合気練功の主眼は「相手と繋がる」ことであろう。
「繋がっている」状況を理解できればようやくそこに至る練功のスタートが切れる。
でもその繋がっている状況を感じる・理解するところから難しい。まずは繋がりのオン・オフから、大きな変化を感じてもらえればと思う。本当は案配良く・ちょうど良くの操作感覚でないと上手く繋がれないヒトが出てくるが、グレーゾーンの感覚はなかなか理解も実践も難しい。
練功塾では塾長の持つ「繋がるための勘所」を幾つもの表現でアドバイスされている。分かるヒトにだけ分かればよいと言うことではなく、皆さんに広くこの感覚を味わってもらいたいと言う考えからであろう。各言、このブログも「表現の多様性から気づいてもらうことができれば」を目的にスタートしたのであった。
先日、合気練功塾にブラジルの方が入会された。当日の朝、塾長から「神さん、相手を頼むね。」と言われた。ではまず背骨揺らしから…と説明を始めたのだが、日本語が通じにくい(通じないに近い)。まあ、今までもメキシコやカナダからの留学生を武術指導した経験もあるし脳味噌を切り替えてと、英単語の羅列の説明(けっして英語で説明したわけではないですよ)を開始したのだが、これがいけなかった。その方はスペイン語、ポルトガル語が母国語であり英語は分からないのである。英語でコミュニケーションをすれば…と最大限の努力のつもりだったのだが、私の先入観が相手にとって失礼な行為になってしまった。
「私にとっては、あなたはアジア人だ(と言っていたと思う)。」という言葉で気づかされた。
「分かりました。日本語でいきましょう。」
ひらがなとその方なりのローマ字筆談を交えて、「ねじり、NEDIRI」とか書きながら説明をおこなった。その方曰く、英語のローマ字ではないのでNEZIRI、NEJIRIではないのだそうだ。
共通言語を持っていてもその感覚を伝えることに苦労しているのに、感覚の説明をどうしようかと、内心不安を感じながら「足裏感覚」の練功を始めた。相手の触れている圧を足へ繋げる「これは腕、これは足。」と違いを示しながら感じてもらったところ「ああ、分かった」と。でも、やってみましょうとなるとやはり何か過不足がある。その部分を説明するに、またもや言葉の壁。ここで残念ながら私が東京の練功倶楽部へ向かう時間となったので、これまでとなったのだが、練習の最中に「あなたは良い先生だ」とも。ありがたや。何かいろいろな意味で勉強となった1時間であった。
コミュニケーションには一方的ではない双方の歩み寄りが必要である。合気の繋がりと同じと言って良いと思う。相手が忖度しないとならない繋がりは純度がまだまだであろう。よかれと思っても相手のカラダの状況は刻々と変化する。全部含めて繋がる感覚の共有ができれば、下手に共通言語があるもの同士よりも、「にやり」と意思疎通できる練功が楽しめるかもしれない。
年内のブログのアップは今回がラストです。おつきあいいただきありがとうございました。
良い繋がりを目指して修練してまいります。
皆様、良いお年をお迎えください。