合気の原理

合気の感覚 「糸巻のごとく引くべし」

「合気上げにかかった時の感覚は?」
と問われて私は3つの回答を思いついた。
本当にガッチリ掴んだ時は本当にかけられたときで、掴むことに意識がいっているため、内部感覚はとても分析する余裕がなく、感覚としては「わからない」である。
少し分析するつもりで掴んでいる時は、前足底と掴んでいる腕の接触圧が同じぐらいになって大きなバランスボールに乗せられていくがごとく自分が球体になった弾力感を受ける。
もう一つは1系と2系は表裏であるので2系をかける要点が整えば1系にかけられたときの感覚のはず。接触点でやや皮膚を取り相手の足裏からゴムの張力感で引き寄せるが、自分の内部感覚としては、肩関節で切れてしまわないように鎖骨から溝胸にすぼめる意識。巧く一体感が生じたときは四肢が背骨で線状に繋がった細竹のような撓りの感覚がある。

さて答え合わせは、ウインチでキュウーッと巻き取るがごとく引っ張っている感覚が正解だそうだ。つまりは2元の感覚である。接触点を使ってキューッと自分が引かれる感じで行くと相手も同調して引く動きが生じる。
ただしその感覚には複合的な要素の結果であるので、正しく捉え再現するためには原理の理解があった方が的確と思われる。関節の遊びや抜けがないかの「裏の力」、全身性の反応になっているかを感じる「足裏感覚」、引いているのだけれども引かれている力を感じる「推進力」。相手の重心が動く状態にまで来ているか、そして相手の各部に変化を許してしまうような力の偏りがないかの「同調」である。

合気練功にはいくつかのコペルニクス的転換ともいえる発想の逆転がいくつかある。その一つに合気をかけるためには自分が先に合気にかかってしまう事がある。かけられた感覚を寄る辺に操法を会得する道とするものだが、やはり面受面受でないと困難と思われる。
そうかといって、いきなり合気をかけられても受容するための基礎知識や感覚を持ち合わせていなければ何もわからないと思う。
宣伝のようで恐縮であるが、その点オンライン講座では背骨揺らしによる「感覚の鍛錬」、現象理解のための「原理の説明」と、ほとんどをオープニングコンテンツとして網羅している。合気練功プロジェクトはエライものを用意したものだと今更のように思う。

合気の原理 剛の裏の力について

最近お目見えした練功で「これは!」と思うものがあった。私の中でそこへつながっていく呟き。

今回も過去を振り返ってみる。合気の原理Ⅳに「裏の力」がある。自分を振り返ってみると、ようやく接触点を忘れて相手の足裏を感じられて、推進力を理解できるようになったころである。裏の力の正体が今一つはっきりとせず、なんとなくモヤモヤしたまま(フーン)程度に捉えていたものを、知らず知らずのうちに筋力が生じさせられているのが裏の力と認識した。きっかけは「重心の均衡点をきちんと作ってから」が意識できるようになったことである。条件の欠如が裏の力の理解を妨げていた。そういった意味では原理のⅣとⅤはある程度、つながる感覚を得てから認識できるようになるものだと思う。

相手との重心の均衡点をきちんと作ってから、お尻の穴をキュッと、さらに足の親指の付け根に意識を集中してグッと踏みつけると緊張が伝わって、相手のアウターの筋に緊張が生じる。この剛の裏の力を使うと相手は自分の筋力で重心のある所に移動していく。
自分自身のカラダは足の拇指から内転筋、大腰筋をすぼめて、背骨を中心とした一刃の刃物になった気分。合気道でいう集中力とはこのような感じなのか?と勝手に想像。

いきなり食らうとなかなか衝撃的なのだが、現象説明の理屈としては重心の均衡点は相手のカラダの外にあるので不安定であり、そこで力めば姿勢保持にはならないのだから簡単な事。注意点は局部的な筋の緊張にならないようにすることと不安定を欠かさないこと。つまり合気のカラダで重心の均衡点の喪失がないようにすれば、相手は自ら発生した筋力が跳ね返ってきて床との間に挟まる感じである。(合気のカラダで均衡点の維持が超難問なのですけどね。)

ただし、困ったことに剛的なこの合気はカラダが繋がりにくくなっていく帰来がある。ガツンと来るので防御的に頑張る体の使い方が出てきてしまうのである。筋肉に部分的な力みが生じて何か全身がつながっていかないような感じである。かけている自分も力み始めていて違和感がある。いきなりガツンと来る、自分の合気は掛からない、メンタル的に凹んでくる。「あまり快の感覚ではないな~。」がこの頃の捉えであった。(つづく…)

合気の原理 再び足裏感覚へ

このブログを始めた頃に「足裏感覚について」を記している。その時の感覚について振り返ってみると相手の足裏のどのあたりに重心が来ているか、前足底、踵辺り、足刀寄り…という程度の意識であった。
今は相手に加えた圧が足裏へ到達している経路に意識がある。相手と触れて柔らかく皮膚を取りながらジンワリと圧をかけると足裏まで到達する。しかしながら、圧が腕・肩(あるいは腰)のところで受け止められて、足まで十分に到達していないことがある。到達が不十分なまま何かをすると望ましい反応は生じず、腕だけ、または腰が折れてお辞儀の態勢に終わることが多い。原因は下方向への加圧に対して引き(皮膚の取り加減)が多すぎるためと分析している。足まで到達したときは明らかに跳ね返ってくる力が大きく感じ、推進力として十分な感じである。

基本3系では横方向、4系では後ろ方向に加圧するがこれも足裏へ到達するように操作する。その到達のさせ方はある種「裏の力」の使い方なのではあるが、まずは自分が「足まで到達している」と感じられる圧で腕、腰、足の違いを判るようにすることが速やかな上達につながると思った。当然相手には自覚されてしまうがそこは目をつぶる。これは技ではなく足裏感覚の練功であると割り切る。

さて、今の課題はというと相手の姿勢が変化しても相手の足裏を意識し続けられるかである(ン?昨年11月ごろと変わらず??(T—T))。皮膚操作で重心を引き出す意識を持つと下方向への意識が消える。相手の膝がちょっと折れると安心して足への圧を忘れる。
未熟者め! (「相手の足腰が辛いであろうから途中で止めてあげているのです」は言い訳!)
ヒョイと乗っても、横方向に相手を変化させても、5系で回旋させるときも、常に相手の足裏から推進力をもらい続けられるように、同調と4元のゴム感覚の維持である。

合気の原理は今のところ5つしかない。同じ項目なのだが1週目と2週目では視点や質感が違う。より多くのヒトを合気のカラダに仕立てるには精度を上げて、感覚の拡張をし続けねばならない。言うならば、自転車の補助輪が取れて無意識に乗れるようにはなった。次は手放し運転か、ウイリーか、ジャックナイフか。「練功はどれだけ練りこんだかである。」とよく塾長は言う。

追記:基本1系で相手を上方向へ上げる際、相手の足は方向が180度逆であるのでイメージがしにくい。相手に私の足裏に乗ってもらう(触ってもらう)感覚で操作している。

合気の原理 指さし確認のこと

合気の練功は重ねがさね「つなげること」である。つながってしまえば、上げるも下げるも崩すも自由という。そのために合気のカラダを練って、原理を理解して身体操作するわけである。このブログやオンライン講座のテロップをいじってきたので、さすがに理論はある程度理解できているつもりである。しかし、何かが欠けていて時折上手くつながれないことがある。より精度を高めるために塾長に指導を乞うた。備忘のためにも以下にまとめてみる。

1.「足裏感覚」で足を触ること。手から体幹を通じて足底から床に圧がかかっていて、その反作用が手に跳ね返ってきていることを感じて「足裏感覚」である。自分の圧を相手が腕で受けているのか全身で受けているのかは、この後のつながり具合に大きく影響する。

2.相手の足から跳ね返ってきている力(推進力)を使って、基本2系であれば自分が上前方へ、基本1系であれば下前方へ変化をしていく。注意しなくてはならないのが「相手からの圧を使って変化する」ことである。自分で勝手に動いていっては相手とつながらない。また、上がりきってもダメである。気持ちよく上がってしまうと推進力は自分の変化に使ってしまい相手の変化に使われない。つながりは切れてしまう。

3.2元のゴムで姿勢保持を際まで持って行く。自分のカラダに不安定さを作って相手に支えてもらう。腕や肩で引っ張らずに体幹部(背骨)で引くゴム感覚で十分に追い込んでおく。自分では頑張ってやっているつもりでも案外まだ余裕があって、自分が安定している。それだけ不安定になることが嫌なのだろう。本当に際まで追い込む感覚を重要視しなくてはならない。また、この時に重心がひょいと乗るのだと思う。自分にとっては乗るという表現はあまり適当でなくなってきた。乗せるには一度持ち上げなくてはならないが、持ち上げるイメージはつながりを弛めてしまうので不適切な感じなのだ。

4.もう一度自分のカラダをチェックする。特に肩でカラダが切れてしまっていることが多い。肩を確認してさらにカラダをつなげて、相手の刺激(動き)に反応できる敏感なカラダにしておく。
ここまでが私のチェックリスト。普段から2元の感覚で姿勢保持の際を認識していれば接触してからの操作は短くてすむ。色々な方向へ2元を強めていけば変化しても切れない4元の体はもっと良くなるだろう。

5.つながったことに自覚ができたら、意念を使って相手の重心を隅々から吸うように引く。意識するだけでどうやら微細な動きが生じて(皮膚が取れて)しまうようだ。難点は引くと思うだけで腕での引きが始まってしまい相手に気取られてしまうことだ。
変化した相手に同調してずっと推進力を感じ続ける事も重要である。相手に乗りかってしまうと結果的に両者が安定して相手には対応を可能にしてしまう。常にちょっと支えてもらう関係を維持する。

これらの項目を脳味噌の中で指さし確認を行って、一つももれなく自動運転できるように癖付けしていけば一段階精度を上げられるだろう。注意すべきは次の項目を行う時に前の要素が抜けてしまわないこと。確認後に意識が移るとできていたものが緩んでしまいがちだ。積み重なるような指さし確認を行いたい。

合気の原理 ゆるみのこと

ゆるみのこと
合気の原理Ⅴに「ゆるみ」の感覚がある。と言っても筆者としてはここ最近お目にかかったばかりである。従ってきちんと理解できているわけではないので、以降の文章は本当に呟き(もしかしたらぼやき?)程度に思っていただきたい。

合気の原理をお復習いすると、原理Ⅰ「足裏感覚」接触点の入力が上体のみの支えではない足底部に及ぶこと確認して、皮膚操作で重心が互いの姿勢保持に影響している状況を作る。この時、重心をカラダの外に出すようにボロン(or ヒョイっ?)と預けると相手は全身で支えることになる(首や顎または鎖骨に反応があるので目視でも確認できる)。
重心が乗っていることと皮膚操作で少なくとも二方向の力が作用しているが、相手は主にそのうちの一つの力に対して反応しているので、自覚されていないもう一つの反応は「裏の力」となる。そもそも「裏の力」は反射によって生じている力のはずなので足裏に影響が及んだところですでに姿勢保持の裏の力は発生している。「お前はすでに合気のカラダになっている」と言うところだ。
え~ここまでが「繋がっている」をつくる復習である。┐(´д`)┌ヤレヤレ

合気の原理Ⅳ「裏の力」が発揮されたあと、接触点の位置や圧を変化させずに自分の中のゴムの感覚をゆるめていくと相手のカラダは力の入らない状況になっていく。今はこれを「相手の身体を合気のカラダにする」と表現している。これで相手の身体に存在していた芯のような硬さはなくなるので容易に技がかかると言う。
私見であるが、「受け」は相手の重心を支えなくてはいけないほどの圧を受け続けているのに、「取り」のゴム感覚のゆるみで裏の力の発揮する方向性を見失っているように思う。受容している刺激と発揮しなくてはいけない反射の力の差異で脳に混乱が生じているようだ。力一杯掴んでいてもからだの中は力めておらず、ただ掴んでいるだけになっている。
自分の力みでカラダの中の変化がわからないので、柔らかく掴んで分析してみる。自分の掴んでいる力が変わらないのはやはり刺激を受けているためで、腕にピリピリとした電気のような振動がある。だから離せばいいのに手は離せない現象が起きている。そして身体の中は質的に空洞化して筋はうまく連動できていない不甲斐ない状況にあるようだ。

「ゆるみ」が上手く入ると相手は何とも言えない表情を浮かべる。その反応はヒト様々だが、『ニヤ~』とされる方、『フッ』と笑われる方、一杯目の生ビールの後の表情をされる方…。なんとなく解放感の表情だ。
合気の原理Ⅴ「ゆるみ」はゴム感覚をゆるめ、相手の力をゆるめるからと思っていたが、まさか塾長! 表情がゆるむから がネーミング根拠ではないでしょうね?
20171217