2020年 の投稿一覧

虹をつかんだ男のココだけの話「不安定」

『お互いが個としては「不安定」でありながら、2人でバランスを取りながら「安定」している状態をつくる。』
これも合気を学ぶ上ですごく大切な情報でありながら、合気練功塾に来るまで、他では教えられることが無かったことである。

2人で一つの重心を作り、その重心を取り続ける事で相手の身体をコントロールする事が出来る。
何故この様なことになるかは、お互いがお互いを支え合っているから。2人共相手がいないと立っていられない状態になっている。

だから片方が手を離そうと上に上げても、わざわざもう片方が追ってきて、不自由そうな体勢になってもくっ付いて離れないという不思議な現象が起こったりする。「いやいや、手を放せば良いだろう。」と思うのだが、放したくても放せないのである。無理矢理放せば、自分が倒れてしまうから。

人間は二足歩行であるが、2点で立っているわけではない。実際のところ、足は右と左、前と後の4点で四角形の面を作り、その範囲に重心を置く事でバランスを保っている。だから、それが2点の線や、1点の点になった時は、遅かれ早かれ、その上から重心が外れ転倒することになる。そうならない為、2点になった時は、本能的に何かに掴まり面を保とうとする。

その性質を利用して、元々相手が一人で自立していた状態に、知らず知らずのうちに自分の2点を貸し出す形で2人でバランスを取らざる得なくさせる。

それを意図的に作り出そうとする時、お互いが相手の存在を必要とする共依存関係になる必要がある。普通の状況で4点で「安定」している他人の前で、自ら進んで「不安定」な2点になってくれる人など存在しない。相手が乗ってくる条件として、自分の「不安定」は絶対条件である。
そして、その条件下で相手の本能が、「自分が助けなければヤバい、2人とも共倒れしてしまう。」と誤判断し、力を出す状況に至った時、お互いに支え合い、引っ張り合う事になる。それを知識のない人が側から見ていると「何でくっ付いているのだろう。不思議だ。」となるのだ。

しかし、「不安定」になるのはとても難しい。独りよがりで「不安定」になって、転倒しそうになっても自分の「安定」を捨ててまで、相手が助けてくれることは無い。そして、自分が4点で「安定」して相手を「不安定」にしようとすると、引っ張っているとか、押しているという風に受け取られるため、ぶつかるか、すかされるかで力が伝わる事は無い。

そこで、合気練功塾の教えでは、〈裏の力〉で相手に侵入し、踵をあげさせ前重心にして、自分も踵を上げた状態で前重心になって下から支える。あたかも杖の様な形になって、重心を重なり合っている手の部分に移動し、共有の重心を作り「個」としての「不安定」を作る。

そして、2人の足から足までを繋いでいるゴムを目一杯引く事で、相手に「足で踏ん張り、手で押さえていなければ自分の身体が持っていかれてしまう。」と思わせる事が出来れば、その力で相手が勝手に動いてくれる。

空をつかむ「見えないものを掴む」

合気練功塾で毎回のように塾長に言われるのは「強すぎる」。何かをするにあたって、とにかく「力が強すぎる」と言うこと。

とくに相手に腕をつかんでもらっているので、腕に力が入る。腕の力は一定の高さを保つのみでそれ以上は必要なく、最悪強くても箸や茶碗を持つ程度だと。

 

とにかく力とはまったく別のことを行っていると頭をシフトしないと何も始まらない、と。

これが、頭ではわかっていてもなかなか難しい。そもそも「腕の力入れないように・・・」と考えている時点で、前回でもお伝えしたとおり腕にかなり集中してしまっているし、力を抜くように力を入れているといか・・・こうなると迷路に迷い込む。このあたりは本当に意識を変えるのが難しいところである。

現時点では、最終的には自分のからだをどうこうではなく、相手の頭やからだをどう作用させるか、と言うことなんだろうと理解している。

対峙する相手を動かすということにおいて、お互い筋力勝負の場合は相手より強い力(筋力)が出せればよい。そのために筋力トレーニングに励み、誰よりも強い筋力を身につければよい。

 

ただこれは年齢や生まれ持ったもの、人種などによっても限界がありなかなか難しい。

 

そうなるともう一つの方法は、自分がどうこうよりも相手が「動いてしまう」ようにからだを作用させる。これは年齢や体格は関係ない。まさに今自身が目指すところである。ただこれは筋トレよりも難しい。

 

前者は持てる重量の増加や筋肉の増大などで成長を実感できるが、後者は相手が動くかどうか。動いてしまいかどうかは受けている相手しかわからない。

 

しかも受けている相手もどうして動いてしまうのかわからない無意識の部分に作用させる必要があるため、本当に見た目では正解が全くわからない。ただ結果的に相手が動くことが正解。

 

練功塾ではこの見えないものを全員になんとか伝えようとしてもらえる。本当にありがたい環境で、ここならなんとか掴めるのではないかと思わせてもらえる。

by kaz

合気沼のアヒル「とうとうゴム感覚を掴んだのか?」

合気の気づき

前回の続き ”気づきの詳細”は

浅かった・・・ 

と気が付いた。涙

 

 

これまで「オっ、うまくいったかな?」と感じられた時の

私の体感覚との認識は、グラグラ、前足底、すがり、伸び、といったものだったが、、、

ちがった。^^;

足と丹田とゴム

ゴムというと自分が持っていて相手が引っ張るのをコントロールするイメージだったが

ちがった。

ゴムは弾力を維持したままいつまでも切れず

引き寄せられるのは自分の方だと最近思い知らされている。

この発見を感覚が間違っていないか松原先生に尋ねると、、、

「いつもそういってるつもりなんだけど、、、(笑)」と

お決まりのパターン・・・ ^^;

7月、先生のある一言に納得したとき、

今までと345度くらい練功の見方仕方が変わってしまった。

足掛け4年?(だと思うが)、1元 「左右の手の中にゴムを感じる」

練功塾で 「これ分からない人ぉ~、感じられない人ぉ~?」っと聞かれて

いつも周りの様子を伺いながら控えめに手を上げて

あきれられていたが、、、、

今回、

やっとわかった^^/

気がしているだけかもしれないが・・・・

いつもと一緒で・・・

 

今回の気づきは、

ゴムは相手の浮いた丹田をコントロールするために引くのであれば

イヤでもゴム感覚となる。

っというもの。

その先にあるのは自由自在の相手の丹田の引っ張り出し、ぶっ飛ばし。

のはずだが、

課題はまだまだ てんこ盛り

アヒルのもがきは、まだまだ続く。

(次回から”合気沼のアヒル”はオンライン講座の方へ投稿を移動します。)

虹をつかんだ男のココだけの話「思い違い」

合気を掛ける時に「接触点を動かさない」という前提の様なものがあるのだが、素人が動画を見た場合、結果的に接触点が1番大きく動いている様に見える。以前の私は、この矛盾に翻弄され、長年の間路頭に迷っていた。物理的世界観が染み付いているので、動かしたい場所をどう相手にバレない様に動かそうかとか、違う行動を思い浮かべながら動いて相手のセンサーを掻い潜れないかとか、今となれば頭がおかしいとしか思えない発想の中に答えを探していた様に思う。

 

そんなある日出会ったのが合気練功塾だった。それ以前に3つか4つのセミナーで煮湯を飲まされていて、「やはり、自分には合気を習得する資格が無いのではないか?」とも思っていた。

 

しかし、最初に松原塾長に個人レッスンを受けた時、凄い衝撃を受けた。「今まで何をやっていたんだ。」と。正直知らない事だらけだった。本や動画、セミナーなどで断片的に習った「皮膚をとる」などの触れ方は、テクニックに過ぎず、本質は「相手と繋がる」事なのだと。そして、相手の足から自分の足までゴム感覚で繋がり、2人で1つの重心を共有し、最終的に重心を取った方が相手に影響を及ぼせるのだと。

 

そして、合気練功塾の原理1「足裏」なのだが、どの動画を見ようがどの書籍を読もうが、私は、「足裏」をテーマにしたものを見た事がない。他のセミナーでも一言も聞いた事がない。だから、目から鱗が落ちる思いがした。それで、やっと前提の謎が解けたのだ。

 

合気上げを例に説明すると、手に触れて「裏の力」で掛け手の足から受け手の足までゴムを張る。次に「推進力」を感じさせ受け手の足裏を上げさせる。足下を掬われた受け手は支えられている掛け手の腕に頼るしかなくなる。しかし、あらかじめゴムを引いている掛け手の腕は固定されているわけではなく、引っ張られても、押されても、自分の胸の前に巻き込んで戻ってくる様な設定になっている。だから受け手が掛け手の腕に頼ろうと押せば押すほどその力が地面に当たり返ってきて、受け手は自分自身の重心を不安定にさせて、最終的に掛け手の腕に乗り上げる様な形で止まる。なぜなら、そこで2人で共有している重心が安定するから。外からは見えにくいのだが、受け手は掛け手と同化した地面を押して、その力が戻って来て受け手自身を上げている。しかし、この世界を知らない人の目は、接触点を起点に動いている様に錯覚してしまうのだ。

 

塾長に師事し、本物の合気を知り、伝授への本気さを感じ、感謝する一方で、それ以前に費やしてきた労力を思うにつけ、合気の世界の排他的な深い闇を感じざるを得ない。この業界は、本気で教える人がいない。業界全体で既得権益を守ろうとしているのだ。興味を引くだけ引いて、可能性を教えるのではなく、無力さや諦めを教えようしている。だからどこへ行こうが、何を見ようが、出来ない。そして諦めの悪い人は、この互助組合的な仕組みの中で、あっちへ行ってはサギられ、こっちへ行ってカモられの無限ループにハマってしまう。

 

動画を見ても接触点を動かしている様に見えてしまう人、自分の行動を読まれない様に意識を飛ばそうと奮闘している人、「足裏」感覚を知らない人、合気に「足裏」感覚が重要だと思いもしなかった人、思い違いをしているのかもしれません。一度合気練功塾に足をお運びください。

 

by 宮崎

 

Tスタイル ~合気練功の日々~ 「脳力」

 最近、練功をしながら改めて強く感じることがあります。合気の習得を目指すトレーニングは、いわゆる武術の稽古や肉体のトレーニングとは全く違うということです。

    この表現は誤解を招くかもしれません。なぜなら、対人練習の場合、相手と接触し、身体を操作するからです。相手と足でつながる時や、重心移動をする際には、ある程度の下半身の筋力が必要です。私も合気練功塾に入った当初は、稽古の後に足のふくらはぎがパンパンになっていました。

    他の方と同様に、私も毎日四股を踏んだりもしています。しかし、それは筋力を鍛えるということではなく、内部感覚を鍛えるために行っているのです。さらに言うならば、合気習得の基になる「脳力」を鍛えるために行っているのです。

 「脳力」とは、もちろん脳の働きを指しているのですが、(あくまでも私の考えですが)一言で言えば、イメージ力です。例えば、四股を踏む場合、「泥の中に突っ込んだ足を抜くイメージ」とか「足の裏に張り付いた接着剤をはがすイメージ」、さらに「体中に張り巡らされたゴムを動かすイメージ」、「全身に取り付けられた大リーグボール養成ギブス(古っ!)を動かすイメージ」等というように、様々なイメージが浮かびます。

    よく松原塾長が「自分の脳をだます」と言われますが、イメージのもち方でトレーニングの効果も変わってくるでしょう。

 

 このイメージ力が驚くほど豊かなのが、合気練功塾副長のIさんです。実は、私が初めて練功塾の体験会に参加した際、マンツーマンで教えてくださったのがIさんです。例えば、一系(合気上げ)で最初に相手と足でつながる時に、「自分の舌を身体の中を通して伸ばし、相手の身体の中に入って足の裏をなめる」(‼)と言われた時には、そのイメージ力の豊かさに唸ってしまいました。研究会や日曜日の練功塾でお会いするたびに、その脳力はアップデートされており、驚かされます。

 ところで、このIさん、とても穏やで、いつも笑顔で接してくださいますが、だまされてはいけませんよ!若い頃には名古屋の大須の町を中心に、名をとどろかしていたそうです。胸倉をつかんできた相手を、「●●●●●●●●●●●●!」と一喝し、●●●●●●●してしまったり、●●●●●●●●●●してきた相手を●●●●●●してしまったり、●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●してしまったりと様々な武勇伝をもっているのです。

 えっ、伏せ字ばかりでよく分からないって⁈ とてもここには書けません!皆さん、副長にお会いする際は、くれぐれも失礼がないようにしてくださいね。でも普段はとても優しい方なんですよー。(慌ててフォロー!)

 

 皆さん、イメージ豊かに練功して、「脳力」を鍛えていきましょうね!  TAKA