合気練功の運用について

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

先日、集中講座があった。今回も熱い受講者の方々が集まって、午前・午後と合計6時間の講座であった。九州や大阪から2回目、3回目の方々、さらに遠く韓国から合気練功を体験するためだけに来日された方もいた。合気道、空手、太極拳などの経験者はもちろん、武道経験のない方や介護関係の方もいらっしゃった。せっかくのご縁であるので感覚が伝わるように精一杯させていただいた。

お相手させていただいて気づいたことは、足裏感覚の不確かさと複数のことを同時に行う困難さである。足裏感覚については接触点に加えた力がきちんと相手の足まで影響しているか、体勢の変化に対して足裏を取り続けることができているか、で苦労されていた。足裏を取れていても皮膚操作で手前に引くと下方向(足裏)への圧がなくなってしまったり、乗りかかって圧が強すぎたり(下への圧が強すぎても腕や体幹の受け止めになって、足裏への影響が減るように思う)。それぞれがちょうどよい塩梅で複数同時に行うことが難しい。「やはりそだね~」塾生も私もそこで苦労しています。感覚は少し間があくとぼやけてしまうし、感覚を維持した状態で操作を習熟していかなくてはならない。

私見であるが、合気練功の運用はざっくりと武道的には時間(間(ま))、施術や介護へは繊細さへの方向が練功としてあるように思った。合気練功を各種武道を補うパーツにするには合気の感覚や原理を整えて瞬間の接触を可能にする必要がある。演示としての状況設定はありかもしれないが、実際は静止した状態からのスタートはあまり考えられない。ちょっと応用は可能かもしれないがそれで自分が満足できるか。両方の成立条件を照らし合わせるぐらいならば、むしろ合気練功をベースとして再構築した方が早いような気もしてしまう。
故障を抱えている方やお年寄りのか弱く上がった腕を取って、筋肉のバランスを取り、カラダを繋げて動けるように施すには繊細な感覚が必要と思う。ついつい生の力で接してしまうが合気の繋がりは得られないだろう。

半年間に渡った集中個人レッスンが一区切りついた。合気の練功が何周練り込めたのか比較できる基準はないが、これから練功していくピースはある程度揃ったように思う。私も武道・武術からスタートした口なので達人の世界に憧憬がある。でも今更、最強への憧れはない。動機は各自にあると思うが、身体操法の可能性を切り開く合気練功は良いものであることは間違いないと思うし、練功はやっていて楽しい。何に使うにせよ練功を十分に練りこんでいくことで各方面へのスタートは切れそうだ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

CAPTCHA