神谷の呟き

合気練功 アウトプットについて

合気練功をスタートして約8カ月がたった。今では「院生」という肩書もいただけて、練功を楽しめるようになった(まだまだマヨエルコヒツジですが。)。ここに至る練功は約半年間、毎日、気匠庵を訪れて松原塾長から集中的にご指導いただいたことが大きいと思う。しかし、理解を深めるに大きな効果があったのはオンライン講座の動画編集とこのブログの存在であろう。

合気の原理1~5は武術的な技のように取られやすいが、今の私の解釈は感覚の感じ方であると思っている。感覚モノは「習うより、慣れよ」の部分があるので、あまり色々と考えていると結局何かが抜けてしまって「ちょっと違う…」となってしまう。考える事と感じる事は別物であるのだが、考えた結果感じられなかったら、「う~む、できない…」となりかねない。先日の練功塾でも塾長から「今この場で理屈を考えるより感覚的にできるようになった方が早い」との発言もあった。

ヒトによっては理屈で腑に落とさないと体現しにくい方もいる。また、ある程度の感覚が身についてくるとそれぞれのバランスが気になってくる。そのときに感覚を理屈で理解しておく必要が(少なくとも私には)あった。以前にも書いたことがあるが、繋がるための要素は複数あり、何かが希薄になるとつながりが不十分になることが多い。そんな時、私は頭の中で「感覚の指さし確認」を行った。予め自分の感覚を整理整頓して理解しておいたので、自分の陥っている状況を客観的に感じる事ができたのだと思う。
塾長のようにフロンティアで開拓(開発?)していく場面には、理屈より感覚が重要かもしれない。感覚のトレースができるセンシブルな方は体現可能であろう。しかし、教える、伝える、習うという文化の共有を図るときは言語化が必要になる。

練功塾の塾生さん(研究生さん)に、毎週、松原塾長の気匠庵に出向き個人レッスンで練功を積まれている方がいらっしゃる。2人おみえになるのだが、この度ご自身の練功を深めるため、このブログでのアウトプットを試みられることになった。当面、隔週で月2回は塾生さんのアウトプットにさせていただく予定。
私と、2人の塾生さんのそれぞれ異なる感覚とステージの言語化となるので、多様性が拡大する。共通項を探っていただくと納得していただける部分が増えるかもしれない。多様なニーズにマッチするものと楽しみにしている。

合気練功 足裏感覚のダイバーシティについて

多様性(ダイバーシティ)という言葉をよく耳にするようになった。「いろいろな考え、価値観を認めましょう」的な意味で世の中では使われているようだが、私にとっては高校の授業で扱う「生物の多様性と共通性」という単元が一番に頭脳に浮かぶ。

合気の原理「足裏感覚」は加えた圧で相手の全身性の反応を引き出す事である。相手が全身で反応したか、どのあたりで重心を支えているのかを感じる感覚についても、この原理の概念に含めている。
基本4系を例に私の圧の加え方を振り返りたいと思う。
練功で最初に突き当たるのが相手への圧の加え方である。相手の腕を押す時に力が大きすぎると反応するのは相手の腕である。腕に力が入っているということは抜くとこもできるわけで、抜かれることで繋がりが切れてしまう事もある。
また大きな力は相手に受容されてその力の方向に変化が可能で、結局こちらが押せなくなってしまう。柔らかい武道をされている方はこの反応が見事だと思う。東京の集中講座に参加された柔道をされているというフランスの方は大きな体格に似つかわしくなく、力の方向に変化して動いていくことが上手かった。女性を相手にするときも同様で、男性の力は最初から受け止めない(奥さんは受け止める気すらない。ある意味、仏の柔道家以上の反応!)。
従って、入力する力は弱い方が良いわけである。弱く加圧されると意識に上らない姿勢保持の反応で足まで繋がる事ができる。(ここから圧を高めて推進力を…となるのだが、今回はパス。)

難しいなと感じたのは自分が説明をする立場で、弱く侵入して支えさせたなとこちらが感じても、相手がその状況を感じられていないため理解してもらえない時である。想定して少し大きめの圧でつながろうとすると上記の反応で繋がれなくなる。まあ、自分の経験不足が原因なのだが、何を目的にするかだと思う。塾長からは足裏感覚を得るための練習と割り切って、「相手に「倒れないように頑張ってください」という声掛けが一番である」とアドバイスをもらった。足裏まで到達する感覚を得てから薄い圧で加圧する練功に進んだ方が遠回りにならないと思う。

足裏まで影響が及んだときに直ぐに姿勢保持の反応がコツンとくる方と、力を抜いているわけだはないのだけれどズブズブと後ろへ吸収されていく方とある。これはどこで支えるのかという多様性だけであるが、前足底で踏ん張るヒト、踵辺りで支えるヒト、その中間のヒトの3パターンがあるように思う。
特に踵辺りで支えるヒトは圧を加えていっても足の裏を前足底から踵までズーっと重心が移動していくので圧を加えている方にとってはズブズブと吸収されていく感じになるのである。じつは私が踵のパターンである。繋がりにくい、かけにくいとよく言われたものである。(私見であるが空手などの打撃系をされている方に多いような気がします。)
また最初から踵でつながっていて、足へ来てからコツンの変化がない方もおられた。変化がないので繋がったかどうかを気付けない場合がある。
ゆっくりとした柔らかい練習で足裏感覚を得ようとするから前足底から踵へ移動という変化があり得るわけだが、瞬間的な場合はおそらくアキレス腱の反射によって前足底でつながる事になると思われる。

さてWikipediaでは、 多様性(たようせい)とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。 性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる とある。二足歩行を行っている以上、誰しも倒れないための反射を持っており、それを想定して圧を加えて、カツンとくるところが必ずあるというのが共通性であろう。

追い呟:酔拳や地趙拳はそれを捨て去るためにあのような拳形なのか?

合気練功 基本2系のゆるみについて

基本2系(下への変化)では、相手に掴まれた手首の皮膚を使って、相手の重心に影響する程度の圧を加える。自分が不安定になり相手に支えさせる関係ができたとき繋がったといってよい。重心の均衡点を少し自分の方に引きながら、「下」と「引き」の2つのベクトルを使って膝が曲がりやすい方向へ合力をつくると相手はしゃがむ… というのが今までの理想的な基本2系の変化である。

最近の練功塾ではこの2系の形が変わってきている。基本1系の応用編のように人差し指を握らせた状態から、引くことで相手の重心に影響して繋がりを作る。この時に少しだけ上方向に圧かかけて肩関節が動かないように(肩を固める筋がはたらくように)することがコツであろうか。この後、内部感覚で背骨に「張」を持たせるように圧を高めて相手の重心を引き出すと基本1系(上への変化)になってしまうが、張った感覚をゴムが弛むかのように撓ませると相手の内部感覚も緩んでいく。塾長にかけられるとあたかも腰が抜けたかのように腰に力が入らず「へにゃへな~」と膝が曲がっていってしまう。これが最近の基本2系である。

以前の稿にも書いたことがあるが、2系の変化は膝や腰に負担がかかるため、カラダを鍛えている方や関節に故障がある方、反応が良い方には変化の初動で容易にぶつかってしまう。塾長は最近の集中講座や個人レッスンでこのタイプの方々の相手を散々して、今までの基本2系を見直したそうだ。やられてみた感じ、力が抜けるし、何が行われたのか気づくことも難しいため、ぶつかり様がない(ぶつけようがない)。
塾長曰く、「脳をハッキングする」だそうだ。
相手が「変化しないぞ!」と自分の体に指令を出していても、それをいったん切ってしまうように「ゆるみ」を使うである。そのためにまずはきちんと支えさせる繋がりを作り上げて、相手の内部感覚を変化させてから、再度、内部感覚を変化させて脳の指令を切っていくのだ。術者としては相手のカラダの変化を受容できるセンサーを持ち合わせていなければならず、かなりの繊細さが要求されるようだ。

よくよく説明を聞き、内部感覚を持ち合わせている院生さんを相手に、コヒツジ会で挑戦してみる。内部感覚の変化をいちいち問い合わせ、確認しながら試みるも接触の圧を変えずに内部感覚のみ弛ませることが高難度。姿勢変化が生じても相手との接触点の圧が変わらないように相手の動きに追従することも必要。それができないとつながりが切れてしまう。

「合気のカラダ4元のように空気の抵抗を感じる程度に相手との圧を感じて同調し…」
「相手の内部感覚の変化は5元の感覚でとらえて…」

………、果てしない道のりを感じます。

合気練功 2元のカラダについて

昨今、塾長も院生方も2元のカラダの重要性を口々に発する。2元のカラダが全ての合気練功の胆(きも)といって差し支えないようだ。

2元のカラダの練功は、ゴム感覚を認識するヘアゴムを引く練功の次の段階である。自分のカラダの中にゴムを引くような弾力感が作り出せると解ったら、その感覚を拡張していき体幹部分にゴムで引かれるような、または水圧を受けているような感覚を得ていく。全身の姿勢保持のはたらきを自覚して使えるようにするのが練功の目的だと思う。いきなり鈍感な体幹部に持っていくことがこの練功のハードルの高さだと思う。
背骨揺らしで体幹部の意識を高めて、相手の腕を使って、はたまた壁や机を使って自分がバランスを取る動きを仔細に感じていくと自分のカラダの状況がだんだんと解るようになってきた(相手を使うといろいろと状況変化が生じるので、壁や手すりなどを使って自分の中の要素だけにした方が解りやすいかもしれない)。

回想してみると、最初はつま先だけで踏ん張って、次に脹脛で頑張って、もたれ掛かっている時は肩や腕だけが頑張って、どれも全身で作り出したものではないので合気のカラダとは言えないと思う。1系で相手に上げられているつもりで、または4系で押し込まれているつもりで、自分の重心を動かしていってコケないように頑張る。頑張っても局部的な力みがないカラダ(意識)を作るのだろう。

次に相手と接触したときであるが、相手から反発力を単独練功時に感じた体幹部のゴムの代わりにして、押しているのだけれども押し返されつつ、引っ張っているのだけれども引っ張られていると、感覚を持っていけばいいのだと思っている。
塾長は示演のために「お~っ」と言って大きく伸び上がっているのだと想像するが、単独練功で2元の内部感覚がイメージできているから、接触前から自分を引っ張っておいて接触時にあまり時間をかけずにつながってしまえるのだと思う。極めつけは、塾長はカーテンを相手にしても自分に合気をかけることができるのである(集中講座に参加された方はご覧になったと思う)。カーテンレールの金具のところからの反発を受容して自分をつなげて重心が移動するのだが、これも内部感覚の操作と考える。

気を付けるべきは「相手(カーテン)に上げられている状況」を作ることで、自分だけで動かないようにすることである。私がやると極めて怪しい。カーテンの反発力とは関係ない背伸びとなるのが関の山だ。

 

合気の感覚 「糸巻のごとく引くべし」

「合気上げにかかった時の感覚は?」
と問われて私は3つの回答を思いついた。
本当にガッチリ掴んだ時は本当にかけられたときで、掴むことに意識がいっているため、内部感覚はとても分析する余裕がなく、感覚としては「わからない」である。
少し分析するつもりで掴んでいる時は、前足底と掴んでいる腕の接触圧が同じぐらいになって大きなバランスボールに乗せられていくがごとく自分が球体になった弾力感を受ける。
もう一つは1系と2系は表裏であるので2系をかける要点が整えば1系にかけられたときの感覚のはず。接触点でやや皮膚を取り相手の足裏からゴムの張力感で引き寄せるが、自分の内部感覚としては、肩関節で切れてしまわないように鎖骨から溝胸にすぼめる意識。巧く一体感が生じたときは四肢が背骨で線状に繋がった細竹のような撓りの感覚がある。

さて答え合わせは、ウインチでキュウーッと巻き取るがごとく引っ張っている感覚が正解だそうだ。つまりは2元の感覚である。接触点を使ってキューッと自分が引かれる感じで行くと相手も同調して引く動きが生じる。
ただしその感覚には複合的な要素の結果であるので、正しく捉え再現するためには原理の理解があった方が的確と思われる。関節の遊びや抜けがないかの「裏の力」、全身性の反応になっているかを感じる「足裏感覚」、引いているのだけれども引かれている力を感じる「推進力」。相手の重心が動く状態にまで来ているか、そして相手の各部に変化を許してしまうような力の偏りがないかの「同調」である。

合気練功にはいくつかのコペルニクス的転換ともいえる発想の逆転がいくつかある。その一つに合気をかけるためには自分が先に合気にかかってしまう事がある。かけられた感覚を寄る辺に操法を会得する道とするものだが、やはり面受面受でないと困難と思われる。
そうかといって、いきなり合気をかけられても受容するための基礎知識や感覚を持ち合わせていなければ何もわからないと思う。
宣伝のようで恐縮であるが、その点オンライン講座では背骨揺らしによる「感覚の鍛錬」、現象理解のための「原理の説明」と、ほとんどをオープニングコンテンツとして網羅している。合気練功プロジェクトはエライものを用意したものだと今更のように思う。