合気の原理Ⅲに「同調」がある。個人的にはなかなか難しいと感じている。「同調」には複数の意味があり、留意点であり操法であり、現象名でもある。
まずは自分のカラダの事として背骨を起点とした統一体であること。腕や足の動きが背骨や骨盤と同調していなくてはならない。背骨揺らしの蠕動が相対でもできれば良いのであるが、おそらく体幹部分(背骨)から引っ張るゴム感覚を伴うことでより効果的に同調できる。
相手との接触点の圧を同圧にするという意味での同調。体の部分に力みがあってはつながった合気のカラダであるとは言えない。その力んでいる部分をゆるめてつながりやすい合気のカラダにしてしまう操法である。自分が合気のカラダであるので相手も自分も合気のカラダということで同圧である。逆もあり、力ないタラタラの体を姿勢保持の筋に作用することで合気のカラダとしてつなげていく(裏の力ですね)のも同調である。
集中講座でこのような現象があった。つながる練習を2時間ほど行い、つながる感覚をほぼ得ていただいたところで、塾長がそれぞれの受講者を直接触れずにゴム感覚で引いたのである。すると受講者は引く動作に同調して前重心になっていった。この場面だけを動画にするといよいよオカルトの世界であるが、つながる感覚で影響を受けた体は、その予備対応を小脳が学習して無意識に姿勢保持の反応が生じてしまうと考える。つながりやすいカラダになっていると言える。練功塾や研究会でたまにみられる光景でもある。
しかし、練功塾や研究会で練功を繰り返したヒトのカラダがつながりやすく、反応が生じやすいのは繰り返した学習の結果であるから理解に無理は感じないのだが、上記のようにまだ数回、数時間の練習の方々にも容易に反応が生じてしまうのはなぜなのだろうか。ヒトにとっての姿勢保持がセンシブで影響を受けやすいという答えも有りだが、本当に学習の結果なのだろうか。
ふとこんな事を思いついた。まだ私の娘が小さかった頃、娘は私に寄りかかったり、もたれかかったりしたものだった(今では近寄ってくることすら無いが‥)。子供の頃は何かに触れている事が安心なのだろう。大人になるにつれて自立して、他人に寄りかかることも無くなる。でも本能的にはちょっと寄りかかっていた方が快の感覚なのではないか。新しく学習習得されるのではなくもともとの動きが復活しているとしたらどうだろう。
武術の技は反射などの生得的な反応を利用しているものが沢山ある。修飾されていない反応や動きの中に探求すべきものが埋もれているかもしれない。もっとちゃんと子供達の動きを観察しておけば良かったかもしれない。