お詫び:先週分が公開できておりませんでした。楽しみにされていた方々、申し訳ありませんでした。
月に一度、合気練功研究院の院生が集まって研究を行う会がある。練功塾での塾生の指導や体験レッスンに来られた方の対応を行う院生が、自身の感覚の確認や指導技術を高めるために始まったものと聞く。メンバーは動画に出演されている面々である。その会の通称を「仔羊の会」と言う。名称理由には諸説あり、合気がかかった時の足腰の様子が産まれたての仔羊のようである(只年を喰って足腰が弱っているだけ?)というものや、とても若者とは言えないオジサン古羊の集まり、合気の感覚を求めて「さまよえる仔羊」、合気の感覚がわからなくて「迷える仔羊」などがある。前振りが長くなったが、先日この会に晴れて参加できる許可をいただいた。
この文章を書き、オンライン講座のテロップを記すにあたって、合気の感覚や現象を解析・解説することを試みてきた。その結果、合気のかかった状態は同時に多数の要素を内包していなければならないということが解ってきた。ただし説明するときは全てを同時に言語化するのは不可能なので、どこかに視点を置く必要がある。例えば「足裏感覚」に視点を置けば「足の裏の意識を持ちましょう」ということになる(気付いてない頃の私にとっては、これだけでも重大なアドバイスであった)が、合気のかかった状態は「裏の力」も「推進力」も必ず存在しそれだけでは不十分。木の一本一本を説明しても森を説明したことにならないのと同じである。
さて、仔羊の会での練功はある程度の操作では許してもらえず、きちんと合気の要素がそろわないと現象として表れてくれない。何がいけないのか一つ一つ考えていると要素は入れ替わりに欠けて、結局訳が分からなくなる。一つ一つを分解するような科学的な解析では同時に表現しきれないのである。自分と相手に集中しているとかえって解らなくなる。所謂「悟る」に似たことが本当に必要なのかもしれない。ある程度の共通理解を持つ同レベルの者で合気のかかった状態を並行共視して、思い浮かんだ(感じた)ことを共有共感することも感覚の正しさを確認できる方法かもしれない。
練功する仲間を共に眺めることも大切と思ったしだい。
大人の高尚な趣味として取り組むに、「察しろ!感じろ!」では同レベルの身体操法を習得に至らないので言葉を尽くすわけである。塾長も研究会で不足を覚悟で「理屈をこねます」と前置くわけだ。
「仔羊の会」のもう一つの意味を思い出した。院生の皆さんは合気練功塾の中ではにこやかなオジサン羊であるが、外ではいろいろな技術やステイタスを持たれている方々である。言うなれば羊の皮を被った狼な人たちなのだが、しおらしく仔羊と称しているのである。そのような方々との楽しい出会いもこのプロジェクトの重要な魅力である。