虹をつかんだ男のココだけの話「基礎」

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合気の書籍や動画などがこれだけ溢れている世の中で、運悪くそれを見たばかりに志願者となり、そのまま為す術なく難民に移行してしまう。という、見るも無惨な現実がある。
この原因として、指導者の能力・資質・姿勢の問題があると前回述べさせてもらった。
訪れる者は、合気の“仕組み”を知りたくて、それを教えてもらいに来る。しかし、訪れた先は、教える気も能力もない。ここを訪れた者は不幸にも、「自分は、教えられたことも出来ない能力の低い人間だ。」と、しなくても良い後悔をして諦めざるをえない。
だから、指導者選びは、とても重要ですと。

そして、ついでに言いたい事が浮かんだので今回述べようと思う。それは、そもそも書籍や映像で合気を掴めないという事である。
合気が掴めるなどと謳っている高価な本やDVDをよく見かけるが、未経験者があれを見ても何一つ出来るようになる事はない。なぜなら、未経験者には合気の基礎が無いから。

私達が日本語を使えるのは、長年日本語の教育を受けて来たからである。幼少から知らず知らずのうちに、喋ったり、聞いたりして言葉を覚え、読み書きなどの基礎訓練を経て、数年の時間を費やして、やがて不自由なく操る事が出来るようになる。
一方、日本語の無い環境で育った人間が、比較的短期間で日本語を覚えようと思った場合は、日本人の子供のように、トライアンドエラーを繰り返せる時間も無ければ、いつでも間違いを指摘してくれるというような環境も無い。だから、最初に覚えるべきは、五十音の種類であり、そのルールである。それで日本語を作る事を覚え、その人の母国語と互換する事で習得していく。まず、平仮名を理解し、使いこなす事が一番初めにする事、基礎なのだ。

何でもそうであるが、基礎が無いとそれ以上の知識や技術は積み上げられない。基礎の無い人間に応用は何の役にも立たないのだ。
音符や音階を知らない人間が、教則本を手に入れたところで、ピアノは弾けないし、九九を知らない人に数学の参考書を与えても数式は解けない。そんな事は、誰でも知っている事で、下地のない人間が、ピアノや数学に興味を持ったとしても、いきなり教則本や参考書を手に取るというのは、まさに“狂気の沙汰”でしかない。
これらは、最初に結論ありきで作成された物なので、「夢が叶う」という結末が決まっているだけで、逆算して行っても、出発点は未経験者ではないのだ。言ってみれば(基礎を済ませた)人を選ぶ代物で、素人には無用の長物という事になる。
基礎の無い者にとってこの類いの映像は、自己投影したり、感情移入したりして楽しむ、アーティストのライブ映像や映画のような鑑賞用娯楽作品と何も変わらないのだ。だから見て楽しむ分には構わないが、習得したいのであれば、その前に他にやるべき事がある。

これらの理由で、合気系の書籍や映像に「誰でも出来る」とか「素人でも大丈夫」などのニュアンスがあるものは、詐欺とは言わないまでも、作成者には未経験者に対して「出来るようになって欲しい。」という意図が皆無な事だけは確かである。

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