらない身体」というテーマで、私が合気練功塾に入門して苦労した体験を綴ってみます。

入門して、対練(対人練習)をしていると、「腕に力が入っていますね。」「肩で切れていますね。」などとよく言われました。要するに、身体がつながっていないということです。

しかし!そう言われても、自分では力を抜き、身体をつなげているつもりなので、どうすれば良いのか分かりませんでした。今までの生活の中で身体をつなげる習慣も必要性もなかったので、身体をつなげることができなかったのです。

どうすれば良いのか?
私が出した答えは個人練功です。ひたすら背骨ゆらし、一元、二元、三元・・・と繰り返し身体を練るのです。私の場合、身体のつながりをはっきりと感じられるようになったのは、なんと半年後!

練功の大切さをさらに実感したのは、昨年の12月から始めた気匠庵(松原塾長のご自宅)での個人レッスンです。気匠庵に通い始めた頃は、塾長から「Tさんは気が通りにくい身体ですね。」と指摘(酷評?)されました。しかし、松原塾長から繰り返しご指導いただき、個人練功の必要性を痛感してから、ひたすら身体を練るようになりました。

皆さんは私のように迷うことなく、練功して身体をつなげてくださいね。ちなみに、私は、毎日の愛犬の散歩の際、リードを右手に巻き付け、30〜40分程ゆっくりと歩きながら練功しています。当然、帰りはエチケット袋(愛犬がした物が入った袋)を右手に持ちながらですけどね‼︎
TAKA

合気練功の1丁目1番地

東京で合気練功倶楽部を開始して2ヶ月がたった。合気練功のフォローアップをお手伝いすることが倶楽部の役割であるが、まさに基本原理と練功の階段が確認できた場面があった。いろいろなかたちで練功に取り組まれている方がいらっしゃるので参考になると思うし、自分もよく陥る部分であるので自戒の念も込めて記してみる。

合気の原理の1つ目に「足裏感覚」がある。相手から全身性の反発力を導き出すのに重要な感覚である。塾長の表現「足裏感覚は合気練功の1丁目1番地」。

練功の階段を確認してみる。練功塾に初めてみえた方は「足裏を感じられますか?」からスタートである。投げや崩しを使う武道系の方は足の裏のどこに重心がきているかを意識されているようだが、大半の参加者(特に若い方)は気にされたこともないようである。
自分の足裏はOKとして、腕や手のひらの接触点で相手の足裏を感じるには、意識して練功しなければ自信が持てる状況になれなかった。

次の段階では足裏からの反発を捉える事を行った。相手の反発を足(前足底)から来るように捉え続ける練功を行う。この段階では推進力についての理解が必要で、一方的に圧を加えているのではなく、圧を加えていながら圧を受けていることを受容する。合気が「力の無力化である」と定義すると相手の力が生じなくなったら合気の繋がりは切れてしまう。相手の力が足の裏からきていることを維持するのである。2つの事を同時に行うことになるので2週目の足裏の練功と思う。

次が、動きの中でも足裏からの推進力を途切れさせず維持できるかである。ここに至って2つのタスクがあるように思う。
一つは相手からの推進力で自分のカラダ(重心)を動かす。いわゆる自分が合気に掛かってしまうことであるが、のけ反ったり、乗りかかったり、力を抜いてしまったりしては動きの中で相手の足を捉え続けられなくなる。
もう一つは相手が動いていく(崩れていく)ときにずっと足の裏を捉え続けられるかである。相手が動い始めるとついつい崩れに任せてエイヤッとしてしまいがち。武術的にはそれでも用を成すのかもしれないが、より精緻な繋がりを目指すには捉え続けられた方が良いと思われる。繋がりを切らないためにどの体勢になっても足からの反発を生じさせ続けるのである。
この練功の入り口として適しているのが3元のカラダの練功だろう。空気(空間)を使って自分のカラダを動かして動きが解ったら、相手の手を使って自分の重心を動かす練功をする。そして、圧を加えて足裏からの推進力で自分のカラダを動かしていく。相手の力で自分の重心が動かせたら、そのエネルギーで相手の重心が動くようにすると基本5系(回旋)である。肝心なのは、どの位置に来ても接触点の圧が変化しないように「同調」を心がける事と思っている。これで3つの事を同時進行である。(…。自分のカラダのゴム感が維持できないと同調できないので4つ同時?) さて、この後は「裏の力」と「ゆるみ」か。

練功の階段を上がっても動きが異なるといつものことができなくなる。何か忘れ物をする。その忘れ物には自分ではなかなか気づけないものである。気づいていたら忘れないから。塾長や院生さんにはよく指摘されているが感謝である。練功仲間がいることに感謝である。

とある塾生の雑記 その2 「ゴム感覚(一元のカラダ)」

「ゴム感覚(一元のカラダ)」 

「合気練功のための修練体系」「合気のカラダ」の中に「身体内外のゴム感覚」というものがあります。一元のカラダ(1本のゴム感覚)の練功方法は非常にシンプルなもので、両手を胸前において両手の間隔を左右に広げる・縮める動き(開と合)だけです。しかしこの動きに合わせて、心を鎮め身体の力みをとり内部感覚のセンサー感度を徐々に高めていくととても不思議な感覚が出現してきます。

今回は、合気練功塾の重要なキーワードである「ゴム感覚(一元のカラダ)」について、この感覚を習得するまでの私自身のイメージの変遷(感覚の深化)を交えてお伝えします。

開:「磁石」⇨「納豆」⇨「餅」
私自身、一番最初に出現したものが、前回コラムでも書いたように磁石の斥力のような反発する力でした。両手掌を合わせて主連棒のようにゆっくりと回転させながら、両手間隔を少しずつ広げていくと手掌全体に納豆が糸を引くような粘り気をわずかに感じるようになりました。距離にして数センチほどでしたが、その感覚を頼りに練功を続けていくと、両手間の距離を伸ばしてもこの感覚が途切れなくなりました。さらに数ヶ月位繰り返し練功していると、納豆のようなネバネバとした感覚がだんだんと餅のような強い粘りに変化し、手掌だけでなく体全体にも広がっていきました。粘性が強くなってくると体を大きく動かさなくても気感も一緒に出せるようになり、内部感覚をより強く感じるようになりました。さらに体のセンサーの感度がより高まった影響なのか、今まで感じたり意識したりしたことがないような体の中に柱のような筒のような軸みたいなものを漠然と感じ取ることができるようになりました。

合:「ゴム風船」⇨「ゴムボール」⇨「螺旋丸」
反対に、両手間隔を縮める場合は最初からうまく感覚が出なかったため、まず脳内でゴム風船を圧縮するイメージで練功を続けていくとゴム風船の弾力が徐々に強くなりゴムボールのような感覚に変わってきました。さらに半年ほど経過すると気感が丁度良い具合に出てきたのと相まって、ゴムボールというよりまるで少年漫画の「ナルト」に出てくる螺旋丸のような空気を圧縮した塊に変化しました。
一元のゴム感覚については、入塾してまだ間がない頃、塾長より「壁からのゴムを引っ張ってくる」「空間を引っ張ってくる」ということを教えてもらいましたが、最近になってその感覚が物凄くよくわかるようになりました。

一年間の練功で、わらしべ長者ではないけれども、内部感覚が随分コロコロと変わってきたのだなと、改めて感慨深く思うのと同時にこれからこの感覚がまたどのように変化するのか、自分でも非常に楽しみです。個々人の内部感覚は千差万別であり絶対的なものではありませんが、言葉の持つイメージ力には物凄いパワーがあり、まさにこのイメージこそが要訣なのではないかという気がしますので、練功の際の一つの参考にしてみて下さい。

合気練功 転換.について

7月7日は被害が出るほどの記録的な大雨で残念ながら天の川は拝めなかった。科学が発展しても自然の力を凌駕することは無いだろう。昔は地球が真ん中のプトレマイオス天動説が一般的な捉え方だった時代がある。たびたび目にする絶対的な大地を中心と思ったかどうはわからないが、今はコペルニクスが提唱した地動説で地球が太陽の周りを周回していることは常識のこととなっている。これにならって、物事の捉え方が180度変わってしまう事を「コペルニクス的転換」と表現している。

合気練功にはいくつものコペルニクス的転換が存在している。
相手の重心を捉えるためには、半分相手に委ねた不安定さを内包するカラダで2人の均衡を持つ。不安定が肝心とはコペ.転換ではないだろうか。太極拳も「捨己従人」という、相手と流れに沿う要訣があるようだが、重心操作についても内包している表現なのだろうか?

武道では居着かないようにしなさいと言われる。蹴りを放とうものならば蹌踉めくことすら無いようにと、不動の足腰が大事と信じて鍛えて安定感を増してきた。武道経験者(でなくとも大人)はまず間違いなく不安定を作ることを無意識に避ける。しかし、合気練功ではこの不安定がないと繋がれない。相手の力を使うどころか導き出すこともできない。

原理2の推進力を生み出すときは、「押しているのだけれども押されている感覚」もしくは「引いているけど引っ張られている感覚」と感覚を転換する。物理の作用反作用の法則では当然なのだが、日常生活では受容できていないことがほとんどだ。

基本5系を練習すると、つい相手を「上げる」、「下げる」、「回す」と相手を何とかしようと接触点を意識してしまう。合気練功の技術は基本的に相手の出した力で相手の本体が動く現象が生じるものであるので、接触しているところを意識せず接触点から離れた体幹部を作用点とする。もちろんきちんと繋がった上で相手の足を捉えてからの事であるが、作用点を転換させた操作感覚を練功する。

いちいちコペルニクス的なのだからその捉え方が馴染むまでには時間とエネルギーがいる。個人レッスンに通っていたときに一度に頂いた情報量が多すぎて目眩がしたことがある。でも、そのあたりから何か新しい視点が開けたように思えている.