空をつかむ

空をつかむ「からだを動かす、ということ」

まず最初に合気の基本的なからだを作るため、背骨揺らしを教わる。背骨の一つ一つを丁寧に動かし可動域を広げる(ここまでは普通に理解できる)

次に皮膚感覚を磨き(ここから難易度が上がる)、さらに次の段階でからだの内部感覚を磨く。(ものの本で読んだ達人の領域)

最終的には外部感覚研ぎ澄ます(超人の域...)、とのこと。すでに基本でかなり奥が深い。つかめないものがどんどん増える...

とにかく合気では内外とも感覚をとにかく繊細に研ぎ澄ますことが必要らしい。

動かすこと自体はこれまでもある程度内部の動きは意識してので、その感覚も意識しながらとりあえずやってみる。比較的簡単に、できない…。一つ一つを丁寧にというのがあらためて行うと非常に難しい。いかに自分のからだが思い通りに動かせていないかが実感できる。

縦の動きから横、捻転、開放と進む。ただこの動きは完璧にできないながらもふとした瞬間にからだの心地よさがあるのと同時に、だんだん背骨から腕や足が動かせるような感覚がある。この感覚は他にもつながりそうな感じがあるので意識しながら背骨揺らしを続けてみたい。

by kaz

空をつかむ「あらがえない感覚」

2019年10月より練功を開始。きっかけは力の限界と疑問、カラダの可能性の追求のため。これまでもいくつかセミナーなどに参加し実際に体験したが、最終的に力に頼るものばかりであり、やはり地道な筋力の鍛錬により力を付けるしかないのかと諦めかけていたところ、動画にたどり着きもう一度可能性の追求のため体験に参加させていただいた。

「あらがえない感覚」
体験で、まずは受けてみましょうとのことで、塾長から言われたとおり腕を押さえこむようつかむ。すでに動画でも何度か見ていた状況であるが、簡単に自分のかかとが上がり押し返される。腕を押さえる力を強めても弱めても、結果は何度やっても同じ。返される感覚は、強い力に耐えられないというよりは「動きにあらがえない」といった感じ。力によるものであれば多少耐える自信はあったがまったく耐えられない。自分が一番力の出せる体制になっても耐えられず、むしろなぜ動いてしまうのか、どこに力を入れれば良いのかなど考えられなくなってしまう。

「立っている部分にアクセスする」
塾長いわく、手首をもっている手でも押さえ込んでいる腕でも肩でもなく、立っている部分にアクセスする。人間は「立つ」ことを維持するために無意識に力を入れバランスを取っている。それは立っている限り行っていることで、そこにアクセスされることによってどうしようもなくなる、とのこと。たしかに動かされるときは、自分が持っている手首や腕、肩などに抵抗が出るわけではない。掛ける側の力感もない。表面的な腕力などではなく、自分の中の「感覚」が変化させられたような状態になる。動くときは「動かされる」というよりは「自分が勝手に動きたくなる」のほうが近い。無意識に感覚を変えられているということかもしれない。

「無意識の反応」
試しに自分がやってみる。自分が受けたようには到底できないのでかたちだけ。軽く手を上げて手首を持たれる。その瞬間に腕全体に力が入る。自分では手を張り上げている意識も力を入れている意識もないが、塾長からはガチガチだと指摘を受ける。おそらくこれまで行ってきたことが無意識の反応で出てしまう。相手に捕まれると体が反射的に反応してしまう。これは、これまで何かしてきた相手に対し、力と技で何かを返すことを行ってきたため当然だと塾長より慰めの言葉をいただいたが、自身は無意識なのでどうにも厄介。一気にこの先長い道のりであることを感じた。幸い練功塾に通われる方々は、自分などよりもはるかに長く武道を行ってきている方々も多く、皆通る道とのことでなんとか立て直していきたい。

合気というものについて、これまで本や動画、また一部体験などで情報を得てきたが、まったく見えず一部の特殊な人しかできない技術と思ってきたが、合気練功塾に入塾し、そうではないのではないかという意識に変わった。先はまったく見えないが、誰でもが実際に触れることができ、身をもって受けられる環境に感謝しつつ練功を続け、自分自身が少しでも身につけ、本物の技術を広めていく一助となれるよう続けていきたい。

 

by KAZ