空をつかむ

空をつかむ「必要な力」

ここ何回かのブログでも書いているが、相変わらず「筋力」の沼にはまっている。自分では腕を上げているだけで力を入れないようにしていても、上腕二頭筋が盛り上がる。

「弾力をもってからだの中のゴムを引く」ということに腕をつかってしまう典型だと思う。相手の力を感じた際に、すぐに対応できる部位で対処することが、からだにしみついてしまっているのかもしれない。

もっと言うと相手が出してきた力に自分が同調させられてしまい、同じように力を入れてしまっている。こうなると合気どころの騒ぎではなく迷走する…

ただ最近思うのは、とにかく力を入れてはいけないというわけではなく「無駄な力」は入れない、ということなのかなということ。一元、二元、三元…を行う際、見た目はその場でほとんど動かないが、からだの中にゴム感覚をもって自分で広げる力を自分で戻す、とか後ろに行く力を前に戻す、とか。

その際、からだの中では自分自身で結構な力が生み出されているのを感じている。たとえば後ろに行く5の力を0に戻すのではなく、5の力分前に行く力で戻しバランスをとる。結果10の力が生まれている。これをからだ全体で行うことで、かなりの力というかエネルギーが発生し全体が張ったようになる。

これで相手と遊びがない状態で接触すると同調し、相手の体に作用するのではないかと。(ただし作用させるには相手とからだをつなげることは大前提)なので、力は入れないわけでもないしまたどこかの部分だけを極端に入れるのでもいけないのかと。

と簡単に語っているが、このからだを作るのは本当に難しい。何をするにもずっとこのからだでいられれば良いのだろうが簡単にはいかない。背骨揺らしや一元、二元などで合気感覚を生み出すからだ作りをしっかり行わなければ難しいだろう。

空をつかむ「見えないものを掴む」

合気練功塾で毎回のように塾長に言われるのは「強すぎる」。何かをするにあたって、とにかく「力が強すぎる」と言うこと。

とくに相手に腕をつかんでもらっているので、腕に力が入る。腕の力は一定の高さを保つのみでそれ以上は必要なく、最悪強くても箸や茶碗を持つ程度だと。

 

とにかく力とはまったく別のことを行っていると頭をシフトしないと何も始まらない、と。

これが、頭ではわかっていてもなかなか難しい。そもそも「腕の力入れないように・・・」と考えている時点で、前回でもお伝えしたとおり腕にかなり集中してしまっているし、力を抜くように力を入れているといか・・・こうなると迷路に迷い込む。このあたりは本当に意識を変えるのが難しいところである。

現時点では、最終的には自分のからだをどうこうではなく、相手の頭やからだをどう作用させるか、と言うことなんだろうと理解している。

対峙する相手を動かすということにおいて、お互い筋力勝負の場合は相手より強い力(筋力)が出せればよい。そのために筋力トレーニングに励み、誰よりも強い筋力を身につければよい。

 

ただこれは年齢や生まれ持ったもの、人種などによっても限界がありなかなか難しい。

 

そうなるともう一つの方法は、自分がどうこうよりも相手が「動いてしまう」ようにからだを作用させる。これは年齢や体格は関係ない。まさに今自身が目指すところである。ただこれは筋トレよりも難しい。

 

前者は持てる重量の増加や筋肉の増大などで成長を実感できるが、後者は相手が動くかどうか。動いてしまいかどうかは受けている相手しかわからない。

 

しかも受けている相手もどうして動いてしまうのかわからない無意識の部分に作用させる必要があるため、本当に見た目では正解が全くわからない。ただ結果的に相手が動くことが正解。

 

練功塾ではこの見えないものを全員になんとか伝えようとしてもらえる。本当にありがたい環境で、ここならなんとか掴めるのではないかと思わせてもらえる。

by kaz

空をつかむ「合気のカラダ作り」

先日知人に「からだが強くなったように感じる」と言われた。この「強い」というのは言うまでもないかもしれないが、「風邪をひかない」とか「病気にならない」ということではなく、からだに芯が通ったような強さのことで、少し体のつながりができてきたのかもしれない。

以前はからだづくりのため筋トレを定期的に行っていが、その際、よく筋トレでは鍛えたい部分を意識しないとそこに効かないと言われるため、部分部分を強く意識しながら行うようにしていた。

合気のからだではこれが逆にマイナスで、ある部分だけに集中してしまうことにより、他の部分から意識がなくなってしまう。これが1系などを行う際、腕だけに頼りがちなる一つの要因だと思う。からだ全体を意識するためにはまずこの意識を180度変えなければいけない。

最近では筋トレ自体ほとんど行わなくなったが、できるだけ「歩く」ことは行うようにしている。

その歩く際に、ただ歩くだけではなくからだ全体を意識しながら歩くようにしている。腕もダラダラとせず、蹴らない方の足も緊張させるなど、常にからだの中にゴムが張ったようにする。

少々怪しげな歩き方になったりもするが、そうすることで常にからだの弾力を意識することができるような気がしている。特に同じ場所でじっとしているよりも、歩いているほうがより全体のバランスを意識できるため、歩きながらのからだ作りは今の自分には良いように思う。

また足裏感覚も同様で、一歩ずつ前に出ているが、脚を踏みかえた際も足裏の圧力をしっかり感じながら踏みかえることで感覚を切らさないようにする。

疲れてくると意識が切れてしまいがちだが、その時こそからだ全体の感覚を切らさず維持できるのが良いのではないだろうか。

以前は意識的に歩くことは進んでまでしなかったが、こんなことを考えながら歩くことが練功になるのかな、とおもうと長時間・長距離歩くのが苦にならなくなり、意識的に歩きたくなるから不思議である。 by kaz

空をつかむ「無意識」

からだの内部感覚を養う初期段階として、引き続きゴム感覚に意識してみている。

少し前までは実際にゴムをもって引いてみることでイメージを膨らませていたが、最近ではゴムがなくてもからだ全体に作用するイメージができるような気がしている。(できているかどうかは別として…)

ただ自分の中で間違っていたことのひとつとして、ゴムをイメージする際に、ずっと「一本」で考えてしまっていた。

練功塾でも「相手の足から一本のゴムを」という表現で教えていただいたこともあるが、その表現に自身がとらわれすぎ、特に対人で行おうした際に、相手から自分の「一本のルート」で考えすぎるため、接点以外の自分自身の他の部分への意識が途切れ、結果からだ全体の弾力もなくなってしまうのではないだろうか、ということ。

練功塾では、最初にからだを作ってからだ全体の弾力を…と常に言われているが、接触があった瞬間に別の意識に「無意識」になる。触れたりつかまれたりの変化があっても、それに意識をとらわれず作ったからだを無意識に維持するのが大前提でこれはなかなか難しい。

しかしこれは武道やスポーツでも同じで、からだの良い状態をどんな状況でも維持できるのは大きな要素のひとつで、自身もこれまで意識をしてきたことだが、練功塾でもっと繊細に意識できたことだけでも自分にとっては大きい。

武道やスポーツなどを続けている方でからだの使い方や力の伝え方でなんとなく疑問を抱いている方こそ一度体験してみていただきたい。

by kaz

空をつかむ 「からだの内部感覚」

一人で練功をする際、ゴムでの表現がされるので、実際に輪ゴムを持ってゆっくりからだを張ってみている。その際に、ゴムを持っている手だけではなく、背骨や下半身など全身を意識するようにしているのだが、初めの頃はできるだけ繊細に、ゴムを引きすぎず、たわみを取る程度にと思っていても、やはり筋力に頼るため腕だけ、それどころか手だけで引いてしまう。

これまで筋トレなどされてきた人間は特にそうではないかと思うが、抵抗に対して筋力を使ってきた人間に、この繊細さは大きな壁となる。緩めようとすると、力を入れている部分の動きを止めようとからだがかたまる。これは緩んでいない。かといって。完全に力を抜け切るのも違う。非常に難しい。

こんなことを続けていた際、ゴムを持っている手から意識が薄れ、もう少し先(腕から肩、背中)に意識ができるようになってきた。足まで意識ができるとからだの中全体にゴムが通ったようになる。この感覚が常に持てるように続けてみようと思う。

またこのようなことを続けていたところ、最近少しからだの中での動きを感じるようになった。足まで通った後、足の方からからだの水分が上の方に引き上げられるが、足裏感覚はしっかりある…といったような感覚。これが内部感覚だろうか…この感覚が正しいかどうかはわからないが、今までない感覚で繊細に感じながら練功を続けてみようと思う。

by kazu