ドイツの心理学者:エルンスト・ウェーバーは刺激の変化を感じ取る実験で「ウェーバーの法則」(1834) なるものを発見している。例えば100gの錘を手にのせて、少しずつ錘を重くしていき110gになったときに初めて「重くなった」と感じるヒトは、200gの錘で始めた時は220gにならないと「重くなった」とは感じない。210gでは違いを感じられないのである。この法則は重さだけでなく、明るさや音、匂い、味、寒暖、時間、金銭感覚などにも成り立つそうだから、よほど謙虚に最小の感覚を大事に磨いていかねばならない。途中で大きな刺激を受けると練功が振り出しに戻ってしまいかねない。
1年も練功を続けて、技をかける方は相変わらずの気分だが、かけられる時の分析は緻密になってきたと思っている。ある時、2系の受けを務めている時に感じたことがあった。相手の方は十分に力を抜いて2系の繋がりを作ろうとしているのだが、何だか…耐える腕の力を抜きたくなってしまう。腕の力が抜きたくなるということは繋がりの操作圧が大きすぎることが原因であることが多いのだが、相手は力を入れずにトンっと腕をのっけているだけの様子。でも繋がりを作るためにはこちらが協力して頑張らないといけない感じであった。
ふと気づいた。この相手の腕が重いのである。空手や柔術で鍛え上げられた(前脚のような・失礼)腕の重さが気になっているのであった。力を入れてはいけないが、重みを掛け過ぎてはいけない。そんなことを私は感じていたようなのだ。
若かりし頃、太い腕に憧れて拳立て(拳で行う腕立て伏せ)を繰り返したものだが、合気練功ではその腕の太さも障壁になりかねないのであろうか。そういえば達人の逸話は「吹けば飛ぶような、枯れ枝のような…老人」なんて記述が頭に浮かぶ。東京の合気練功倶楽部の方でも武道経験のない方やあまり力がない方のほうが、すんなりと合気の繋がりに入られたりする。
もしこの仮説が必要事項であるならば、ここからは脂物を控えて、うまい具合に枯れていく練功を編み出すほかない((笑))。