合気練功塾では相変わらず基本1系(合気上げ)の練習が中心である。これは合気の繋がりを具現化するために一番ごまかしがない形であるからだと塾長は言う。練習の終盤に院生が前に座って、次々と塾生が握ってくる練習場面があるのだが、冷や汗をかきながらも上げる事ができたときは心地よい。(不発率が3割…調子によっては2~5割は言い過ぎか?)
8月頃、座取りの基本1系:合気上げで塾長が「「ここ!」と言うところがあるから‥」と言いながら説明を繰り返していた。一同「ここ!」ってどこよ?と思いながら迷走していたのを覚えている。約3ヶ月がたって今は確かに「ここ!」が分かるようになった。
「ここ!」を言語化しないとブログに成らないので自分なりにあえて試みる。相手の肩関節の力が抜けず膝までほどよく力が入った状態にできて(原理で言うと「裏の力」と「足裏」ということか)、相手が受けている「腰が上がる方向の力」を自分に返ってくる反作用の力とのみ感じ(「推進力」)、関係が壊れない(繋がりが切れない)ように相手の重心を少し動かす(「同調」と「足裏」)事ができそうな所が「ここ!」。「ここ!」ができれば、あとはキッカケを持つだけで相手は上がっていく。
「ここ!」を形成するに当たり、自分が部分の操作では十分に達成できない。いわゆる合気のカラダでアプローチして相手の力とぶつからない(負担とならない)ように支えさせていかなくてはならない。この部分を言語化すると自分のカラダが足まで繋がって(足裏)、部分の操作になっていない(同調)、相手に全身を引かせて不安定になる(自分への裏の力と推進力)。と、まあ幾つもの視点で語ることは可能で、説明自体は大きく間違っていないと思うのだが、この文量でも繋がっている状況をきちんと説明できていないと自負する。説明が自分の納得できる表現として、心地よくしあがっていかないのである。(よってやたらと( )の言い換えが多い…。)
それでもこの文章に興味を持って読んでいただける方々に、少しでも参考になればと認(したた)めてみた。決定的に「どうにかしよう・何かしよう」という意識が文章ににじみ出ているので、これでは心地よくない。やはり合気練功は「快適」を追求しなくては。
昨今、塾長に語ってよいだけの気付きがあって合気の感覚が「新境地」になったようだ。次回、「シン・ここ!」を言及してみたいと思う。
私事の追記
我が家では家人がそれぞれにゲーム、スマフォ、動画などネット環境を随時フル活用である。老朽化したこのPCのインターネットアクセスは青息吐息である。使用者と同じで繋がりは最弱。やっと出来上がったこの文章であるが、HP上に心地よく上がっていって欲しいものである。