2019年 の投稿一覧

神谷の呟き ほどよく枯れていきたひ

ドイツの心理学者:エルンスト・ウェーバーは刺激の変化を感じ取る実験で「ウェーバーの法則」(1834) なるものを発見している。例えば100gの錘を手にのせて、少しずつ錘を重くしていき110gになったときに初めて「重くなった」と感じるヒトは、200gの錘で始めた時は220gにならないと「重くなった」とは感じない。210gでは違いを感じられないのである。この法則は重さだけでなく、明るさや音、匂い、味、寒暖、時間、金銭感覚などにも成り立つそうだから、よほど謙虚に最小の感覚を大事に磨いていかねばならない。途中で大きな刺激を受けると練功が振り出しに戻ってしまいかねない。

1年も練功を続けて、技をかける方は相変わらずの気分だが、かけられる時の分析は緻密になってきたと思っている。ある時、2系の受けを務めている時に感じたことがあった。相手の方は十分に力を抜いて2系の繋がりを作ろうとしているのだが、何だか…耐える腕の力を抜きたくなってしまう。腕の力が抜きたくなるということは繋がりの操作圧が大きすぎることが原因であることが多いのだが、相手は力を入れずにトンっと腕をのっけているだけの様子。でも繋がりを作るためにはこちらが協力して頑張らないといけない感じであった。
ふと気づいた。この相手の腕が重いのである。空手や柔術で鍛え上げられた(前脚のような・失礼)腕の重さが気になっているのであった。力を入れてはいけないが、重みを掛け過ぎてはいけない。そんなことを私は感じていたようなのだ。

若かりし頃、太い腕に憧れて拳立て(拳で行う腕立て伏せ)を繰り返したものだが、合気練功ではその腕の太さも障壁になりかねないのであろうか。そういえば達人の逸話は「吹けば飛ぶような、枯れ枝のような…老人」なんて記述が頭に浮かぶ。東京の合気練功倶楽部の方でも武道経験のない方やあまり力がない方のほうが、すんなりと合気の繋がりに入られたりする。

もしこの仮説が必要事項であるならば、ここからは脂物を控えて、うまい具合に枯れていく練功を編み出すほかない((笑))。

神谷の呟き なまくら刀は切れ味が鋭い 可能? or 不可能?

合気の繋がりのためにはまず自分の受容感覚を磨く必要がある。合気練功の技を受けても何が行われたかを感じることができなければ、「何で?不思議?」で終わってしまう。まずは足の裏に、または皮膚、さらに背骨に意識を持っていって感じる脳を鍛えないと始められない。合気練功塾ではその操作感覚を理解してもらうために、あえて大きめの操作(圧)で操作を行って必要事項を確認し、そこから操作を細くしていく手順を踏む。
合気練功の操作は相手の意識に上らないレベルで相手の姿勢保持に影響をするが、雑な圧の高い操作では身体感覚に鋭い方にキャッチされて対応・変化をされることが多い。よって相手の閾値に達しないように「そオッと」行うのである(でも、姿勢保持の神経の閾値には達してところが激難)。操作を細くしていく必要性はそこにあると理解している。

過去の失敗談であるが、塾長のお宅へ個人レッスンに通っていたときに塾長の説明に対して何となく抗うような動きをしたことがあった。
「そんなことしてたら解らんよ。」塾長に言われた。そのときはその言葉の真意が良く理解ができず、単に「こうしてみたらどうなるのだろう?」程度の好奇心?半分無意識的な動きだったと思う。私に慣れが生じていたのだとも思う。
今では言葉の意味がよく分かる。操作感覚を伝えようとして、私が感じられるあえて大きめの操作に対して、私が変化したのであるから、学ぶ側の姿勢として失礼極まりないことであった。

切れ味鋭く研ぎ上げた刃物をあえてなまくら刀にして、また瞬時に切れ味を戻す。なんてことができるのだろうか。少なくとも最近の塾長は集中講座の説明の時にやっている。塾長の中のある幅でやられているのだろうと思うが、私にそんな器用なことをやれる自信はない。感覚を研ぎ上げる修行の途中であえて鈍らせる作業が面倒くさいと感じたら、塾長は指導をやめてしまうかもしれない。とても心配な事である。

Tスタイル ~合気練功の日々~ 「触れ合気」

合気上げの対練(対人練習)をする際、手首を掴んできた相手の皮膚を取り、相手と自分の足裏を感じながらつながり・・・と段階を追って合気をかけていきます。

しかし、松原塾長は、身体の一部を触った(触られた)だけで、合気をかけてしまいます。そして、一度合気がかかると身体が離れても感覚が残っており、もう一度触った(触られた)瞬間に相手に合気がかかってしまいます。

私の合気道の師匠が目標とする達人のDVDを見ると、お弟子さんがその達人に触る直前に自ら崩れてしまいます。今までは理解できなかったのですが、お弟子さんがすでに合気がかかっていると考えれば、決して不思議ではありません。私も松原塾長の個人レッスンを受けていると、松原塾長が身体を動かしただけで、(身体が離れていても)崩れてしまう時があります。

うーん、合気は奥が深いですね。皆さん、達人目指して頑張りましょう!

年末に妻の実家で恒例の餅つきをしたのですが、つくほどに粘りが出る餅に、強くしなやかなゴムのような合気の感覚を感じてしまいました。餅の凄さ(?)に嫉妬し、己の無力さを感じてしまった私でした。

今年も変なおじさんへの道まっしぐらの年になりそうです。 TAKA

とある塾生の雑記09 腕の力みを取る

合気練功塾では体全身のバネを使いゴムのような体作りを目指しています。初めの頃はこの感覚を掴むためにわざと動作を大きくしていましたが、ゴム感覚が出てくれば動作を小さくし、相手に気づかれないレベルにまで落とし込んでいきます。しかしながら、動作を小さくすればするほど相手の反応も小さくなり上手く合気がかからないため、つい腕に力みが生じてしまい失敗します。今回は、腕の力みを取る時の注意点について二つお伝えします。

一つ目は、私自身も癖のようによくしてしまうのですが、力んでしまった時に腕や肩をブラブラと揺らして完全に脱力するのではなく必ず一本のゴム感覚を残して体を緩ませるということです。おもちゃで『LAZY BONES/レイジーボーン』というゴムで繋がれた脱力人形がありますが、如何に最後までゴム感覚を切らさずに力みをとるかがポイントです。私自身のゴム感覚は単なるゴムではなく流動体のようなゴムで、それが腕先の方に絶えず流れているようなイメージです。合気練功塾ではこのような体を四元の合気のカラダ(空間感覚)、五元の合気のカラダ(内部感覚)といい合気練功のための修練体系の中でも上級レベルのものですが、練功を続けていると
自然とこのような感覚が出てきます。

二つ目は、腕の力みを感じた時ほど意識を体幹から足裏に持っていくことです。両腕を水平に上げた状態から腕を降ろす動作の場合、
手や肘から降ろすのではなく、肋骨の収縮(内肋間筋の収縮)を利用して肋骨が閉じるからその動きが肘から手へと伝わり、結果的に腕が降りていく。逆に気をつけの姿勢から腕を上げる場合は、肋骨を開く(外肋間筋の収縮)からその動きが肘から手へ繋がり自然と腕が上がるというように、日頃から体幹を使って腕を操作するという鍛錬をして、相手と繋がった状態で体幹から足裏へ落とし込み、腕はただひたすら相手と薄皮一枚で繋がっているだけに徹し、腕を上げたり下げたりという意図をなるべく出さないようにします。

合気の妙技を堪能するには、まず力みを取ることです。「力じゃないんだ」という脳内革命こそが、力みを取る一番の早道かもしれま
せん。

合気練功 基本〇系というもの

基本○系というもの

合気練功塾には基本1系~基本5系という練功課題がある。基本1系は相手が上へ上がる、基本2系が下へなど、方向によって分けられている。方向が決まっていた方が練習しやすいし説明しやすいためであるが、これは初めのうちだけである。

合気の技は基本的に相手の力を使って動きが作られる事になるので、相手が力を発揮しないと基本○系にはならない。
基本1系を例にするといわゆる合気上げであるが、相手のカラダに上がっていく要素が発生していないと合気で上がっていかない(関節とか、重心移動で操作すれば上がると思うが、それは合気ではないと思う)。「相手が上がる」と言う現象だけにこだわると失敗して、上がらないことが多い。それは相手が上がらない・繋がらないカラダになってしまうからである。

例えが適当かは判らないが、空手などのいわゆる上受けは上段の突きに対して有効な受け方であるが、「上がらないカラダのヒトを上げてみろ」というのは中・下段の突きを上受けで受けてみろと要求しているような感じに思う。

では、本当に上がらない構えで挑んでくる人に対して、合気練功で上げることはできないのかというと、塾長はスッと上げてしまう。どうやら脊柱で頭部を支えている状態であるならば不可能ではないようだ。

完全に上がらないように構えているカラダには上がるように要素を作っていかねばならない訳だが、相手の受容を可能とする閾値の超えた操作では相手はさらに上がらないように変化をしていく。その辺りがソフトタッチ(の虚?)へと繋げていかなくてはならない部分だろう。今後、合気のカラダのゴム感覚がとても重要となるだろう。