合気のカラダ

神谷の呟き 小脳にまかせよう。。。

ヒトの中枢神経は脳と脊髄である。別パーツにイメージされるが一続きになっている。特に脳は膨大になって特徴的なため、そこだけが取り出せそうなイメージを抱かせる。
脳の中でも随意運動を司るのは大脳である。感覚や記憶も大脳の機能である。
そして運動を習熟させるのは小脳である。

合気練功を修練するとき技術の学びであるので脳がフル回転である。操作感覚を感じる、手順を理解する、要求通りにカラダを動かす。大脳領域のはたらきである。
しかしながら考えながら行っている段階では相手に忖度していただかないと合気の繋がりは上手くいかないことの方が多い。多分、考えていることが相手に伝わってしまうためだろう。

スポーツの初心者を考える。野球でも空手でもビリヤードでも、最初の頃の動きは何かぎこちない。慣れてくると余分な力が抜けて動きが滑らかになる。これは大脳で考えながら動きを作っていたものが小脳に操作の分担が移行して、動きが習熟したためである。新しい動きや技術を習得するときは大脳での理解と小脳への移行が連動していかないと習熟できない。考えてやっているうちはまだまだなのである。
中部大学の平田教授のところで運動の修正能力を計測する実験に参加させていただいたことがある。考えながら運動の調整を行っているうちは精度にばらつきが多いことが分かった。また、サンプルになっている人によっても、感覚的に調整を行う人と理論的に考えて調整を試みる人など、対応に癖のようなものがある事にも気がついた。

幼少の頃、自転車の補助輪が外れるとき、色々とペダルの踏むタイミングやハンドルの位置に意識がいったことを思い出す。よく転んだがそのうち無意識にバランスが取れていちいち考えることなく乗れるようになった。尻が覚えたような感じがあったように思う。今では手放し運転はもちろん(公道ではやってダメですな)、MTBでオフロードの走行も楽しめる。いちいち考えなくとも小脳が自動的にバランスを取ってくれているのだろうと大脳で考える。

最近の私の合気練功は「なるべく考えないようにしたい」という方向である。必要な条件が不足したとき大失敗となるが、考えている内は相手を探ってしまう。
これが停滞となるか、上達となるかはおおいに不安だが、塾長の集中講座でも「上げてやろう!とか考えるとだめ。」と説明される。
もはや感じるだけでも大脳のはたらきをキャッチされるかもしれないので、なるべく小脳に頑張ってもらい操作を達成したい。

神谷の呟き 新幹線の車中での発見と反省

新年度になり、転勤を機に泣く泣く合気練功塾から離れられた方も出てきた。逆に新しい生活をスタートされた研究生もいる。かくいう私も新しい職場になり、まだペースが掴めず時間の配分がうまくいっていない。アップが遅延しており反省している。

合気のカラダ作りでは全身を繋げて弾力感を持って動けるカラダを目指す。
僅かな力でも動くことができると相手の関節に負荷を加えずに合気を通すことができる。通常のカラダの使いでは腕が働いて自分が足まで繋がっていない状態に陥りやすい。塾長に「固い」と評される。日頃から触れるものを利用して足まで、座っているときはお尻までつなげる練功を心掛ける。

新幹線では背もたれ部分にテーブルがついている。テーブルの一番下部を相手の足として自分のカラダを繋げてみる。このテーブルには可動部分があるので誠にちょうど良い。テーブルに掌を置いての2系の練習でもよいが、下から1系の方が難度が高い。過度に力を加えるとテーブルが動いてしまうため、ゆるく入る練功に適しているのだ。
このことは「Tスタイル」で文章を書いておられる研究生の方も実施されているそうで、道中、テーブルと繋がっているそうだ。皆様、お試しあれ。

先日、いつものチケットをネットで手配するのだが、年度初めの忙しい時期であったのでこだま号のグリーン車しか取れなかった。さていつものようにと、テーブルを出して繋がってみる。テーブルの感触を上方向の圧と感じてお尻にその重みを受ける。自分のカラダに座面に沈んでいく流れを感じる。セルフチェックでOKである。肩甲骨を皮膚操作で引き、前方に出られる感覚を臀部に摩擦として咬む。エマージェンシー!!
こだま号(グリーン車の?)のテーブルは手前に引き出す事ができるとは知らなかった。皮膚操作のとたんにテーブルはずるりと前に動き、結構な音で響いた。

合気練功では内部感覚で流れを作る。外見から見えるところに動きが生じていると、内部感覚で作りだしたせっかくの流れが動きとして減じていくと感じる。引くという操作はよほど気を付けていないと接触面を引っ張ってしまう。意念の操作を心掛けていても自分のカラダがいかに不随意であるか、反省する出来事であった。

神谷の呟き ほどよく枯れていきたひ

ドイツの心理学者:エルンスト・ウェーバーは刺激の変化を感じ取る実験で「ウェーバーの法則」(1834) なるものを発見している。例えば100gの錘を手にのせて、少しずつ錘を重くしていき110gになったときに初めて「重くなった」と感じるヒトは、200gの錘で始めた時は220gにならないと「重くなった」とは感じない。210gでは違いを感じられないのである。この法則は重さだけでなく、明るさや音、匂い、味、寒暖、時間、金銭感覚などにも成り立つそうだから、よほど謙虚に最小の感覚を大事に磨いていかねばならない。途中で大きな刺激を受けると練功が振り出しに戻ってしまいかねない。

1年も練功を続けて、技をかける方は相変わらずの気分だが、かけられる時の分析は緻密になってきたと思っている。ある時、2系の受けを務めている時に感じたことがあった。相手の方は十分に力を抜いて2系の繋がりを作ろうとしているのだが、何だか…耐える腕の力を抜きたくなってしまう。腕の力が抜きたくなるということは繋がりの操作圧が大きすぎることが原因であることが多いのだが、相手は力を入れずにトンっと腕をのっけているだけの様子。でも繋がりを作るためにはこちらが協力して頑張らないといけない感じであった。
ふと気づいた。この相手の腕が重いのである。空手や柔術で鍛え上げられた(前脚のような・失礼)腕の重さが気になっているのであった。力を入れてはいけないが、重みを掛け過ぎてはいけない。そんなことを私は感じていたようなのだ。

若かりし頃、太い腕に憧れて拳立て(拳で行う腕立て伏せ)を繰り返したものだが、合気練功ではその腕の太さも障壁になりかねないのであろうか。そういえば達人の逸話は「吹けば飛ぶような、枯れ枝のような…老人」なんて記述が頭に浮かぶ。東京の合気練功倶楽部の方でも武道経験のない方やあまり力がない方のほうが、すんなりと合気の繋がりに入られたりする。

もしこの仮説が必要事項であるならば、ここからは脂物を控えて、うまい具合に枯れていく練功を編み出すほかない((笑))。

合気練功 基本〇系というもの

基本○系というもの

合気練功塾には基本1系~基本5系という練功課題がある。基本1系は相手が上へ上がる、基本2系が下へなど、方向によって分けられている。方向が決まっていた方が練習しやすいし説明しやすいためであるが、これは初めのうちだけである。

合気の技は基本的に相手の力を使って動きが作られる事になるので、相手が力を発揮しないと基本○系にはならない。
基本1系を例にするといわゆる合気上げであるが、相手のカラダに上がっていく要素が発生していないと合気で上がっていかない(関節とか、重心移動で操作すれば上がると思うが、それは合気ではないと思う)。「相手が上がる」と言う現象だけにこだわると失敗して、上がらないことが多い。それは相手が上がらない・繋がらないカラダになってしまうからである。

例えが適当かは判らないが、空手などのいわゆる上受けは上段の突きに対して有効な受け方であるが、「上がらないカラダのヒトを上げてみろ」というのは中・下段の突きを上受けで受けてみろと要求しているような感じに思う。

では、本当に上がらない構えで挑んでくる人に対して、合気練功で上げることはできないのかというと、塾長はスッと上げてしまう。どうやら脊柱で頭部を支えている状態であるならば不可能ではないようだ。

完全に上がらないように構えているカラダには上がるように要素を作っていかねばならない訳だが、相手の受容を可能とする閾値の超えた操作では相手はさらに上がらないように変化をしていく。その辺りがソフトタッチ(の虚?)へと繋げていかなくてはならない部分だろう。今後、合気のカラダのゴム感覚がとても重要となるだろう。

とある塾生の雑記その6 自然な繋がり方

とある塾生の雑記その6 自然な繋がり方

現在、合気練功塾では合気上げに繋がる基本1系(上への変化)を中心に練習しています。私自身、片手を持たれた時にどうしても腕に余計な力が入ってしまい、何かをしようとする意図が相手に伝わり、うまくいないことが多々あります。今回は、自然に繋がる方法について、色々学んだことをお伝えしたいと思います。

まず、前後に揺らす「背骨揺らし」の要領で、腕の力を抜いて体全体を使って相手の皮膚と接触し、骨に達しない程度の軽い圧で、且つ皮膚に過度の張力が生じないように数ミリほど皮膚を引っ張ります。実は、この皮膚が接触する時の力と方向のベクトルがポイントになります。数学の無理関数(y=√x)のグラフのようにやや上の方向に力をかけて相手の肩を詰まらせ、ほんの少し重心を前に持っていくのですが、この曲線の曲がり具合を非常に繊細にミリ単位でコントロールしなければなりません。上手くいけば「ココ」とか「カツン」という繋がった感覚がわかります。この時に探るように手をあれこれ動かすと失敗しますので注意して下さい。もしこの方法で上手く繋がることが出来なければ、腕を頼りに一歩前に足を出すとその瞬間に繋がります。これは足を出して片足というやや不安定な状態を作り、腕を頼りに相手に自分自身を委ねることで、自然に繋がることが出来るようになるからです。後は、この感覚を呼吸という動作に落とし込むことができれば、吸気一つで相手と繋がることが出来ますし、歩行という動作に落とし込めば、歩くだけで相手と繋がることが出来るようになります。

合気練功塾の「合気」は人と人との繋がりが生み出す「合気」で、その境地を楽しむことはとても素敵なことだと思いますし、もっと多くの人にこの境地を知ってもらえればと思います。