裏の力

神谷の呟き 覗き見になってません

「知りたい・解りたい」という好奇心の気持ちは大切である。不可視なものを見ることができるようにする技術は賞賛したい。
覗き見と表現すると、勝手に見られる事になるので嫌な気持ちになるものである。
どこに視点を置くかで感じ方が変わってしまうのが言葉である。

合気の繋がりでは「接触点を通じて肩に上の圧をかけて重心を引き出す事で関節と体幹が繋がり…」と肩関節を処理する。最近ちょっと楽しいのが、接触点を通じてどこまで繋がったか感じること。相手が力を出している場所が何となく解るのである。上腕であったり、肩甲骨で当たりであったり。関節を繋ぐ筋に可動(・・)な(・)状態(・・)で(・)筋力を出させるとゴムに似た弾力感で戻される感じになる。繋がったなと思う。(その上のレベルが必要であることはオンライン動画でご紹介済み)

そのような楽しみ方も合気練功かな。

合気の原理Ⅰは相手の重心の位置を察知する。相手が気付かなければ崩すこともできるだろう。気付かれれば用心されるので上手くいかない事もある。訓練されてきた方は当然のように無意識の回避行動をとる。
何が来るか解っている必殺技を喰らうのはなかなかに勇気がいる。
技にするには「バレない」ということも必要。

最高の泥棒は侵入した痕跡を残さないのだと思う。
最近、PC上に「このアカウントはハッキングされています」とか「個人情報がトレースされています」とか、よくみるようになった。表現的には私以外に最低2人いるのかな?程度の受け取りである。毎度対応していては作業が遅くなってかなわない。私はネットのいろいろに疎いのでこれらのメッセージが何の危険性を示しているのか解っていない。

とある塾生の雑記 その8 裏の力で関節に圧をかける

とある塾生の雑記その8 裏の力で関節に圧をかける

女性や子供は関節が柔らかく筋肉量も少ないので、雑に扱うとうまく体を繋げることができず、合気をかけられないことがあります。
大抵はこちらの力が強すぎることに原因があるのですが、このような時に裏の力を使って繊細に相手の関節に圧をかけていくと、腕と体幹を一つの塊にすることができ合気がかかります。今回は、娘二人を練習相手に悪戦苦闘した圧のかけ方についてお伝えします。

現在、合気練功塾では基本1系を以下の4つに分解して練功を行なっています。
① 足裏を感じるまで、肩関節に対し上方向へ軽く圧をかける
② お互いに引っ張り合う「ここ」のポイントを作る
③ 遠心性の収縮を使いながら腕・肩・体幹を伸ばし、足裏をさらに強く感じる
④ 斜め懸垂の要領で、相手の重心を数ミリ移動させる

まず、圧のかけ方には「陽圧」と「陰圧」の2種類があります。①の場合は相手と接触した時に、下肢と体幹で姿勢を正すようにして肩関節に対し「陽圧」をかけます。この時、肩関節にかかる圧の力は自分の足裏を感じることができるだけの最小限にとどめます。
②は両足の指でしっかりと大地を掴みながら臍下丹田を斜め上に傾ける要領で腸腰筋を収縮させて、お互いに引っ張り合う関係を作ることで肩関節に対して「陰圧」をかけます。裏引っ張られた肩関節は組織(靭帯)の復元力により自ら肩関節への圧が高まり腕と体幹が繋がります。

最初の頃は、自分の形を作るだけで精一杯であったため圧が強すぎてしまい合気がかからず力技になっていました。「相手の力以上の力はいらない。」「皮一枚とる圧だけでそれ以上かけちゃ駄目。」色々とアドバイスをいただいたものの、なかなか娘を攻略することができずにいたのですが、ある時、赤ちゃんに触れるくらいの優しい力で繊細に行うと次女に合気をかけることができました。改めて力ではないんだなと実感した次第です。さあ、残るラスボスは長女です。まだまだ修行の日々は続きます。

合気練功 効果があったら意念です?

「それとって」我家で私がチョイチョイ言われる言葉である。「それって何だ?」
「ンッ!→」目線の先にはテレビのリモコン‥。情けなくも主語すら発するのが億劫らしい。しかも明らかに距離があなたの方が近いではないか!?…。
練功塾の皆様にはご理解いただけると思うのだが、私が幼少の頃はテレビにはリモコンという物はなかった。リモコンが登場してわざわざテレビ様の所まで出向くと言う煩わしさから解放されたことは革命的だったと思う。「余計な行動や動作を省くこと=便利=科学技術の発達」という図式が一般にスタートしたのだと思う。この流れはアイマーの定向進化説よろしくエスカレートしているように思えてならない。

話は変わる。
私も合気練功に興味を持つ皆様と同じように、いろいろな武術・武道に関する書物を読み漁った口である。その中の言葉で中国武術の「大展から緊奏に至る」や、ある剣術の「最大最小理論」に、もしかしたら関連するかもしれないニュアンスが塾長のレッスンに登場したので報告する。

合気練功の繋がりで相手のカラダがカツンと成ったところで、さらにゴム感覚で引いていくのだが、そのときのゴム感覚は合気のカラダ作りでいう四元・五元である。塾長曰く、とにかく全身で!最大限のゴムを引く感覚で「壁ごと引っ張る」「空間をかき混ぜる」くらいの壮大な意識の持ち方である。なかなか合気のカラダ作りと基本5系が結びつかなかったのだが、なるほどそのゴム感覚が相手に作用すれば「意念」といって良いわけだ。
しかし、外から見える動きは最小か、むしろ無い方がよい。もし外見上に動きがあると、ゴム感覚でつくったせっかくの張力が動きで消費されて相手を作用点とすることができないか、相手の関節が弛むことで繋がりが切れてしまう。よってカーテンとも繋がれるような細心の繊細さを伴って全身でブ~ンと引くのである。(オンライン動画の編集で最も悩ましいのが外から見えないこの内部感覚のはたらきで、これはもう体験・体感してもらうしかないと思っている。)合気練功も大きく動くエネルギーで状況をつくり、最大の効果を得るために外からは最小の動きとなる。「余計な動作は省かれ」て、その関係(繋がり)を減じることはないが、その状況を支える「技術」については最大の努力が払われていると言ったところだろうか。

冒頭の話のつづき。「ンッ!→」のあとの私の行動は、練習熱心にもゴム感覚で「ヨッコイショ」と腰を上げて「ハイよ…」とブツを手渡すである。これは相手の「ンッ→」という意念のオノマトペでゴムを引かれてコントロールされているのでしょうか?!

合気の原理 剛の裏の力について

最近お目見えした練功で「これは!」と思うものがあった。私の中でそこへつながっていく呟き。

今回も過去を振り返ってみる。合気の原理Ⅳに「裏の力」がある。自分を振り返ってみると、ようやく接触点を忘れて相手の足裏を感じられて、推進力を理解できるようになったころである。裏の力の正体が今一つはっきりとせず、なんとなくモヤモヤしたまま(フーン)程度に捉えていたものを、知らず知らずのうちに筋力が生じさせられているのが裏の力と認識した。きっかけは「重心の均衡点をきちんと作ってから」が意識できるようになったことである。条件の欠如が裏の力の理解を妨げていた。そういった意味では原理のⅣとⅤはある程度、つながる感覚を得てから認識できるようになるものだと思う。

相手との重心の均衡点をきちんと作ってから、お尻の穴をキュッと、さらに足の親指の付け根に意識を集中してグッと踏みつけると緊張が伝わって、相手のアウターの筋に緊張が生じる。この剛の裏の力を使うと相手は自分の筋力で重心のある所に移動していく。
自分自身のカラダは足の拇指から内転筋、大腰筋をすぼめて、背骨を中心とした一刃の刃物になった気分。合気道でいう集中力とはこのような感じなのか?と勝手に想像。

いきなり食らうとなかなか衝撃的なのだが、現象説明の理屈としては重心の均衡点は相手のカラダの外にあるので不安定であり、そこで力めば姿勢保持にはならないのだから簡単な事。注意点は局部的な筋の緊張にならないようにすることと不安定を欠かさないこと。つまり合気のカラダで重心の均衡点の喪失がないようにすれば、相手は自ら発生した筋力が跳ね返ってきて床との間に挟まる感じである。(合気のカラダで均衡点の維持が超難問なのですけどね。)

ただし、困ったことに剛的なこの合気はカラダが繋がりにくくなっていく帰来がある。ガツンと来るので防御的に頑張る体の使い方が出てきてしまうのである。筋肉に部分的な力みが生じて何か全身がつながっていかないような感じである。かけている自分も力み始めていて違和感がある。いきなりガツンと来る、自分の合気は掛からない、メンタル的に凹んでくる。「あまり快の感覚ではないな~。」がこの頃の捉えであった。(つづく…)