神谷の呟き

感覚のこと その2

前回、手のひらや指先の感覚について触れた。両の指と指の間に何かしらゴムのような弾力性を感じながら引いたり近づけたりする。あるいは両の手のひら間に磁石の反発のような抵抗を感じたりする。その感覚を頼りに腕や胸・背中にも同様な粘りや抵抗感や空気のまとわりつく感じを楽しむ。こんなスタートで合気の身体をつくり、自分の感覚を磨いていく。私の場合、最初はスッカスカで、狐に摘まれた感で、感じもしていないのに、「なんだか有るような…。」なんて答えていた。回を重ねてあるときはっきりと手のひらの間に磁石の反発を感じられるようになった。

戯れにチョイと高校生にやらせてみたことがある。大半は私と同様で気を遣って何か感じたような返答をするが、いきなり磁石の反発を感じてしまって気味悪がる者もいた。体験に来られた方でも初回で感じとられる方とそうでない方がいらっしゃる。

思うに「合気」でなくとも、今までの経験で微妙な加減を感じてこられた方はその神経が感覚を感じさせるのかもしれない。私のように力任せできた者はまず神経作りからなのだろう。ピアノの鍵盤を弾くとき、物理的に押せば音は出るがその力の加え方で音色が変化する。その微細な力の加え方と同じとたとえることができようか。職人技の習得に近い取り組みである。

合気練功 感覚のこと

スタートとして手のひらや指の感覚を意識することから練習を始める。最初はその感覚が本当に(体の外に何かしらが)生じているのか、その感覚を自分で作り出しているだけなのか不安であった。一般的にありもしないことが見えたり感じたりすることを、気の迷い・錯覚・幻覚・オカルトとか、マイナス的にとらえるのが科学的である。果たしてこれは良いのか?

感覚とはすべて人体の内面の問題であり、脳が作り出すものである。そこに何かが「有る」or 「無い」ではなく、自分の感覚を研ぎ澄ます練習・訓練だと気がついた。神経の樹状突起が多くの受容体につながっていること、アウトプットは多くの神経単位がそれぞれの筋につながることで繊細な動きが可能になる。微妙な操作で可能となる「合気の現象」のためのカラダ作りである。

合気の伝達のこと

皆様、こんにちは。神谷といいます。合気練功塾でいろいろな可能性を追求している者でございます。このたび徒然に記述を試みることにしました。

さて、現象を言語化するときなかなかうまく表現できず、そして意図が伝わらず難渋することがある。そこまで日本語に自信があるわけではないが、抽象的な表現をたくさん有する日本語を使っても「でも違うな~」と思う。受取手の表情を見て自分が思ったように伝わってないなと感じることもしばしば。伝達は発信側と受信側の両方の要素が確実に存在する。

合気の感覚を探求するとき、松原塾長から受けた技を再現できるように脳をフル活用するわけだが、私の身体でさえ皮膚や筋の感度と感覚を構成する脳の「受容」の要素と、動きを作り出す脳と微細・繊細な動きを再現する筋肉の「効果器」の要素が存在するわけである。さらに縁あって練功塾で2人練習する際も、お互いに伝わる共通項の幅(気の合うところ)を、オノマトペも駆使して探っていくのだと思う。うまく伝わった時、それこそ合気の技である。

感覚の話なので感じ方もさまざまである。合気練功塾で行われている取り組みを、いろいろな表現を駆使して記述して、確実にある合気の世界を伝達していければと思う。