足裏感覚

合気練功 ファーストコンタクトについて

合気練功塾の様子2

最近、私が気になっている事が相手と接触する瞬間である。
私から触れるときではなく、どなたかの相手(受け)をするときにどこまで侵入されたかを感じる事が癖のようになっている。

合気練功塾においては相手の足裏まで影響するように接触して圧を加えていくことが当然のように行われている。それは2系(下方向への変化)で下に圧を加えながら皮膚操作で前足底に重心が来るようにする練習を繰り返してきた結果であろう。しかし2系は足を捉えるにはよいが、年齢を重ねた身体には「支えたくない…。」「しゃがみたくない!」などの別の要素があったり、なかったりするので練功が難しくなる。(言ってるそばから今日は腰が痛いな…)
そこで塾長は4系に練習の重点を変えたのである。4系では相手の後ろへ加圧していくわけだが、何かにぶつかったとき倒れないようにバランスを取る動きは特に抵抗感がない。よって姿勢保持のはたらきを導き出すには難しい要素がない。なるほど!
実は4系のとき下方向へのベクトルはない方が良いようだ。上から下への皮膚操作が入ってくると肘、肩に緊張が生じて繋がりが肩で切れてしまいやすい。これは当然のことで、普段の生活で「はいよ。」と物を手に乗せられたとき、まずは腕で受け止めて、毎回全身で支えることはしない。普通の動きが生じてしまうのだ。単純に水平に加圧していき「倒れたくない」と姿勢保持のはたらきが生じるようにさせてやればよいのだが、いかんせん下方向の操作が加わってないので足へ影響しているイメージが持てないようだ。

そんな時、私は接触点の皮膚を上にずらして「下へ」を相殺し、自分のカラダがつながりやすい状態にして積極的に自分から合気にかかってしまう。塾長がよく言う「まずは自分が合気にかかってしまう」を実践している。するとお互いに弾力感があってこちらからもいけるなという感覚になる。自分の練功をさせてもらっているわけだ。
エラそうな表現になって恐縮だが、まずもって腕の緊張を誘うようなドンとした圧の加え方は腕だけの対応になり、私の「動かないぞ!!」の部分を引き起こして終了。(合気練功で私の関節が曲がってしまうぐらいの力は論外。わたしが吹っ飛ぶぐらいの圧ならば合気練功ではないところで素晴らしい)
接触に下方向への要素が含まれており、私の繋がりが肩で切れるのも腕だけの対応となるのでよろしくないが、こちらの微調整で練習は継続可能な感じである。

予期せず、練功中にこちらの調整の必要がなく侵入されると「おぉ♪(ノ)‘∀`(ヾ)!」となる(塾長や院生は別です)。最近、その瞬間が期待とともに気になっている。
追記:先日、塾生のある方に、明らかに下方向へのベクトルが含まれる触れられ方をされたのだが、意もない、あまりにも柔らかい触れ方で容易に足の指まで侵入されてしまった。もう一度やられてみたい。

合気練功の運用について

先日、集中講座があった。今回も熱い受講者の方々が集まって、午前・午後と合計6時間の講座であった。九州や大阪から2回目、3回目の方々、さらに遠く韓国から合気練功を体験するためだけに来日された方もいた。合気道、空手、太極拳などの経験者はもちろん、武道経験のない方や介護関係の方もいらっしゃった。せっかくのご縁であるので感覚が伝わるように精一杯させていただいた。

お相手させていただいて気づいたことは、足裏感覚の不確かさと複数のことを同時に行う困難さである。足裏感覚については接触点に加えた力がきちんと相手の足まで影響しているか、体勢の変化に対して足裏を取り続けることができているか、で苦労されていた。足裏を取れていても皮膚操作で手前に引くと下方向(足裏)への圧がなくなってしまったり、乗りかかって圧が強すぎたり(下への圧が強すぎても腕や体幹の受け止めになって、足裏への影響が減るように思う)。それぞれがちょうどよい塩梅で複数同時に行うことが難しい。「やはりそだね~」塾生も私もそこで苦労しています。感覚は少し間があくとぼやけてしまうし、感覚を維持した状態で操作を習熟していかなくてはならない。

私見であるが、合気練功の運用はざっくりと武道的には時間(間(ま))、施術や介護へは繊細さへの方向が練功としてあるように思った。合気練功を各種武道を補うパーツにするには合気の感覚や原理を整えて瞬間の接触を可能にする必要がある。演示としての状況設定はありかもしれないが、実際は静止した状態からのスタートはあまり考えられない。ちょっと応用は可能かもしれないがそれで自分が満足できるか。両方の成立条件を照らし合わせるぐらいならば、むしろ合気練功をベースとして再構築した方が早いような気もしてしまう。
故障を抱えている方やお年寄りのか弱く上がった腕を取って、筋肉のバランスを取り、カラダを繋げて動けるように施すには繊細な感覚が必要と思う。ついつい生の力で接してしまうが合気の繋がりは得られないだろう。

半年間に渡った集中個人レッスンが一区切りついた。合気の練功が何周練り込めたのか比較できる基準はないが、これから練功していくピースはある程度揃ったように思う。私も武道・武術からスタートした口なので達人の世界に憧憬がある。でも今更、最強への憧れはない。動機は各自にあると思うが、身体操法の可能性を切り開く合気練功は良いものであることは間違いないと思うし、練功はやっていて楽しい。何に使うにせよ練功を十分に練りこんでいくことで各方面へのスタートは切れそうだ。

合気の原理 再び足裏感覚へ

このブログを始めた頃に「足裏感覚について」を記している。その時の感覚について振り返ってみると相手の足裏のどのあたりに重心が来ているか、前足底、踵辺り、足刀寄り…という程度の意識であった。
今は相手に加えた圧が足裏へ到達している経路に意識がある。相手と触れて柔らかく皮膚を取りながらジンワリと圧をかけると足裏まで到達する。しかしながら、圧が腕・肩(あるいは腰)のところで受け止められて、足まで十分に到達していないことがある。到達が不十分なまま何かをすると望ましい反応は生じず、腕だけ、または腰が折れてお辞儀の態勢に終わることが多い。原因は下方向への加圧に対して引き(皮膚の取り加減)が多すぎるためと分析している。足まで到達したときは明らかに跳ね返ってくる力が大きく感じ、推進力として十分な感じである。

基本3系では横方向、4系では後ろ方向に加圧するがこれも足裏へ到達するように操作する。その到達のさせ方はある種「裏の力」の使い方なのではあるが、まずは自分が「足まで到達している」と感じられる圧で腕、腰、足の違いを判るようにすることが速やかな上達につながると思った。当然相手には自覚されてしまうがそこは目をつぶる。これは技ではなく足裏感覚の練功であると割り切る。

さて、今の課題はというと相手の姿勢が変化しても相手の足裏を意識し続けられるかである(ン?昨年11月ごろと変わらず??(T—T))。皮膚操作で重心を引き出す意識を持つと下方向への意識が消える。相手の膝がちょっと折れると安心して足への圧を忘れる。
未熟者め! (「相手の足腰が辛いであろうから途中で止めてあげているのです」は言い訳!)
ヒョイと乗っても、横方向に相手を変化させても、5系で回旋させるときも、常に相手の足裏から推進力をもらい続けられるように、同調と4元のゴム感覚の維持である。

合気の原理は今のところ5つしかない。同じ項目なのだが1週目と2週目では視点や質感が違う。より多くのヒトを合気のカラダに仕立てるには精度を上げて、感覚の拡張をし続けねばならない。言うならば、自転車の補助輪が取れて無意識に乗れるようにはなった。次は手放し運転か、ウイリーか、ジャックナイフか。「練功はどれだけ練りこんだかである。」とよく塾長は言う。

追記:基本1系で相手を上方向へ上げる際、相手の足は方向が180度逆であるのでイメージがしにくい。相手に私の足裏に乗ってもらう(触ってもらう)感覚で操作している。