昨今、塾長も院生方も2元のカラダの重要性を口々に発する。2元のカラダが全ての合気練功の胆(きも)といって差し支えないようだ。
2元のカラダの練功は、ゴム感覚を認識するヘアゴムを引く練功の次の段階である。自分のカラダの中にゴムを引くような弾力感が作り出せると解ったら、その感覚を拡張していき体幹部分にゴムで引かれるような、または水圧を受けているような感覚を得ていく。全身の姿勢保持のはたらきを自覚して使えるようにするのが練功の目的だと思う。いきなり鈍感な体幹部に持っていくことがこの練功のハードルの高さだと思う。
背骨揺らしで体幹部の意識を高めて、相手の腕を使って、はたまた壁や机を使って自分がバランスを取る動きを仔細に感じていくと自分のカラダの状況がだんだんと解るようになってきた(相手を使うといろいろと状況変化が生じるので、壁や手すりなどを使って自分の中の要素だけにした方が解りやすいかもしれない)。
回想してみると、最初はつま先だけで踏ん張って、次に脹脛で頑張って、もたれ掛かっている時は肩や腕だけが頑張って、どれも全身で作り出したものではないので合気のカラダとは言えないと思う。1系で相手に上げられているつもりで、または4系で押し込まれているつもりで、自分の重心を動かしていってコケないように頑張る。頑張っても局部的な力みがないカラダ(意識)を作るのだろう。
次に相手と接触したときであるが、相手から反発力を単独練功時に感じた体幹部のゴムの代わりにして、押しているのだけれども押し返されつつ、引っ張っているのだけれども引っ張られていると、感覚を持っていけばいいのだと思っている。
塾長は示演のために「お~っ」と言って大きく伸び上がっているのだと想像するが、単独練功で2元の内部感覚がイメージできているから、接触前から自分を引っ張っておいて接触時にあまり時間をかけずにつながってしまえるのだと思う。極めつけは、塾長はカーテンを相手にしても自分に合気をかけることができるのである(集中講座に参加された方はご覧になったと思う)。カーテンレールの金具のところからの反発を受容して自分をつなげて重心が移動するのだが、これも内部感覚の操作と考える。
気を付けるべきは「相手(カーテン)に上げられている状況」を作ることで、自分だけで動かないようにすることである。私がやると極めて怪しい。カーテンの反発力とは関係ない背伸びとなるのが関の山だ。