虹をつかんだ男のココだけの話「被害に遭わないために」

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私は、今まで沢山の合気関連の動画を見て来たのだが、それらの動画にはお約束のようによく出てくるシチュエーションがある。

それは、弟子同士が技を掛け合っていて、何度やっても技が掛からず、しばらくすると、そこに指導者が現れ、片方の人の身体に触れ、軽く操作すると、あれ程掛からなかった技がいとも簡単に掛かるのだ。

あたかも神業のようで、師匠と弟子の技量の違いが際立つ場面である。影響を受けやすい私は、それらの動画を見て、「あの先生にお会いして教えを乞いたい。」「あの技術を手に入れる事が出来たらさぞかし楽しい事だろう。」と夢に胸を膨らませ、セミナー会場へいそいそと出かけて行ったものである。

しかし、このような動画を作っている者に、その技術を教える気などはそもそも無い。もちろん、結果はご存知のように満を持して待ち構えていた網に掛かり、絡め取られるのが常であった。

実際にこれらのセミナーに参加すると動画と同じような場面に遭遇する。一人でやろうとした時は相手にたやすく阻止されるのだが、指導者に自分の身体を操作されている時は、おもしろいように技が掛かるのだ。

その結果を踏まえ、問題点を自分なりに探していると、親切そうにこう囁く。「この角度で。」とか、「タイミングが違う。」とか、「触れ方が悪い」とか。 しかしながら、もしそれらの事を完璧にこなしても一生技がかかる事は無い。

なぜなら、この問題の本質は、「自分の足裏から相手の足裏まで繋がっていないから。」である。

これらの感覚は視覚や触覚などの五感でカバー出来ず、訓練無しに習得することは不可能な内部感覚である。そして、この感覚を知らない者が、他者のアドバイス無しに気づく事は有り得ないものである。

その本質を知りつつもひた隠しにして、自分はこっそり繋がりながら現象化し、さも他に問題があるように誘導する。そして、早期習得を掲げていたはずが、いつしか「出来なくて当たり前、何年懸かってでも出来れば儲けもの。」などと平気で言いだす始末。

出来ない者にとっては、合気というのはとても敷居が高く感じ、「出来ないのは自分のセンスがないからだ。」とか、「未熟な自分が悪いのだ。」と自然と自分に原因を求め易い。

こうして自己肯定感をどん底まで下げさせ、自分の無能さを思い知らされる。そして思考停止状態にした者を懇親会と称した仕上げの場で、取り巻きの太鼓持ちと一緒になって洗脳し囲い込む。

その結果、何年もお金を払ってくれる被害者を量産する。やり方がとても巧妙でいて悪質、詐欺師と呼ぶ以外に呼び名が見つからない。

私のような被害に遭われた方、又は、私のような被害に遭いたくない方は、合気練功塾へお越し下さい。本物の合気を本質から懇切丁寧に教わる事が出来ます。 

by 宮崎

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