2018年 の投稿一覧

合気練功 分析と断片化について

肩が繋がるように少し上へ圧を掛け、握られたところの皮膚を引いて、前足底に重心が来るようにする。自分のカラダも部分の操作にならないように繋げて、かつ不安定さをつくる。きちんと繋がることができれば自分が根こそぎ持って行かれるようなゴム感覚をつくれる。合気練功の手順としてはこんな所であろうか。
手順を説明するときは分かりやすいと評してもらえるが、自分の練習の時は相手からゴソゴソしすぎと言われることがある。実際、少し上に圧を掛けての操作は必要な大きさを通り越してしまう気がする。「皮膚を引いて‥」も引き過ぎているように思うことがある。

合気の繋がりは感覚がとても大事である。繋がれたかどうかを知るのは感覚だからである。上手くいかなかったときの分析は、オンライン動画のテロップ制作やこのブログに取り組んできたことで知らずに長けているのだろう。確かに合気練功の理屈は良く説明できるようになったと思う。でも、上手く繋がれたときはそこまでいろいろな手順を踏んでいないなあと自省する。結局、一つ一つの手順の積み上げでは部分の操作になっていて全体での操作になりにくいのだと思う。できていないところにさらに何かを加えても、できていないが膨らむだけのようだ。できていないと何かを行って出来ている状況にしようとするのは人情である。技術を習得するにはいろいろな説明がないと何をやったら良いのか分からない。練習の段取りが準備できているところが合気練功塾のスゴイところだが、最終的には直感なのかもと思うことがある。

先日、院生全員で合宿を行った。技術の練習も実りの多いモノであったが、夜の酒行での意見交換(?)でも多くの事を気づくことができた。
ある院生さんの表現、「プッと皮を採って‥」、「ブ~~ンとゴムを引いて‥」、「ヒョイッと乗って、」
オノマトペが最強の最終奥義・伝授なのかもしれない。

合気練功 肩帯の力について

合気練功の技は相手の力を使うモノであるようだ。それが相手にとってしたいことに力が使えなかった現象の結果、感覚的に「力が無力化」となるのだろう。2人で練習すると身体の状況は様々なケースがあるが、どのような場合にでも繋がれることを理想としたいものである。

昨今、練功塾では合気上げの練習が集中的に行われている。形としては基本1系の座取りと言うことになる。塾長曰く要素が多岐にわたらないので本当にやるべき事を理解できているかを確認するに最適とのことだ。さて、基本1系で相手に自ら上がってもらえるだけの力を発揮してもらうためには特に肩関節の繋がりが重要と思う。上体だけにその操作は巧みである。押さえ込みにくい位置関係になると肩の力を抜かれて繋がりを切られてしまう(そうなる前に相手のバランスを崩していれば武術的に事足りるのだが、合気の繋がりの維持はできてないだろう)。

皮膚をとって相手の力の方向を少しずつずらしながら上げる力を加えていき、押さえ込ませないもテクニックとしてあると思う。これも相手の力で上がってもらうではないので今の練功塾の方法としては違うとなる。だいたいこちらの上げてやろうとする意識が強いと肘が曲がる。握っている位置関係が高くなり相手にとって不快な状況になる。ある意味、相手は本来の力が出せない状況になっているので無力化と言えなくは無いが、この後、力のぶつかりによる力比べか、肩関節の力を抜いて逃げられるので、上がってもらうと言う最終結果は不可能である。肩の力が逃げにくい方向も確かに存在する。上腕骨を鎖骨の方向へ圧を掛ければ力は逃げにくい。これも有効ではあるが「相手の力を使って‥」と言う部分で本質ではないような気がする。

先日の合気練功塾で操体法を行っているときにふと気づいたことがある。仰向けで相手に膝を左右に倒してもらい腰の回旋を整える操法の時、相手が出す力に従って膝を支えていくと、ある点でちょうどバランスの取れる所がある。そこが相手にとって力が出しやすく心地よいところで、上手くすれば腰の不揃いな緊張が取れて首の辺りまで整うところである。上記の下線部「相手の力に従って…」の時に自分が行っていたのが遠心性の収縮のカラダの使い方であった。自分の筋肉が引き延ばされるように筋の収縮を維持していくと相手の一番力の出しやすいところでバランスが取れるようだ。

話を基本1系に戻す。相手の力を遠心性の収縮で受けると相手が力を出しやすいところで、所謂「かつん」と言う場所に至ると思われる。それを越して動いてゆくと相手は押さえ込む力を発揮しにくい状況になって、体重を乗せてのし掛かっている状態となる。圧の高まりはこちらに肩の繋がりを感じさせるが、相手の腕は体重を支えるための固まる筋力で、上腕を下に働かせようと言う動きは少ない。下へ押さえ込もうという力がないのでこの場合、自分の力で上がってもらう要素は作らねばならない。

僅かでよいので相手が肩関節を使う状況を維持させることができれば、肩が抜けることはないのだろう。相手は肩を使っていることを気づいていなくても良い。むしろこちらの操作が相手に気取られる圧になると、その変化を察知して肩関節の抜けや力みを作ることを許してしまう。相手の意識に上らない操作圧で繊細に繋げる辺りが原理の「裏の力」や「ゆるみ」と言った練功に関連してくるのだと思う。

合気のカラダで一人遊び?

少しの待ち時間。休憩時間。ふと気がつくと手のひらでゴム感覚をつくり、味わっている。これは私だけではなく塾生の皆さんもやられているようだ。合気練功塾の休憩時間でも喫煙組がタバコの煙をくゆらせながら、手は丸く合気の掌を作っているのをよく見る。これを練功熱心と表現するか、一人遊びと表現するか。
私が良く行っているゴム感覚遊びは、ゴム感覚を外へ向けて歩み出しを作ってみたり、抵抗感として味わって重心移動を試みたり、手を膝に乗せて皮膚の弾力性を確認して背骨へ伝えて丸めてみたり。皮膚のじんじんする感覚をカラダのどの辺りまで拡げていけるか操作をしてみたりしている。特段愉しいわけではないが無意識に始まっているのが実情。

ちょっと前になるが、練功の後で昼ご飯を摂ろうと塾長と駐車場を歩いているとき、2人とも腰から上は立禅状態の構えだったそうだ。たまたま近くのお店の中から我々を見かけた院生さん曰く、掌を内へ向けて丸く抱くような腕の形で歩いている姿ですぐに気がついたそうだ。店内からにこやかに手を振っていただいたのだが、傍目で奇妙な2人であったのだろうと想像する。

合気のゴム感覚を練功しているとき、基本的に気持ちの方向は自分の中である。背骨揺らしもそうだが、自分のカラダが動いていることを「感じる」脳味噌になっている。外の情報を受容して動かそうとする脳の使い方とは反対方向にあると思う。無意識で行っていると言うことは身体的に負担(嫌)ではないのだろう。むしろ内部へ意識を向けることで自律神経のバランスを取っているのではないかと考えている(単なる変な人ではないぞ!と、少々自己弁護)。また、「今」を味わっているという点でマインドフルネス似である。

少々古典になるがドイツのシュルツによる自律訓練法では、「重さ」が筋の弛緩、「温かさ」が心的緩和の催眠状態とされている。筋は神経支配によって収縮するので意識で筋が弛緩する部分が説明できないのだが、5元の練功で筋が弛緩して血行が良くなり、血流によって体温が運ばれてくる熱感というストーリーは成立する。内部感覚に集中することで外部への防衛や交感神経の支配は希薄となり心的緩和となるのだろう。物理的なストレス(食う・喰われる)が減少してはいるが、心的なストレスフルな現代社会において、ヨーガやマインドフルネスがもてはやされるのはある意味、必然のことなのかもしれない。
そんな展開も可能にするのが気匠庵の合気練功と考えている。

合気練功 調合‥、錬金術師のようだ

合気練功をスタートして1年が経とうとしている。いろいろなことがあったが、表題が私の現在の練功イメージである。
合気練功塾では塾長が合気の感覚をいろいろな表現やパターンを提示して、多角的に説明されている。一つの形をわかりやすく示したときに、そこには目をつぶらなくてはならない不足した原理があることを、今は何となく気づけるようになってきた。塾長は説明上、やや大げさに表現されているが、それは必要となる身体操作や受容するセンスを伝えるためには必要なものである。真似てみないと体得できないのが操作感覚である。真似してみるとそれぞれが難しく、今までの動きや感覚を捨てるところか始めなくてはならない。それぞれが大変なのだけれど、それらは通過点。
悩ましい(嬉しい?)のは、合気練功(塾長)自体が進歩して変化して行っている点もある。
そのときはその解釈でOKだったものが、次の段階にシフトしていることが間々ある。一般公開やオンライン動画の過去のモノは塾長目線では、もはや…。と言うこともある。この不意にやってくるイノベーションはすぐには理解できない。

以前にも述べたことだが、合気の原理は合気の繋がりを確認するための視点のようなものである。原理の1から5に至って、高等テクニックになっていくイメージを抱かれている方は多いと想像する。私もいろいろなケースに対処するためのテクニックのように思っていた時がある。院生になり合気の原理は5つとも揃わないと合気の繋がりはできないのだと思うようになった。しかも原理の配合を調整していくことも必要なようだ。各パーツの関連を塩梅良く調整するのは各人の練功だと自分は考えている。それぞれの練功の狭間を分析するのは楽しいのだがエネルギーが要る。自分がしっくりときていたモノですら突出すればアンバランスである。

塾長もいろいろとお考えのようで、原理全てを揃えていくことが上達の近道なのか、特に必要となる感覚を捉えてしまった方が早いのか、もっとストンとわかる方法はないのか日々考えているようだ(それ以上に、今までの操作で満足できていない部分の解明にもエネルギーを使いまくっていることも添えておく)。

理想的な「繋がる」とは相手に知覚されない「虚」の状態であると思う。武術的に行うのならば、知覚されずにほいほいと繋げてしまうのが良いと思われる。相手に知覚されると言うことは相手に対処される可能性が高くなり、現象として満足するモノを得られないからだ。かといって、塾生が必要な条件を理解できていない状態で練功が続くのは求めるところではないはず。練功塾の理念は振れておらず、互いの上達を喜ぶことを目指している。

追記:練功時に「合気の原理の配合を…。」と試みるが、塾長や院生からいろいろとゴソゴソと動かしすぎであると指摘を受けた。理想的な自動運転になっていないのかなとも思う。まだまだ未熟、こんなところが今の私の練功である。

とある塾生の雑記 その3 「ゴム感覚(二元のカラダ)」

とある塾生の雑記 その3 「ゴム感覚(二元のカラダ)」

一元のカラダ(1本のゴム感覚)が出来たら、二元のカラダ(2本のゴム感覚)作りになります。練功方法としては、一元のカラダの動きに、胸と背中がそれぞれゴムで引っ張られているような感覚で重心を前後に移動させる動作を加えます。初めは動作を大きくしてこれ以上重心を移動させると倒れてしまう手前(際)まで追い込みます。この時、カラダ全体がゴムの感覚を持ったまま不安定な姿勢になることで、自分の体幹と手足が一つに繋がる感覚も一緒に養います。注意しなければならないのはカラダを硬直させすぎるとゴムの弾力感がなくなってしまうので、際まで追い込んだ時のカラダ全体の感覚をしっかりと保ちながら動作を徐々に小さくしていきます。

最近、いつも奥義を伝授して下さるある院生の方より2本のゴムだけではなく、たくさんのゴムで繋がっているイメージを持つ方法を教えていただきましたが、そのようなイメージを持つだけでなんとなく素早い動きが出来なくなり、さらに練功を進めると呼吸による僅かな身体の膨張収縮や背骨の揺らぎにも、餅のような粘り気が出てきます。そして意識を内面だけでなく表面に向けると皮膚に空気が纏わりつくような感覚(空気の抵抗感)や水の中にいるような感覚(水の抵抗感)が出現するようになります。さらに自分のカラダという大きなゴム風船が呼吸の力により中心から絶えず膨張するイメージでいると私流のゴムゴム人間の完成です。

二元のカラダ作りでゴム感覚とカラダを繋げる感覚を養っておかないと、相手と接触しても何も感じず、結局力に頼ってしまうということになりかねません。まだこの感覚がわからない方は是非とも合気練功塾や集中講座に参加し練功されることを強くお勧めします。
練功の際の一つの参考にしてみて下さい。