虹をつかんだ男のココだけの話「体験」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

合気上揚げの動画を見ただけで、合気揚げが出来る様になる人はいない。

それはどんなに天才であっても例外ではない。
なぜそう言い切れるのかは、何度か説明してきたが、合気に触れた事の無い人間には「2人が手を繋いで立っている」外観しか映像として認識出来ないから。

しかし、合気揚げが出来る人は、同じ動画を見た時、「この2人はたまたまこの体勢で止まっているだけで、少しバランスが崩れれば、違う形に移行する」という事を理解している。

見た事しかない人は、その外観をヒントに体勢を作るしかないので、「2人は独立して立った後、お互いの手の平を上下に触れ合わせてじっと待つ」という事になる。

しかし、待てど暮らせど動画のように相手が揚がる事はない。だから痺れを切らして、筋力発動で抑え込まれる。という結果しか起こらない。

一方、経験を通し、合気の原理を理解している人が重視するのは、繋がった2人に発生する内部感覚である。

お互いがお互いを引き合っているので、気を抜けば相手の陣地に引き込まれてしまう様な張りを感じ、それに負けない様、意識の中で、自分の外側からも自分を引いて動かない様に我慢している。

我慢を辞めれば次につり合うべき地点までゴムの張力の影響を受け自然に動く。

どこのゴムを切るかによって上下、前後、左右、斜めなど縦横無尽に移動させる事が可能である。

だから、1人では不可能なアクロバティックな体勢も、2人であるからこそ普通に成立する。画の2人は今、“そこで”しかつり合いが取れない状態のだ。

今述べた様に、同じ画を見た場合でも、その人の経験値によって、何も起こらない形にも見えるし、今にも動き出しそうな形にも見える。

合気の内部感覚を知らない人は、画を見て形を作る事は出来ても、その状況から目標とする形に移行するためには、筋力を使うしか手立てがないのだ。

もう“詰んで”いるという事になる。

だから、結論として、この人のレベルで合気関係の動画を見ても意味が無い。理解出来る次元にいないのだから。見れば見るほど本質から遠ざかり、誤解が深まるだけである。

本物を知りたければ、本物に触れるしかない。感覚は体験でしか取得出来ない。見てるひまがあるのならば、合気練功塾に来られた方が良いと思う。

しつこいと思うがもう1度説明すると、この画の2人は地に足をつけて自立しているのではない。
2人の体は、お互いの足から足までをゴムで繋がって一つの物体の様相を呈している。
そして、この物体が、立体として地面に立っている様に見えるのは、接触点である手を中心にしてお互いに引き合っているから。

この引き合っているというのは、物理的に手が手を引いているわけではない。これは、“合気の次元”の話で、手が接触している“一点”から無数のゴムが放射線状に伸びていて対になっているゴム同士引き合いで2人を囲っている。

そして、これは、ゴムであるから中心は端を引き、端は中心を引いている。このバランスが成立していると膨張した球体の様に立体として存在する事が出来る。(テンセグリティ構造)

わかりやすく言えば、自分の足で立っているのではなく、本来なら倒れてしまう体勢を、内と外の張力の絶妙なバランスにより、無理矢理に倒れない様に起こされているのである

結論、視覚で合気は掴めない、まず、チャンネル(受信器)を合わせよう。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

4人の塾生が語る練功ブログ

  • ミニ講座 (57)
  • 未分類 (4)

コメントを残す

*

CAPTCHA