神谷の呟き

深層筋(インナーマッスル)のこと

深層筋(インナーマッスル)のこと

松原先生との個人レッスンの時に抗重力筋の話が出た。ヒトは姿勢保持のため無意識にインナーマッスルをはじめとする多くの筋を動かす。無意識であるため使い方に左右差が出てバランスを崩したり、もしくは大腰筋のように全く使えていなかったりする。

ヒトは大きな力を受けるとアウターの大きな筋肉が動いてその力に抗おうとする。そのような動きが脳に学習されてきているので無意識でも動く。力に対して力で返すのは力がぶつかっている状態で双方とも自覚できる。これが普段の動き。大脳が介在する随意運動は反応するまでに0.1秒はかかると言われる。それに対して反射は一番早いアキレス腱で0.03秒ほどという。インナーマッスルを起動させるゴムを引く程度の入力は大脳で反応するより早く反射反応が生じて、後追いで自覚できる大きな筋肉が反応する。「何だか解らないけど身体が動かされてしまう」「手を離せばいいのに離せない」なんて現象は大脳とその他の中枢神経の反応速度に理由がありそうだ。

練功塾の身体メソッドはいろいろな修練目的があるが、私の現時点での目標は相手に気取られない持続的な弱い入力を自分がどれだけ維持できるかである。それが動きの中で上下、前後でも途切れないように意識する。相手に強く握られてもアウターの筋肉を動かさず、無意識に深層筋を意識する。脳髄の使い方の幅が広がって物事の受け取り方も変化すると思う。インナーマッスルは皮膚表面から深いところにあるから深層筋と呼ぶのだろうが、私としては落ち着いた深い脳波で動かす筋肉という意味も込めたい。

10282017

ゴムの感覚のこと

ゴムの感覚のこと

合気のカラダづくりではゴムの感覚を重視する。「ゴムの感覚」とは何じゃいな?と正直思ったことがある。以前は手のひらの感覚は磁石の力でイメージしていたし、合気のカラダ・2元では前後のゴムよりも面で受ける水の抵抗感の方がイメージしやすかった。でも合気の原理を練習するに当たり、そのイメージでは上手くいかないことを何回も経験した。

最近の練功塾では実際にゴムを引っ張ってインナーマッスルの働き引き出す練習をする。ヒトは持続的な弱い力を受け続けると反射的にインナーマッスルが働き始めるようだ。筋であるから繊維状に引っ張る存在が近似なのでちょうどよい。やはり2元の時は自分のインナーマッスルをイメージしたゴムの方が良さそうだ。松原先生の説明はきちんと裏付けがあることに、自分が気づいてから感心する。(「だから前からそう言ってるじゃん!」と聞こえてきそうだ。)

そうそう、松原先生は数年前はゴムではなく「お餅を引っ張るように」と表現されていた頃があった。先生もあの頃より感覚が鋭くなり筋の一本一本を自覚、かつ深層筋が強靱になってきたと言うことだろうか。

10232017

背骨ゆらしのこと

合気の身体作りは背骨の柔軟性を高める背骨ゆらしからスタートする。練功塾でも研究会(少々端折るが)でも練習のはじめに必ず行う。もともとは気功の鍛錬法で、蛹、擺、捻、蠕などの難しい漢字で動きが示される。ただの準備運動程度に認識すればイージーな運動であるが、どの動きもそれぞれに細かい留意点があり学び始めの方はその要求をなかなか満たせない。合気の技は自分の身体をつなげて相手の重心を感じる訳だが、自分の身体がきちんとつながっているかを自覚できないと技が安定して成立しない。背骨ゆらしには自分の身体のコントロールと繊細な感覚を感じられる感性を磨く意味があり、背骨の一つ一つを動かす意識をずっと維持できれば合気の身体作りの成立にも近づくと思われる。

ヒトは24個の椎体を持っているが直立して前足が自由に使える分、体幹の動きは巧みでない。背骨は腸腰筋の起始部であり、いくつかの大きな筋が覆っているので本来は強力である。中国拳法の抖勁や靠勁は背骨の操作が含まれているものであろう。ヒトと同じサイズのワニやニシキヘビを思い出すととても押さえ込めたものではない。体幹部分がポテンシャルを秘めた部分であることは間違いないので、野生動物のように動ける背骨を磨いていこうと思う。

最近、背骨ゆらしで内部感覚へ意識を持っていくことが合気の原理につながることがジワッと解ってきた(これについてはもう少し纏まったら…)。また、背骨をよく動かして、身体が緩んでいるときの方が身体の感度は明らかに良く、ボゥ~とした気の感覚(振動?血流?インナーマッスルのつながり?熱感?なんと表現します?)も良好である。椎体の間を広げることで神経の通りが良くなるのかもしれない。これは健康増進。良いこと尽くめである。

10172017

推進力のこと

合気の原理Ⅱに「推進力」がある。私は相手からもらって支えていただいている力と思っている。外から見える現象を追っかけたときには必ず「推進力」が必要となる。武的な場面では、ほとんどは相手が力を使って攻撃してくるのでそれをいただければ自ずと推進力は生み出される。例えば、相手に腕を捕まれた状態から自分が上に上がっていく力を感じていれば相手は下に崩れ、合気上げのときは押さえ込まれる力をもらって自分は相手の足の間に沈み潜りこんでいく力を感じて「推進力」と思えばよいのだろう。難しいのは合気上げをしようと思えば普通は持ち上げる力が入ること、合気下げでは下に押さえてやろうとする力が入ることである。合気の原理ではむしろ逆で、相手に上がって欲しければ自分が沈む力を感じ続けられれば技となる。ここに脳みその使い方の転換点があると思う。

推進力を感じていても自分の身体がきちんと繋がっていないと外から見える現象として技にならない。つまり自分のからだがきちんとつながっている方の技がかかるので、きちんと自分の「足裏」を感じ、ゴムの感覚で身体をつなげて、相手の「足裏」を感じて重心をちょっと引き出してやると推進力は効果を発揮する。推進力は解るととても面白いモノで、オンライン講座で示している動画のように、指一本でも相手を動かせたりする。通常ではあり得ないと思われるが、要はご自身の力で動いていただいているだけである。

最近、合気上げを2人で練習をしているときに受けの立場で、あえて上がっていく推進力を自分で受けるようにポジションをつくることがある。穏やかな練習をするとき人の腕の掴み方はさまざまで、カツンと繋がるところまでのあそびが大きいと現象を起こすための条件が解らなくなる(私は毎度迷宮入りで苦労しました)。ともに楽しく上達するために、まずは階段を明確にしてちょうど良い条件をまでを受けでつくり、必要条件を体感してもらう。その後、条件を取りが整えられる練習をすれば上達が早いように思うのだ。さらに、こちらが技にかかる条件を整えるということは、相手の入力を感じられる感性を磨くことになる。繋がりをつくるということは重心の移動によってはこちらが「取り」になれるということである。負けて勝つ脳みその転換点である。その先の受けも取りもないつり合った状態が心地よい合気なのだと思う。

足裏感覚のこと

合気の原理Ⅰに「足裏感覚」かある。自分の足裏と相手の足裏をつなげるということだが、これが基本。一人でなら自分の足の裏のどこに体重が乗っているかは、前足底、踵、足刀部ぐらいは感じられると思う。これを2人練習するときも感じながら練習する。相手と掌を重ねたり、手首を握られたりしても足の裏を感じていなくてはならない。触れられている腕に意識が行くので足のことなど忘れてしまいがちだがそれでは合気の技はかからない。

「合気のカラダ」のゴムの感覚づくりに慣れてくると、自分の前足底はいつもつなげられるようになる。自分の持っているセンサーの8割方を相手の足の重心を感じることに使えるようになる。相手の重心を、安定を欠くちょっと手前に追い込むのだが、追い込みすぎると一歩次がれて安定されてしまう。傘を手の平の上で立たせて倒さない大道芸のように ちょい手前に行くようにセンサーを駆使するのだ。相手の足の裏を動かせたらまずは一緒に歩く・一緒に座ることを練習する。そして相手のみ動いてもらえるようにしていく。手首を握られた状態から相手をつま先立たせたら「合気上げ」と言うのだろう。

…でも、相手を上げよう。相手を動かそうと思った瞬間に足の裏の意識は希薄になる。そこが難しい。また、相手に力で押されたりすると思わず力で反応してしまう。私の場合、屈筋が働きやすい方向からの入力に対しては、ほぼ無意識で腕力が入ってしまう。逆だ。無意識にただ足をつなげていていれば良いのだが…。身体が悪いのではない、脳の使い方が悪いのだろう。

 

追記 最近、歩くこと(運歩)を意識し始めた。一つは医者から言われて高血圧対策。もう一つは、居着かないように重心を意識して、足裏感覚を消さないように歩く練習。スタスタ歩いてはできないので、たぶん高血圧対策にはなっていない。