合気練功塾に通う様になって、数年が過ぎた。ここに来る前の自分と比べると、格段に成長しているのが分かる。合気に興味の無い人にまで現象化が可能になって、満足いく日々を送る今日この頃である。最高の出会いに感謝。
しかしながら、合気を知らずに送って来た人生の方がはるかに長いので、習慣化された思考や行動から抜け出す事が出来ずに、足踏み状態が続く事もよくある。自分が「間違いない」と思い、練功し続けた事が全くの思い違いで、一向に上達が見られない時期を過ごす事も未だに多い。そんな時、ここでは、塾長や先輩方に気づかせてもらえるので、すごく助かる。
また、これら“気づき”は気づいてしまえば、他愛のない、至極当然の事である事ばかりで、自力で気づけない自分に悔しい思いをする。
しかし、それは、順を追って説明を受け、現象を実演してもらう事によって、今までの常識が覆り、新しい常識を受け入れる事が出来てこその結果なのだ。そして、常識が上書きされたときに発想の土台も変わるために思考の次元も上がるのだ。
例えば、合気のカラダには“弾力”は欠かせないので、私達は体の中のゴムを引いた状態でいる。それを開放したら、今いる場所から飛んで行ってしまうのを我慢しながら、普通に立っている様に振る舞っている。(ちなみに、合気練功塾では、常時「飛べますか?」が合言葉である。)
しかし、最初から、この状態を作れる人はまずいない。なぜなら、一般の人の体の中にはゴムは存在しないし、作れるとも思っていないからだ。これが思考の次元の違いで、すでにゴムの存在に気づいている人は、それからの応用も簡単だが、気づいていない人にとっては、余程の奇跡がなければ、偶然であってもゴムが発生する事は無いし、万が一発生したとしても、受容出来る感覚も無いし、再現出来る理論も無いので、ゴムを使用可能という認識に行き着かないのだ。
ゴムの存在を知らないという事は、合気において、“詰んでいる”。なぜなら、“筋力有き”のベースで思考が堂々巡りするだけだからだ。そして、その八方塞がりの無限ループを突破出来るのは、過去に突破した事がある者で、確実に突破する方法を身に付けた者だけだ。そんな人を見つけて、教えを乞うのが一番の近道である。