虹をつかんだ男のココだけの話

虹をつかんだ男のココだけの話「判断基準」

3点バランスとは、松原塾長が合気を行っている際の内部感覚であり、そして、塾長自身が名付けた名称である。
当然、合気練功塾でしか使用されていないし、教わる事も出来ない。
しかしながら、これが、合気の本質であるので、このバランス状態に入れば、誰でも例外なく、いわゆる“合気モード”に入る事が出来る。

だから、合気練功塾では、合気の“タネ”や“仕掛け”を教えているという事になる。

合気の存在を知り、憧れて、習得を目指す人間のほとんどが、志半ばで諦めていくという、動かし難い現実がある。
これは、巷に蔓延る、合気習得を謳うセミナーや道場が、訪れた者から、お金や時間だけでなく、憧れや意欲も根こそぎ奪い取ってきた事に対する当然の結果である。
このような悪質な団体が乱立しているので、選ぶ方も本物と偽物の区別がとても難しい。
十分に注意していただきたい。

夢や意欲が喪失するのは、対象獲得への可能性が無くなるからである。
「ここにいても合気を掴むことが出来ない。」と悟るのである。
そして、その結論に至るのは、合気を獲得している自分自身の姿を思い描く事が出来なくなってしまったからである。
そして、自分の無力さや無能さを嘆く事になる。

しかし、今一度、よく考えて欲しい。

おそらく、「ここにいても合気を掴むことが出来ない。」と悟ったあなたは、そこに習いに行っている時、「ここでなら合気を掴む事が出来る。」と一度でも思った事があるのだろうか。

習いにいく前には感じていた可能性を、習いに行った後に感じなくなるのは、その可能性を奪った奴らが悪いのであって、あなたは何も悪くないのですよ。

体験で受けた技術は、勿論教えてもらえると思いましたよね。
当然です。
あなたの考えは、何も間違っていないです。
ただ“場所”が悪かったのです。

あなたは、無力でも、無能でもないのです。
不幸にも、無力で無能な者に惑わされてしまって、可能性が開花していないだけなのです。

手品師になる夢を持ったあなたは、手品の“タネ”や“仕掛け”を教えてもらいたいのですよね?。
でも、おそらく、その手品師は、通っても通っても、自慢げに手品を披露するだけで、あなたは、一生、それの盛り上げ役で終わるのですよ。

私個人の感想ですけど、合気を上達させてくれる組織って、習ったその日、参加したその日に判断できますよ。

ただ単純に、「ここでなら合気を掴む事が出来る。」ってしか思わないんで。
なぜか、自分が上達していく光景や道筋がはっきり見えるんですよね。
そして、時間が経てば、それが思い通りに実現していくんですよ。おもしろいですよ。
だから、「ここにいても合気を掴むことが出来ない。」なんて思った事もないです。

そんな感じで、今、私はここにいます。

虹をつかんだ男のココだけの話「正解を知る」

本物の合気習得のためには3点バランスの理解と獲得が必要不可欠である。

それによって得られるものは何か?というと、合気が掛かるバランス時に発生している内部感覚である。これは、塾長の感覚を抽出したものであり、それをわかりやすく言語化し、誰とでも共有出来るようにしたものである。つまり、合気の本質である。

 

この内部感覚が入っていれば、相手と触れた瞬間に、その相手は、自立出来なくなる。理由としては、元々2人で成立しているバランス状態なので、1人でいる方が“不自然”であり、繋がる相手がいて“自然”な状態になる。だから、自動的に相手を巻き込んでバランスを取ってしまうのである。

触れられたら一瞬で相手は、(自分では自立していると思っているのだが)強制的に“超バランス”状態に入れられてしまうのである。この時に、必然的に相手との同調が成立しているので、相手は、“金縛り”状態になってしまう。

また、合気を練功するにあたり、元(段階)が上がって、動力が変わっていっても、根底の3点バランスは不変である。

しかし、元が上がるにつれて繊細な感覚が必要になる。3点バランスの形を作るために大きく動いていては、その勢いで“超バランス”状態が崩れてしまう。体は動かさずに、普通に突っ立っているような状態から、瞬間的に意念だけで、相手が驚くような変化を起こすのが上級の証となる。今まで現実を支配していた“触れている”という「物理空間」を“超バランス”の「情報空間」が凌駕した事で“超常現象”を起こるのである。

 

そして、3点バランスを習得するための方法は、まずは、体勢を作るより他に無い。そこから、内部で起こる現象を覚えるしかないのである。

しかし、ここで1番重要なのは、今、記述したように易々と手に入るものではないという事だ。元々1人で作れる体勢でもないし、神経を研ぎ澄ませて初めて掴める様な、微かな一点の感覚なのだ。だから、正解を知っている人は限られているのだが、その人に正解を教えてもらうしかないのだ。

そして、本物を感じて捕まえて、その感覚を繰り返して擦り込むより他に道はない。

虹をつかんだ男のココだけの話「マインド」

11/5、6の第2回合気練功塾全国強化合宿においては、技術指導の他にも、合気上達のための心持ちについても大切なことを学んだので、今回はその事に触れておこうと思う。

それは、「掛ける人」と「掛けられる人」という安易な役割分担の撤廃である。
しかし、実際問題として、2人でやっているので、「掛ける人」と「掛けられる人」の役割分担しかない。
だから厳密に言えば、役割分担を変えるのではなく、役割を担う人の心持ちを変えるという事になる。

どういう事かと言えば、何も考えずにやれば、「掛ける人」は「ただ闇雲に掛ける人」になり、「掛けられる人」は「掛けられるのを只々待つ人」になってしまう。
この人達の共通点は“自分勝手”であるという事なのだが、それも無自覚な“自分勝手”なので、自分のおかしさに気付けない。
だから、相手が動きたくなるような努力もせずに無理矢理動かそうとしたり、技を掛けようとして頑張っている人を前に、ぼーっとして物思いに耽ったり、自分の番ではないと休憩したりするなど非協力的な振る舞いを当たり前にする。
当然、この2人で練功を積んだとしても合気が上達する事などあり得ない。
これは、別にここに限った事ではなく、どこの組織もそうである。
合気を習ってきた人と合気を使える人の比率を見れば一目瞭然であろう。
歴史が証明しているのだ。
上手な人と組んでやれる場合、上手くいかなければ、その人がお手本示してくれ、手取り足取り教えてくれるだろう。
それが上達にとって理想なのは間違いないが、この現実においては妄想に近い。

だから、私のような、センスの無い人間も上手になるためには、今までとは違ったマインドが必要なのである。
それは相手を思う気持ち、“配慮”である。

合気は、そもそも順番とか役割などが存在しているわけではなく、2人共が同時に掛かっている状態である。
だから、相手と繋がっている事が大切で、繋がっていなければ動いてもらえないし、繋がりたいならば、ぼーっとしている暇など無いのだ。
「掛ける人」は、合気の原理を理解し、それに沿って丁寧に掛けなければならないし、「掛けられる人」は、掛けられている時の感覚を覚え、たとえ「掛ける人」のお膳立てが少々粗くても、そこを自分で補って、自発的に「掛かれる人」になる必要がある。
「お互いがお互いの立場を知り、考え、行動する。」というわけである。
その積み重ねを経て2人共に上達する。

このように2人が相互に相手のことを思い、相手の上達を自分の事のように喜ぶ。
これが「楽しい達人集団」になる土壌となる。
私も乗り遅れないようにしたい。

虹をつかんだ男のココだけの話「強化合宿」

11/5、6の二日間に渡り、愛知県豊橋市において、第2回合気練功塾全国強化合宿が行われた。全国5ヶ所ある練功塾からの塾生に加え、個人レッスンの人達も津々浦々から参加されて、総勢約50名での練功となった。

そこで行われた内容は、3点バランスの徹底と五元~九元を使った合気揚げで、塾長の指導の下、相手を変えつつ、繰り返し練功し、限りある時間を有意義に使えたと思う。

そして、去年も参加された人達は、さすがに、日頃から練功を積んでいるので、以前より上達しているのが目に見えてわかったし、初参加の人も、最初戸惑っている方もおられたようだが、休み時間にも、暇を惜しんで貪欲に勉強されていて、次に会う時には間違いなく上達しているはずである。

そして、この合宿に参加して、最も印象に残ったのは、どの練功塾で練功したとしても、得られる技術に関しても、情報に関しても、各地で大きな差が無いという事実である。
他の団体もいろいろと見てきた私としては、この事実にとても感動した。
練功塾以外で技術習得を目指した事がある人は、思い当たると思うのだが、他の団体では、そもそもセミナー以外で、指導者が出向く事はない。なぜなら、参加者を入門させる以外に行く目的がないから。そして、行ったところで、自分の技術を披露するだけで、種明かしをする事はない。だから、当然、いつまでたっても指導者以外に出来る者がいない。何度行っても、その場の雰囲気は体験入門そのものである。

これらの差は、やはり、指導者の熱意の差から来るものであろうと確信している。
合気練功塾で塾長や院生の方が、定期的に各地に出向くのは、塾生の上達を願ってであり、人を勧誘するためではない。今いる塾生の実力の底上げを第一課題としているがために、新規入門者を募るセミナーも中止している程である。
そして、その環境下で本物に触れている我々塾生も、技術を自分のものにするのはもちろんの事、更には、教わった事を仲間で共有したいという感情で溢れている。結果的に、このような“想い”が相まって、相乗効果で全ての塾の底上げが均等に出来ているのだと思う。だから、他には例を見ない様な合気の“水平展開”を推進出来ているのだ。

これからもこの流れについていけるよう頑張りたい。

虹をつかんだ男のココだけの話「宝探し」

いつも弾力の事を書いている私であるが、今日書くお題も弾力である。

合気練功塾に入ってから、合気について、全ての事を教わってきた私であるが、動力源として“弾力”が使用可能であるという事を知った時の感動は今でも忘れられない。
しかし、それと同時に、この“弾力”について、知れば知るほど一般社会に生き、常識に囚われてきた私には、やはり、「自力で見つける事は、無理だな。」とも強く思う。

その理由としては、いくつかあるのだが、まずは、伸び縮みする素材として、衣類など身の回りの物に使われたり、形状を戻すための部品として我々の役に立っていたりと、物の一部として内蔵されている素材や部品としての働きの印象が強すぎて、人体にも備わっているという事実をほとんどの人が知らないという事。知っているのは、身体の構造の勉強をした人か、センスによって獲得した一流スポーツ選手くらいである。

次に、“弾力”という力をイメージしづらいという事。“弾力”というのは、「外力が加わって変形した物体が、もとの形に戻ろうとする力。」である。この定義をイメージするために、おそらく、常識的な教育を受けてきた者は、ゴムやバネを連想するのだが、ゴムは引いて戻るイメージはあるが、押すイメージが湧かない。逆にバネは、「バネがある」や「バネが効いている」など押して戻るイメージが優先する。つまり、別々の現象をいくつか同時に連想する必要があるため、端的に思い浮かべにくい。

そして、致命的なのが、現実世界の常識に囚われ過ぎている我々は、おバカな発想が出来ないという事である。例えば、現実世界において、ゴムを引く場合、自分が引く反対側を固定しておかないと引く事は出来ない。これが“当たり前”なのである。しかし、これを“当たり前”で済ませていると先が無いのだ。この状況を打開するには、現実の縛りを取り払って、発想の自由度を上げる必要がある。つまり、夢想、空想、妄想するのだ。仮想空間でゴムを引く場合は、イメージ出来るかぎり、方向や長さを問わず縦横無尽に引く事が出来る。例えば、自分と相手が繋がっている点を中心として、そこから双方向に伸ばす事も出来るし、自分側から相手側に入れ込む様に伸ばす事も出来る。また、予め張った状態のゴムを相手に握らせる事さえ可能であり、それを持たされた相手は、いきなりゴムが縮む事になるので一瞬のうちに自分では予期出来ない現象に巻き込まれる事になる。だから、びっくりして混乱してしまうのだ。
このように、自分が見ただけ、聞いただけ、触れられただけで思考が停止してしまい、“不思議”以上の感想が浮かばないのは、相手が入っている仮想空間に自分が入っていないためである。というより、仮想空間がある事を知らないために入る事が出来ないためである。
しかし、仮想空間に答えがある以上、仮想空間で探さない限り見つからない。現実世界には埋められていないのだから、当然出てくる筈もない。つまり、見つからないのは、探す場所を間違っているからだ。

そんなあなた方に朗報です。
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