心地よく「あがって」 その2

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気が付けば今回で50本目。これまでのお付き合いありがとうございました。

合気練功塾の基本1系(合気上げ)は腕を動かせないように相手が押さえ込んできたものを、押さえ込みと別の角度で刺激を与えて、意図しない姿勢保持をせざる得ない状況をつくり、相手自身が作りだした力によって体幹部が上がっていくもの…と解釈している。押さえ込んでいたはずなのに、自分のバランスを取らざる得ない状況に追い込まれているため、押さえ込むという力は無力化されている。

しかし、そのような状況を作り出すにはそれなりの条件が必要である。肩関節がきちんと体幹部と繋がっている必要があるし、お尻が上がるにはそれなりの運動エネルギーが必要である。そんな全身が動いてしまうような条件をつくるために合気の原理はあると思う。私が思う合気の原理のポイントは「案配の良さ」である。腕や手首などの接触点から操作するのであるが、足まで配慮して繋がる感覚。基本1系の上げであれば踵が浮く方向の(推進力)調整など。相手の内部を伺い知るような感覚であろうか(これは診察に近いかも)。

いくらカラダが繋げられても力ずくで相手を上げようとするとこれは重たい。無理矢理こじ開けようとしているようなものであるから相手も不快であろう。何かの操作がきていることが分かるためそれに抗う操作も可能であろう。そんな圧の大きな操作では、身体を重たく使うことができる方はドンと塊のままお尻が上がらない(肩の関節の力を抜かれる事は今までも失敗としてあった。繋がった感覚があるのに重たいまま上げられなかったのは別の課題を突きつけられた感じであった)。

合気上げでカラダが上がる時の相手のカラダの状況(内部感覚)はどのようなものだろうか。つまずいて「オッと!」と手をついたときの体の反応と同様のものが内包されている状況が近いのだろうか。または静かに座って何かに手をついてヨッコイショと腰を上げるカラダのはたらきの方が近いかもしれない。
押さるための体勢が別の方向で姿勢保持を担うようになった相手の変化をキャッチできるセンサーも重要である。この辺は繊細な感覚で相手を観ようとすれば磨かれてくる。濃い味の食事を節制し、舌を鍛えて繊細な味覚の違いを受容できるようになるのと同じ鍛錬と考えたらよい。その気になれば湿度だって感じてしまうのが人間の感覚である。最初は判らなくても意識しているうちに判るようになってくるものだというのは、これまでの練功で理解済み。眉唾ではなく明らかにある世界なのだ。

やはり、「あがれ!」ではなく「あがってもいいよ~」程度の操作が程良いと思われる。塾長からは「『上がらなくても良いや』くらいの気持ちで!」とよく言われるのだが、『合気上げだもん。上げられなきゃダメだダメだダメだ…』と感じていた。最近、少し気持ちが変わった。上がるためのおぜん立てができていれば、我慢を解き放つのみ。解放感のある心地よい上がり。どこかの住宅メーカーの宣伝のようだが、握られている腕のところにどうぞお上がり(お入り)ください…か。
「合気は愛気」という記述もどこかで見た記憶がある。格闘技で痛い経験をしてきた身からは全く逆方向。

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