2019年 の投稿一覧

神谷の呟き 覗き見になってません

「知りたい・解りたい」という好奇心の気持ちは大切である。不可視なものを見ることができるようにする技術は賞賛したい。
覗き見と表現すると、勝手に見られる事になるので嫌な気持ちになるものである。
どこに視点を置くかで感じ方が変わってしまうのが言葉である。

合気の繋がりでは「接触点を通じて肩に上の圧をかけて重心を引き出す事で関節と体幹が繋がり…」と肩関節を処理する。最近ちょっと楽しいのが、接触点を通じてどこまで繋がったか感じること。相手が力を出している場所が何となく解るのである。上腕であったり、肩甲骨で当たりであったり。関節を繋ぐ筋に可動(・・)な(・)状態(・・)で(・)筋力を出させるとゴムに似た弾力感で戻される感じになる。繋がったなと思う。(その上のレベルが必要であることはオンライン動画でご紹介済み)

そのような楽しみ方も合気練功かな。

合気の原理Ⅰは相手の重心の位置を察知する。相手が気付かなければ崩すこともできるだろう。気付かれれば用心されるので上手くいかない事もある。訓練されてきた方は当然のように無意識の回避行動をとる。
何が来るか解っている必殺技を喰らうのはなかなかに勇気がいる。
技にするには「バレない」ということも必要。

最高の泥棒は侵入した痕跡を残さないのだと思う。
最近、PC上に「このアカウントはハッキングされています」とか「個人情報がトレースされています」とか、よくみるようになった。表現的には私以外に最低2人いるのかな?程度の受け取りである。毎度対応していては作業が遅くなってかなわない。私はネットのいろいろに疎いのでこれらのメッセージが何の危険性を示しているのか解っていない。

Tスタイル 〜合気練功の日々〜 「奥義伝承」

練功塾や研究会では、1系(合気上げ)の稽古を繰り返して行っています。松原塾長も1系の大切さを感じておられ、熱心に指導して下さいますが、なかなか上達できません。(反省!)

最近の練功塾や研究会で塾長が強調されているのは、合気を学ぶ者としての心構えや稽古に取り組む視点についてです。詳細をこのブログに書くことは避けますが、日々進化されるご自身とその進化のスピードについて行けない塾生や研究生(私がその典型です。すみません!)の現状に危機感をもたれていることは間違いありません。

長年の修練により習得された「合気」をいかにして伝えていくか、日々追究されている塾長の思いに応えられるよう、初心に戻って努力して
いこうと思っています。

先日、ある院生の方からご指導いただいたことにとても衝撃を受けました。練功の際のイメージのもち方なのですが、発想の転換というのはこのことだと思いました。合気の稽古は、心の稽古、脳のトレーニングだと再確認しました。
(感謝!)

さあ、今日も愛犬ハチと練功に出かけることにします!(私の妻は散歩だと思っていますが、決して散歩ではありません。これは練功です!誰が何と言おう練功です!)

皆さん、達人を目指して頑張りましょう!
TAKA

神谷の呟き 豊かな視点

年度末…。
12月は師匠(僧侶?)が走り回るほど忙しいと言われるが、私としては年度末の今の方が慌ただしい。
途中書きの文もあるが拙速にアップするにはもったいないテーマばかり。考えをまとめる時間がないのが正直なところ。きちんと内容をまとめてから呟きたい(もはや呟きとよばない??)。そうこうするうちに、次に気になる内容が出現してきて、温めていた文章のストックは風化して逝くはいつものこと。

合気練功は…知らなくても生きていける。
知っていればより豊かな視点がもてる。
知らずにいくのはとてももったいないこと。

今回は私情に尽きてしまったが、こう言うのが呟きかも(ぼやきとも言う?)。
呟く…「小さい声でひとりごとを言う。ぶつぶつと―・く」デジタル大辞泉(小学館)

わたくしついでに、私の仕事の話。配慮に配慮を重ねて処理させていただいたが、ヘンなところで取りこぼしがないことを切に祈る次第。

とある塾生の雑記10 深化する合気練功塾

以前、松原塾長が自身を合気という険しい山の登攀ルート開拓者に譬えておられました。誰でも合気が使えるようになるために塾生の進捗状況を確認しながら、より勾配の緩やかなルートを開拓していく。最近このルートナビが頻繁にアップデートされていくため数回練習を休むと浦島太郎状態になることもありますが、このような試行錯誤を繰り返す中で基本1系(上への変化)が以下の①から④へとさらに深化しました。

① 皮膚を取り足裏を感じるまで肩関節に対し軽く上方向の圧をかける→原理Ⅰ(足裏感覚)原理Ⅱ(推進力)±原理Ⅳ(裏の力)
② 背骨の操作でお互いに引っ張り合い相手が手を離せなくなる状態を作る→原理Ⅲ(同調)
③ 全身のゴムと遠心性の収縮を使い足裏をさらに強く感じる→原理Ⅳ(裏の力)
④ 自分のゴムを緩ませて相手の重心を数ミリ移動させる→原理Ⅴ(ゆるみ)

②はお腹で綱引きをする要領で肛門を収縮させながら仙骨をほんの少し後傾させ、前足底(特にⅡからⅤ足趾)で大地に楔を打つように踵をほんの少し浮かせて背骨から足までを繋げることで体幹を使って相手を引っ張ります。この時、私もよく注意されるのですが、上への圧がなくなり足裏感覚が消えてしまうと単なる引っ張り合いになるために、足裏を絶えず意識して下さい。これが決まると相手は手が離せない状態となり、相手と一体化(同調)する合気の真髄を味わえることと思います。

合気というものは上辺の形を真似ても会得することが難しく内部感覚を理解することが非常に重要なことですが、古より秘術の伝承というものは、師匠に一度技をかけてもらい、後は弟子が自ら創意工夫して体得するというスタイルが主流であり、何度も繰り返し技をかけてもらえたり、ましてそのノウハウを全て教えてもらえるということは皆無であったと思います。皆さんも是非深化する合気練功塾に合気の真髄を体験しに来て下さい。

神谷の呟き 何も足さない、何も引かない。

「何も足さない、何も引かない…」サントリーのシングルモルトウイスキーの名キャッチコピーで、あまりにも有名。本当に何も足し引きしていないのか私にはわからないが、純粋な感じを醸し出す言葉として大成功している。現代人の理性脳を刺激する電子機器については足して加えて多機能をうたい文句にし、感性脳をターゲットにしているものにはピュアさを謳っているように思う。

合気練功で腕から体幹部への操作を処理するとき、「相手の脇を締める筋力が出たら完了。」であると塾長はいう。その最低限が上へ圧を掛けて、皮膚の程度で重心をちょっと引き出す。
腕で身体を支えなくてはならない状況が予測される刺激に対して、腕を体幹に繋げる反応が出るものと思われる。個々人の反応によって力が入るヒトはすぐに繋がるが、ゆるい人はじっくり伝わり繋がっていく。この間、自分は最低限、足裏からの上への圧は生じさせ続けねばならないが、足が辛くなると腕(肘)を曲げて横着に代替えしようとする。腕で行ったものは染み渡っていかない。やはりインスタントはそれなりの反応か。ならば足でと踵を浮かすと「背伸びすると方向が変わる」とのご指摘…。
繋がっていこうとする反応に対して、操作感覚に物足りずに腕の筋力を足していくと、途端に反応されて力でぶつかる。十分に美味しい老舗の一杯にさらに調味料をぶっかけていくかの如く。
前足底への重心の引き出しが不十分?と感じても腕で引いてしまう。よく院生に言われる。「もう十分だって」

《 必要最低限の要素を意念で行って、それ以上は何も足さない、腕で引かない。》

飲酒は特に嫌いではない。特に疲れたときは発泡を伴う飲み物より、茶色い液体を少量クイッといただいて気絶するのが心地よい。最近の飲み物はいろいろと足し加えて安価にしているようであるが、とりあえず飲めれば良いというものでは起床時に頭がヘンに重たいことに気がついた。たぶん何かしら余分に足し引きされてできているものなのだろう。