虹をつかんだ男のココだけの話

虹をつかんだ男のココだけの話「実際の話」

合気練功塾は、『「合気を極める」を理念に全国の仲間と共に生涯進化し続ける楽しい達人集団!を目指す』を謳っている。実際にここで、塾長合気に触れると、全員が全員、瞬く間に上達していく。塾長の作るプログラムに従い練功を積むだけで、面白いように合気の感覚を掴む事が出来るのだ。初心者が合気を掴むためにはもってこいの環境である。
嘘の様な話であるが、本当にホントなのである。福井から6年通う私が言うのだから間違いない。

何故これが可能になるのか?を私なりに考えてみたのだが、合気の感覚を取れる人が異常に多いという事が言える。(他の組織の様子を見てみると、1人いればまだましな方で、誰が教えているのか?すら、判別し難いところも少なくない。)
では、何故このように人材が豊富なのか?という事になるのだが、まずは合気の楽しさを伝えたいと思っている塾長の情熱の高さにある。塾長が他の合気系団体のトップと違うのは、誰でも合気が掛けられるようになるプロセスを本気で教えようとしている点である。我が塾長は、体作りや合気メカニズムの説明から、自身の合気感覚のトレースまで、我々が理解出来るように全てを曝け出してくれている。
ふと思い返せば、ここをはじめて訪れた時から、合気感覚のある人が普通に存在していて、他との違いに驚愕したものだが、塾長や先輩方の指導やアドバイスのおかげで、ど素人だった私も確実に進歩をしてきたし、最近では周りの人から意見を求められる事も増えてきて、とても充実している。

そして、進歩、成長しているのは、何も私だけではない。もちろん同じ頃に入った人は、私と同じか、私以上に伸びているし、さらに言えば、合気感覚のある人間が増えたことにより、最近入ってくる初心者の上達速度が半端ないのだ。私が数年かかって会得した事を、一年足らずでものにする人もざらである。

実際の話、「全員達人」も、もはや夢ではない。

虹をつかんだ男のココだけの話「気持ち」

6月3日、4日に豊橋に於いて、第2回全国指導者講習会が行われた。今回の合宿は、前日の大雨の影響で、当日の午前中までダイヤが乱れていたので、当初予定していた計画通りに現地に到着出来た人がいなかったのではないかと思う。私も御多分に洩れず、電車の行き先が短縮されたり、突如、臨時列車が運行しだしたりして、JRだけでなく、私鉄も活用しながら、最終的には、すし詰めの電車で揉みくちゃにされながらの現地入りと翻弄された。しかし、こんな私の状況はまだ良い方で、車で渋滞に巻き込まれた方や、朝一から午後の運転再開まで新幹線を待ち、超満員での立ち移動や、それにも乗れずに後発の新幹線まで待たされた者など続出で、遅刻を余儀なくされた方が多数いた。しかし、キャンセル者は誰一人出ず、全員が参加する為に奮闘した今回の合宿は、思い出深いものになったと思う。

そして、内容の方であるが、今回のテーマは、『「学び方」と「伝え方」を鍛える!』で筆記試験に、実技試験、そして、班別討議など、有意義なものであった。
指導者を目指す者として、伝える側に回れるように、技術はもちろんであるが、姿勢や態度についても、考える良い機会になったと思う。

『「合気を極める」を理念に全国の仲間と共に生涯進化し続ける』を実現するためには、『「伝え方」だけでなく「学び方」を知る必要がある。』のである。しかし、それ以前に、「一緒に上手くなりたい。」という思いが何よりも大事で、それが有れば放っておいても、姿勢や態度に現れる。という誰もが頷ける意見を聞き、思いやりの大切さを今更ながら再確認した。上辺だけでなく、本心から思える人間になり、より良い雰囲気作りに貢献したい。

虹をつかんだ男のココだけの話「日進月歩」

合気を使えるようになるには、地道な練功を積んで、合気のカラダを作るより他に方法はない。一朝一夕に達人になる事はないので、ただ単純に出来る事を少しずつ増やして、合気を扱えるカラダを作るのみである。
これは、誰にでも必要な過程であり、これ無しで、合気を獲得出来る人はいない。
なぜなら、それは、「元々持っている体の構造や動き」ではないし、「少々のアレンジや半端なマイナーチェンジ」で手に入れる事が出来る程安くもないからである。

普通の人の、普通の発想をベースにした、普通の人が可能な動きは、相手も普通の人である以上は、無意識のうちに、視覚や触覚で情報を処理されて、意図がたやすく読まれてしまう。
しかし、合気が出来る人の意図が読めないのは、体の構造の進化により、相手が視覚や触覚で処理出来ないように、情報操作を内部で行っているからである。もっと言えば、その人は、相手が触れた瞬間に合気が発動するようなプログラムを内蔵した体で、普通の人のように“擬態”しているのだ。それにより、情報が外部には出てこないので、それを見た普通の人は、自分と同じ“普通の人”と誤認してしまうのである。そして、そのまま、今まで自分が行なってきた普通の人に行う対処をするので、普通の人にとって想定外の事が起こり混乱するのである。

だからこそ、過去にも述べたように、触れた後の「結果」をいくら研究したところで何の意味もなく、触れる前に作られる「原因」の究明が必須なのだ。
その「原因」とは、当然、“擬態”した人が行なっている内部感覚の操作である。
しかし、前述したように、自力で掴めるものではない。だから、それを知っている人に教わるのだ。

かくいう私も、「原因」を教わり、たくさんの仲間と共に合気のカラダ作りに勤しんでいる。そして、塾生の全員が全員、確実に上達しているし、その上達スピードも以前より格段に上がっているという事実がここにある。

 

虹をつかんだ男のココだけの話「無駄」

前回は、合気の「基礎」の無い人間が、動画を見たところで何も得るものは無いという話をさせてもらったのだが、今回は、私がそう思う理由について述べたいと思う。

合気の現象化を見た時に、「不思議だ」と感じるのは、自分が今現在持っている頭脳や能力では解明出来ない事に驚くからである。しかし、この事実に直面しても尚、自分の経験と知識やそのアレンジで対処出来るはずと思ってしまう“挑戦者”が、かなりの数で存在する。なぜ、そのような勘違いが起こるのか?といえば、掛けている人が、自分でもマネ出来る動きしかしていないからではないだろうか?

現象自体はとても不思議なのだが、掛けている人の動き自体は、取り立てて難しい様には見えないのだと思う。だから、自分が見える範囲の光景を手がかりに、見よう見まねで試行錯誤を重ねる事になるのだが、残念ながら、寸分違わず動きを完コピしたとしても、合気が発生する事はあり得ない。

なぜなら、映像に出ている現象や人の動きは全て“結果”だからである。その“結果”だけを真似しようとしているので、自分1人の動きだけでは、当然無理がある。その無理を通そうとすれば、相手の協力や同意の下で自作自演に付き合ってもらうか、タイミングやテクニックなど、姑息な手段でお茶を濁すしかない。どちらも本物ではないという事はわかるだろう。

そして、これらが全て“結果”であると理解したなら、その“原因”を見つければ良いのだが、これもまた、絶対に無理なのである。なぜなら、その“原因”は自分が生きてきた中で経験した事がないものだからである。存在自体を知らないから思い浮かばないのである。

人間が導き出せる答えは、自分の知識と経験に基づいているので、目の前で起こった事象を、自分が知っている常識の範疇に落とし込んで考える。だから、動画を見た時に、体の動かし方や動かす角度やタイミングなど、“普通”の発想しか浮かばない人は、その時点で、動画で合気を習得しようとするには経験値が足りないのだ。

合気の現象が起こる“原因”として“意念”や“内部感覚操作”といったものが使用されているのだが、普通の人生を送ってきただけでは、体験することも出来なければ、知る機会さえもない。だから、知らないのは当然で、見えなくてもしょうがないのだが、誰かのお金と時間の無駄になるといけないので、この機会にお話しておこうと思う。

虹をつかんだ男のココだけの話「基礎」

合気の書籍や動画などがこれだけ溢れている世の中で、運悪くそれを見たばかりに志願者となり、そのまま為す術なく難民に移行してしまう。という、見るも無惨な現実がある。
この原因として、指導者の能力・資質・姿勢の問題があると前回述べさせてもらった。
訪れる者は、合気の“仕組み”を知りたくて、それを教えてもらいに来る。しかし、訪れた先は、教える気も能力もない。ここを訪れた者は不幸にも、「自分は、教えられたことも出来ない能力の低い人間だ。」と、しなくても良い後悔をして諦めざるをえない。
だから、指導者選びは、とても重要ですと。

そして、ついでに言いたい事が浮かんだので今回述べようと思う。それは、そもそも書籍や映像で合気を掴めないという事である。
合気が掴めるなどと謳っている高価な本やDVDをよく見かけるが、未経験者があれを見ても何一つ出来るようになる事はない。なぜなら、未経験者には合気の基礎が無いから。

私達が日本語を使えるのは、長年日本語の教育を受けて来たからである。幼少から知らず知らずのうちに、喋ったり、聞いたりして言葉を覚え、読み書きなどの基礎訓練を経て、数年の時間を費やして、やがて不自由なく操る事が出来るようになる。
一方、日本語の無い環境で育った人間が、比較的短期間で日本語を覚えようと思った場合は、日本人の子供のように、トライアンドエラーを繰り返せる時間も無ければ、いつでも間違いを指摘してくれるというような環境も無い。だから、最初に覚えるべきは、五十音の種類であり、そのルールである。それで日本語を作る事を覚え、その人の母国語と互換する事で習得していく。まず、平仮名を理解し、使いこなす事が一番初めにする事、基礎なのだ。

何でもそうであるが、基礎が無いとそれ以上の知識や技術は積み上げられない。基礎の無い人間に応用は何の役にも立たないのだ。
音符や音階を知らない人間が、教則本を手に入れたところで、ピアノは弾けないし、九九を知らない人に数学の参考書を与えても数式は解けない。そんな事は、誰でも知っている事で、下地のない人間が、ピアノや数学に興味を持ったとしても、いきなり教則本や参考書を手に取るというのは、まさに“狂気の沙汰”でしかない。
これらは、最初に結論ありきで作成された物なので、「夢が叶う」という結末が決まっているだけで、逆算して行っても、出発点は未経験者ではないのだ。言ってみれば(基礎を済ませた)人を選ぶ代物で、素人には無用の長物という事になる。
基礎の無い者にとってこの類いの映像は、自己投影したり、感情移入したりして楽しむ、アーティストのライブ映像や映画のような鑑賞用娯楽作品と何も変わらないのだ。だから見て楽しむ分には構わないが、習得したいのであれば、その前に他にやるべき事がある。

これらの理由で、合気系の書籍や映像に「誰でも出来る」とか「素人でも大丈夫」などのニュアンスがあるものは、詐欺とは言わないまでも、作成者には未経験者に対して「出来るようになって欲しい。」という意図が皆無な事だけは確かである。