基本1系

Tスタイル ~合気練功の日々〜  「上がらない合気上げ」

今週は合気練功研究会と気匠庵での個人レッスンで練功を積んでいらっしゃる研究生の T さんの文章をお送りします。

 

Tスタイル 〜合気練功の日々〜
「上がらない合気上げ」

はじめまして。50代半ばから武術を始め、合気練功塾にたどり着いたTAKAです。練功歴1年にも満たない私ですが、思いついたことを、自分なりのスタイルでブログにしてみたいと思います。よろしくお願いします。

合気上げ。武術に関心のある方であれば、誰しもできるようになりたいと思うでしょう。かくいう私も、合気練功塾に入ったのは、それが大きな目的の一つでした。
ところが、松原塾長は「合気上げは上がらなくても良い。」と言われます。つまり、つかまれている自分の腕を上げることにこだわりると、無駄な力が入り、せっかくできた相手とのつながりが切れてしまうからです。相手が「上がりたい」という状況を作ることが重要なのです。そこから、腕が上がるという現象が起きるのは、次の段階です。
合気練功は、内部感覚の訓練なので、目で見ることができる現象よりも、こうした身体の中を捉えることが重要なのです。
「上がらない合気上げ。」皆さんも発想を変えて、チャレンジしてみて下さいね。

先日の研究会で、松原塾長が、身体の膨張感を出す為の意識の仕方を「海が呼吸するように。」と言われました。(えっ!どういうこと?ところでその海はどこの海?伊勢志摩?沖縄?もしかしてハワイ?それはいつ?早朝?昼過ぎ?それとも夜?)余計なことばかり考えてしまう私でした。反省・・・。

TAKA

合気練功の功夫(工夫)について

日曜日に行われる練功塾は、最初の一時間は院生が輪番制で前に立ち塾生の練功のリードを行っている。そこで院生のそれぞれの工夫を「奥義伝授」などと笑って指導しているのだが、それぞれの感じ方や工夫がいろいろとあって参考になる。

ある院生さんの案内に、自分の足裏感覚を留意するために500円玉を足の母指球で踏んでいる感じで意識すると良いとあった。「なるほど!いい工夫だ。」他の院生さんは「じゃあ、俺は100円玉。」、「じゃあ10円玉」と金額ではなくサイズを小さく競っていき、でも最終的に一万円札を挟んで破らないけど逃さないに落ち着いた。確かに昔の剣豪の逸話に濡れた半紙を踏んで破らないというものがあったなと思った次第。

「合気は脳をハッキングすることで行う関節技である」という理解の仕方。
ある院生の案内で、ゴム感覚は関節が伸びることで、伸長する関節の弾力性として解釈するとどうだろうかというものがあった。従って人差し指を握られたときは中手骨、手根骨、肘、肩と多数の関節の弾力性を利用できるが、手首を握られたときは肘と肩関節のみの弾力性で制御を行うことになり、より繊細さが要求されるという説明であった。
塾長の説明では「関節が伸長した結果、それ以上伸長させまいと筋肉を収縮させる無意識の反応(つまり反射)は脳をハッキングすることの一つの要素でもある」であったので、ほぼ同意を得ているのかなと感じた。
確かに手首を掴まれると相手の力を感じてしまい、こちらも力みが出てしまう。練功塾では力をぶつけないは当然の条件であるので、これはクリアしているとして、手首を掴まれたときの合気のカラダ(弾力性)として感じとると確かに少し物足りない。指を握られて相手を操作するのは力の世界ではありえないが、合気練功ではむしろこの方が分かりやすい。自分と相手の関節を巧みに操作する事が合気練功の技の一部であるということで「関節技」でもある。関節が増えることで動きを生み出す要素が増えるので無意識的に繋がりつくられるが、関節数が減ると大きな筋肉の動きで参入しやすく、精緻に操作しないと力がぶつかるということであろう。
通常の生活では何かしてやろうと思うから力むのだが、これを合気練功では「我が出た」とか「色気が出た」と表現していた。合気の繋がりは互いに動きが生じている状況だと私は感じているので、力がぶつかって弾力性がない状態では、相手の力で動いてもらえる状況は消失する。塾長はこの動きの事を「流れ」と表現して、ぶつかっている状況を流れがないと言っているのだと思う。

合気練功を技と思えば、何かしようと意識が出るし、一度の経験でテクニックとして盗むこととも可能であろう。しかし練功は感覚のトレーニングで、だんだんと感覚が鋭くなっていく(積みあがる)と解釈すれば功夫であり、継続することで意味が生じてくるのであると私は思う。

合気の感覚 「糸巻のごとく引くべし」

「合気上げにかかった時の感覚は?」
と問われて私は3つの回答を思いついた。
本当にガッチリ掴んだ時は本当にかけられたときで、掴むことに意識がいっているため、内部感覚はとても分析する余裕がなく、感覚としては「わからない」である。
少し分析するつもりで掴んでいる時は、前足底と掴んでいる腕の接触圧が同じぐらいになって大きなバランスボールに乗せられていくがごとく自分が球体になった弾力感を受ける。
もう一つは1系と2系は表裏であるので2系をかける要点が整えば1系にかけられたときの感覚のはず。接触点でやや皮膚を取り相手の足裏からゴムの張力感で引き寄せるが、自分の内部感覚としては、肩関節で切れてしまわないように鎖骨から溝胸にすぼめる意識。巧く一体感が生じたときは四肢が背骨で線状に繋がった細竹のような撓りの感覚がある。

さて答え合わせは、ウインチでキュウーッと巻き取るがごとく引っ張っている感覚が正解だそうだ。つまりは2元の感覚である。接触点を使ってキューッと自分が引かれる感じで行くと相手も同調して引く動きが生じる。
ただしその感覚には複合的な要素の結果であるので、正しく捉え再現するためには原理の理解があった方が的確と思われる。関節の遊びや抜けがないかの「裏の力」、全身性の反応になっているかを感じる「足裏感覚」、引いているのだけれども引かれている力を感じる「推進力」。相手の重心が動く状態にまで来ているか、そして相手の各部に変化を許してしまうような力の偏りがないかの「同調」である。

合気練功にはいくつかのコペルニクス的転換ともいえる発想の逆転がいくつかある。その一つに合気をかけるためには自分が先に合気にかかってしまう事がある。かけられた感覚を寄る辺に操法を会得する道とするものだが、やはり面受面受でないと困難と思われる。
そうかといって、いきなり合気をかけられても受容するための基礎知識や感覚を持ち合わせていなければ何もわからないと思う。
宣伝のようで恐縮であるが、その点オンライン講座では背骨揺らしによる「感覚の鍛錬」、現象理解のための「原理の説明」と、ほとんどをオープニングコンテンツとして網羅している。合気練功プロジェクトはエライものを用意したものだと今更のように思う。