直立二足歩行を行っているヒトは前肢が自由になっている。その進化の過程は諸説あり、面白いものでは水生類人猿説(人類は水中生活をしていて垂直の姿勢を獲得したというものだがマイナー)などというものがあるが、樹上生活の所作が準備段階にあったというものが有力である。(岡田(2014) サルからヒトへの進化―二足歩行の前段階Anthropol. Sci. (J-Ser.))
ヒトの前肢には危険な刺激から身を守るための反射が備わっている。例えば指先に鋭い刺激が加わると無意識に手指を引っ込める。脊髄から肘を曲げる屈筋に反応がいくので屈筋反射といわれる。拇指の付け根に圧が加わると前腕に力が入る現象や、赤子のモロー反射なども屈筋反射の一種。これらは樹上生活をしていたころの名残と捉えると合点がいく。基本五系の一系、二系で相手に手首を握られるとき相手の拇指の付け根に接触点を意識すると原理「裏の力」が通りやすい。少林寺拳法の小手抜で母指球を擦り合わせるように…なんていうのも頷ける。離せばいいのに離せないは落ちるからですかね。
私は練習で母指球を刺激されている時なんとなくテナガザルがイメージされてくる。テナガザルは長時間ぶら下がったままでも平気で、高速でブランキエーションをして枝から枝へ渡っていく。とても意識で握る瞬間をとらえているとは考えにくく、枝に触れた瞬間に無意識で反射的に握ってないと落下すると思われる。この様子とイメージがダブル。
手のひらはメンタル面とも密接で、緊張すると手に汗をかく。これも樹上生活で逃避するときの滑り止め効果と考えられる。冷たい手で触られるとキュッと筋肉が収縮する。合気の練功では筋の緊張があるということはここからの動きにぶつかりが生じる可能性があるわけで、無力化の妨げになる。薄味の練功では柔らかく触れてなるべく緊張感がない掌でアプローチしたい。皮膚を取るときに手の皮が突っ張っていると馴染みが悪いし、手指の骨が当たろうものならば相手に反応されてしまう(指がクイッはダメですよね)。塾長は「赤ちゃんに触れる時のように、そっと大事に。」とか「毛細血管が開いた赤い(温かい)合気の手で。」とおっしゃる。手のひらの皮のゆるみが「ゆるみ」の感覚に効果的かなと思っていたこともある。
私の経験では腕の力を入れずに推進力を理解できるようになると、ようやく接触点を忘れて相手の体内(筋の状態)を感じられる。自分に力みがあると自分も相手の内部も感じられない。ヒトは基本的に落ちる(倒れる)のを嫌う生き物であるようなのでゴムの感覚で入力すると重心にまつわる反射が引き起こせる。赤子に反射を起させないぐらいに柔らかく滑らかな前肢で練功を楽しみたい。
追記:合気のカラダの四元をやっている時は水生類人猿になっているかもしれない。