2018年 の投稿一覧

Tスタイル ~合気練功の日々〜  「上がらない合気上げ」

今週は合気練功研究会と気匠庵での個人レッスンで練功を積んでいらっしゃる研究生の T さんの文章をお送りします。

 

Tスタイル 〜合気練功の日々〜
「上がらない合気上げ」

はじめまして。50代半ばから武術を始め、合気練功塾にたどり着いたTAKAです。練功歴1年にも満たない私ですが、思いついたことを、自分なりのスタイルでブログにしてみたいと思います。よろしくお願いします。

合気上げ。武術に関心のある方であれば、誰しもできるようになりたいと思うでしょう。かくいう私も、合気練功塾に入ったのは、それが大きな目的の一つでした。
ところが、松原塾長は「合気上げは上がらなくても良い。」と言われます。つまり、つかまれている自分の腕を上げることにこだわりると、無駄な力が入り、せっかくできた相手とのつながりが切れてしまうからです。相手が「上がりたい」という状況を作ることが重要なのです。そこから、腕が上がるという現象が起きるのは、次の段階です。
合気練功は、内部感覚の訓練なので、目で見ることができる現象よりも、こうした身体の中を捉えることが重要なのです。
「上がらない合気上げ。」皆さんも発想を変えて、チャレンジしてみて下さいね。

先日の研究会で、松原塾長が、身体の膨張感を出す為の意識の仕方を「海が呼吸するように。」と言われました。(えっ!どういうこと?ところでその海はどこの海?伊勢志摩?沖縄?もしかしてハワイ?それはいつ?早朝?昼過ぎ?それとも夜?)余計なことばかり考えてしまう私でした。反省・・・。

TAKA

合気練功の功夫(工夫)について

日曜日に行われる練功塾は、最初の一時間は院生が輪番制で前に立ち塾生の練功のリードを行っている。そこで院生のそれぞれの工夫を「奥義伝授」などと笑って指導しているのだが、それぞれの感じ方や工夫がいろいろとあって参考になる。

ある院生さんの案内に、自分の足裏感覚を留意するために500円玉を足の母指球で踏んでいる感じで意識すると良いとあった。「なるほど!いい工夫だ。」他の院生さんは「じゃあ、俺は100円玉。」、「じゃあ10円玉」と金額ではなくサイズを小さく競っていき、でも最終的に一万円札を挟んで破らないけど逃さないに落ち着いた。確かに昔の剣豪の逸話に濡れた半紙を踏んで破らないというものがあったなと思った次第。

「合気は脳をハッキングすることで行う関節技である」という理解の仕方。
ある院生の案内で、ゴム感覚は関節が伸びることで、伸長する関節の弾力性として解釈するとどうだろうかというものがあった。従って人差し指を握られたときは中手骨、手根骨、肘、肩と多数の関節の弾力性を利用できるが、手首を握られたときは肘と肩関節のみの弾力性で制御を行うことになり、より繊細さが要求されるという説明であった。
塾長の説明では「関節が伸長した結果、それ以上伸長させまいと筋肉を収縮させる無意識の反応(つまり反射)は脳をハッキングすることの一つの要素でもある」であったので、ほぼ同意を得ているのかなと感じた。
確かに手首を掴まれると相手の力を感じてしまい、こちらも力みが出てしまう。練功塾では力をぶつけないは当然の条件であるので、これはクリアしているとして、手首を掴まれたときの合気のカラダ(弾力性)として感じとると確かに少し物足りない。指を握られて相手を操作するのは力の世界ではありえないが、合気練功ではむしろこの方が分かりやすい。自分と相手の関節を巧みに操作する事が合気練功の技の一部であるということで「関節技」でもある。関節が増えることで動きを生み出す要素が増えるので無意識的に繋がりつくられるが、関節数が減ると大きな筋肉の動きで参入しやすく、精緻に操作しないと力がぶつかるということであろう。
通常の生活では何かしてやろうと思うから力むのだが、これを合気練功では「我が出た」とか「色気が出た」と表現していた。合気の繋がりは互いに動きが生じている状況だと私は感じているので、力がぶつかって弾力性がない状態では、相手の力で動いてもらえる状況は消失する。塾長はこの動きの事を「流れ」と表現して、ぶつかっている状況を流れがないと言っているのだと思う。

合気練功を技と思えば、何かしようと意識が出るし、一度の経験でテクニックとして盗むこととも可能であろう。しかし練功は感覚のトレーニングで、だんだんと感覚が鋭くなっていく(積みあがる)と解釈すれば功夫であり、継続することで意味が生じてくるのであると私は思う。

とある塾生の雑記 その1 「内部感覚」

今週は前回、ご案内させていただいたように、塾生さんのアウトプットを紹介させていただきます。
いろいろな表現や考察が、皆さまの練功にプラスになる事と信じております。

「内部感覚」

皆さん、初めまして。合気練功塾に入塾して丸一年になる大屋と申します。
合気練功塾の動画で配信されていない、というか配信されても何をしているか今一つよく理解できないであろう「内部感覚」について、私自身の体験を通して言語化することにより、私自身の合気に対する整理だけでなく、皆さんの合気に対する理解への一助になればと思い、このコラムを書くことになりました。

まず「内部感覚」には自他両方の内部感覚があります。私自身も最近ようやく他人の内部感覚が少しずつ分かり始めてきましたが、自身の内部感覚がよく理解できていないと他人の内部感覚も理解できないため、日々の錬功に取り入れている準備運動的な内部感覚の養成法について列記します。

① 両手掌を合わせて擦り合わせる(30秒)
② 両手指をつけたまま、手掌を離し、指尖部(十宣穴というツボ)同士で拍手するように軽く叩く(30秒)
③ 両手をヘソの前まで下げて数cm離し、両手に意識を集中する

すると、両手や指先が、熱いお風呂に入った時に感じるようなジンジンとした感覚に包まれます。あまり難しいことは考えずに、この感覚が「気感」なんだと脳にインプットし、じっくりと味わいます。( Don’t think, feel. )

④ 蒸気機関車の主連棒のように両腕を交互にゆっくりと動かす

すると、両手が磁石の斥力のようにお互いに反発し合う感覚が出てきます。その状態で両手の間隔を少しずつ離し、この感覚が途切れないように繰り返し練功します。ある院生に教えていただいた③の状態から片方の手で反対の手掌に向かって指差し円を描くと、手掌にもその感覚が伝わるという意識のトレーニング方法も面白いので、是非試してみてください。

内部感覚について、私自身の勝手な解釈では体のセンサーの感度を最大限に高めて非常に繊細な感覚になると色々なことを感じやすくなる、またそのために如何に力まずにできるのかがポイントになると考えています。まだ、この感覚がハッキリとわからない方はまずはあまり力まずに①から④を繰り返し、この不思議な感覚を堪能してみてください。

合気練功 アウトプットについて

合気練功をスタートして約8カ月がたった。今では「院生」という肩書もいただけて、練功を楽しめるようになった(まだまだマヨエルコヒツジですが。)。ここに至る練功は約半年間、毎日、気匠庵を訪れて松原塾長から集中的にご指導いただいたことが大きいと思う。しかし、理解を深めるに大きな効果があったのはオンライン講座の動画編集とこのブログの存在であろう。

合気の原理1~5は武術的な技のように取られやすいが、今の私の解釈は感覚の感じ方であると思っている。感覚モノは「習うより、慣れよ」の部分があるので、あまり色々と考えていると結局何かが抜けてしまって「ちょっと違う…」となってしまう。考える事と感じる事は別物であるのだが、考えた結果感じられなかったら、「う~む、できない…」となりかねない。先日の練功塾でも塾長から「今この場で理屈を考えるより感覚的にできるようになった方が早い」との発言もあった。

ヒトによっては理屈で腑に落とさないと体現しにくい方もいる。また、ある程度の感覚が身についてくるとそれぞれのバランスが気になってくる。そのときに感覚を理屈で理解しておく必要が(少なくとも私には)あった。以前にも書いたことがあるが、繋がるための要素は複数あり、何かが希薄になるとつながりが不十分になることが多い。そんな時、私は頭の中で「感覚の指さし確認」を行った。予め自分の感覚を整理整頓して理解しておいたので、自分の陥っている状況を客観的に感じる事ができたのだと思う。
塾長のようにフロンティアで開拓(開発?)していく場面には、理屈より感覚が重要かもしれない。感覚のトレースができるセンシブルな方は体現可能であろう。しかし、教える、伝える、習うという文化の共有を図るときは言語化が必要になる。

練功塾の塾生さん(研究生さん)に、毎週、松原塾長の気匠庵に出向き個人レッスンで練功を積まれている方がいらっしゃる。2人おみえになるのだが、この度ご自身の練功を深めるため、このブログでのアウトプットを試みられることになった。当面、隔週で月2回は塾生さんのアウトプットにさせていただく予定。
私と、2人の塾生さんのそれぞれ異なる感覚とステージの言語化となるので、多様性が拡大する。共通項を探っていただくと納得していただける部分が増えるかもしれない。多様なニーズにマッチするものと楽しみにしている。

合気練功 足裏感覚のダイバーシティについて

多様性(ダイバーシティ)という言葉をよく耳にするようになった。「いろいろな考え、価値観を認めましょう」的な意味で世の中では使われているようだが、私にとっては高校の授業で扱う「生物の多様性と共通性」という単元が一番に頭脳に浮かぶ。

合気の原理「足裏感覚」は加えた圧で相手の全身性の反応を引き出す事である。相手が全身で反応したか、どのあたりで重心を支えているのかを感じる感覚についても、この原理の概念に含めている。
基本4系を例に私の圧の加え方を振り返りたいと思う。
練功で最初に突き当たるのが相手への圧の加え方である。相手の腕を押す時に力が大きすぎると反応するのは相手の腕である。腕に力が入っているということは抜くとこもできるわけで、抜かれることで繋がりが切れてしまう事もある。
また大きな力は相手に受容されてその力の方向に変化が可能で、結局こちらが押せなくなってしまう。柔らかい武道をされている方はこの反応が見事だと思う。東京の集中講座に参加された柔道をされているというフランスの方は大きな体格に似つかわしくなく、力の方向に変化して動いていくことが上手かった。女性を相手にするときも同様で、男性の力は最初から受け止めない(奥さんは受け止める気すらない。ある意味、仏の柔道家以上の反応!)。
従って、入力する力は弱い方が良いわけである。弱く加圧されると意識に上らない姿勢保持の反応で足まで繋がる事ができる。(ここから圧を高めて推進力を…となるのだが、今回はパス。)

難しいなと感じたのは自分が説明をする立場で、弱く侵入して支えさせたなとこちらが感じても、相手がその状況を感じられていないため理解してもらえない時である。想定して少し大きめの圧でつながろうとすると上記の反応で繋がれなくなる。まあ、自分の経験不足が原因なのだが、何を目的にするかだと思う。塾長からは足裏感覚を得るための練習と割り切って、「相手に「倒れないように頑張ってください」という声掛けが一番である」とアドバイスをもらった。足裏まで到達する感覚を得てから薄い圧で加圧する練功に進んだ方が遠回りにならないと思う。

足裏まで影響が及んだときに直ぐに姿勢保持の反応がコツンとくる方と、力を抜いているわけだはないのだけれどズブズブと後ろへ吸収されていく方とある。これはどこで支えるのかという多様性だけであるが、前足底で踏ん張るヒト、踵辺りで支えるヒト、その中間のヒトの3パターンがあるように思う。
特に踵辺りで支えるヒトは圧を加えていっても足の裏を前足底から踵までズーっと重心が移動していくので圧を加えている方にとってはズブズブと吸収されていく感じになるのである。じつは私が踵のパターンである。繋がりにくい、かけにくいとよく言われたものである。(私見であるが空手などの打撃系をされている方に多いような気がします。)
また最初から踵でつながっていて、足へ来てからコツンの変化がない方もおられた。変化がないので繋がったかどうかを気付けない場合がある。
ゆっくりとした柔らかい練習で足裏感覚を得ようとするから前足底から踵へ移動という変化があり得るわけだが、瞬間的な場合はおそらくアキレス腱の反射によって前足底でつながる事になると思われる。

さてWikipediaでは、 多様性(たようせい)とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。 性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる とある。二足歩行を行っている以上、誰しも倒れないための反射を持っており、それを想定して圧を加えて、カツンとくるところが必ずあるというのが共通性であろう。

追い呟:酔拳や地趙拳はそれを捨て去るためにあのような拳形なのか?